皇后選定の儀の選定期間が終了し、いよいよ皇后が発表される時間になった。
開会の儀が行われた太極殿の正殿に、夕暮れとともに妃たちが集まり始める。
皆、開式の儀で身にまとっていたような、首元から背中にかけての肌が良く見える装束だ。
その時と違うのは白一色でなく、それぞれが用意した上衣になっていること。
これは花紋が花咲いた時、一番美しく見える色や柄を妃自身が選ぶからだった。
まるで花束のように色鮮やかな部屋の中で、香曜一人だけが開会の儀と同じ白い装束であった。
「賢妃ともあろう方が、開会の儀とおなじ装束だなんて」
「新しい物が用意できないほど困窮しているのなら、四妃の位にこだわらすとも良さそうなのに、ね」
「あえて、かもしれないわよ」
「まあ。そこまでして目立とうとしなくてもいいのに」
「必死さが痛々しいわ」
聞こえよがしに囁かれる声を無視して背筋を伸ばし、香曜はまっすぐに前を見据えていた。
すっかり日が暮れたころ、方術士をともなって玄華が姿を見せた。
妃たちが頭を垂れる前で部屋の前方に置かれた椅子に腰掛ける。
方術士はその横に立ち、妃たちを見回して言った。
「これからわしの方術により、選定者を具現化いたします」
もし選定者が誰も選ばなかった場合は、現時点で一番上位──今回なら貴妃が繰り上がりで皇后となる。
方術士は玄華に向き直った。
「皇帝陛下、選定を任せる生き物の形を教えてもらえますかの」
「……蜂だ。とても小さな……針で刺した穴程度の大きさしかないようなものを頼む」
「承知いたしました」
それを聞いていた妃たちは密かに首をかしげた。
なぜそんな小さな蜂を指定するのか、玄華の狙いが分からなかったからだ。
方術士が手を差し出したが、そこに蜂が具現化されているのかどうかも分からない。
玄華が右手を挙げて合図すると、部屋の灯りが控えめにされた。
「どれ、もう少し光らせるかな」
そうしてようやく、方術士の掌にひとつの小さな光が浮かんでいるのが見えるようになる。
小さくもまばゆい光だ。
方術士の「お行き」という言葉を合図に光は天井近くまで浮き上がった。室内の様子を探るようにくるくると飛ぶ。
妃たちは祈るように両手を組んだり、口を固く結んで光の軌跡を見つめていた。
自分のところに舞い降りないだろうかと願いをこめるように。
それは最有力候補といわれる貴妃も同じ、緊張の面持ちであった。
香曜も最初は光を見つめていたが、ひっそりと玄華に視線を移した。
彼も光の軌道を目で追っており、香曜とは視線が交じらない。
(本当は、こんなに距離のある方だったんだわ)
皇后が選ばれたら、いよいよ玄華と会う機会はなくなる。
その前に互いの距離が分かって良かったと香曜は思った。
蛇行しながらおりてきた光は、まるで妃たちの顔を確認するように飛ぶ。
光が近づくと「きゃあ!」とうれしそうに声をあげる妃もいた。
ふと、小さな光が香曜の目の前で減速し、じっと見つめているかのようにその場で浮かび続ける。
背後にまわった光を追いかけて香曜が振り向こうとした時、首の後ろでチクリと何かが刺さる感覚がした。
「痛っ」
すると白い上衣が黄色い光を纏う。
何が起こったのだろうと香曜があたりを見回すと、周囲の妃たちから悲鳴が上がった。
その声に驚いて前を向くと、玄華が目を細め、満足そうに微笑んでいた。
椅子から立ち上がると、まっすぐに香曜のもとへ歩み寄った。
「背中を見せろ」
「え?」
香曜は立ち上がり、玄華に背を向けた。
「そのまま、他の者にも見せてやれ」
言われるままに体の向きを変え、今度は玄華と向き合った。
(こんなに近づくのは久しぶりだわ)
もう叶わないと思っていた距離に玄華がいることが少し恥ずかしく、香曜は頬を赤らめてうつむいた。
そんな香曜の背後で、妃たちは息をのんだ。
大きく球根のように膨らんだ実──花嚢の底が割れて開いていたからだ。
まるで、大きな花が咲くように。
「これはこれは……陛下の覚悟を見せつけられましたなあ」
「方術士様……どういうことでしょう?」
いつの間にか玄華のとなりにいた方術士へ顔を向け、香曜は尋ねた。
「陛下が選定者に指定された蜂のことじゃよ。イチジクコバチという名の」
「イチジクコバチ……」
「名前通り、イチジクコバチはイチジクの花粉しか運ばぬ。これが何を意味するか分かるかの?」
「香曜」
「え、はい!」
(今……陛下が私の名前を呼んだ?)
驚きつつも玄華を見上げて視線を合わせると、射抜くように真っ直ぐな瞳で香曜を見つめていた。
「つまり、俺は香曜だけを選ぶ覚悟でここに来たということだ」
「私を……?」
「そうだ。……それに花が咲いたということは、少なからず香曜も俺を想ってくれているのだな」
眉尻を僅かに下げ、玄華は微笑んだ。
こんなにおだやかな表情の彼は寝顔でしか見たことがない。
思わぬ事態が次から次へと起きて、香曜は理解が追いつかない。
そもそも、自分の背中がどうなっているのかすら分からない。
ただ目をパチクリと瞬かせていた。
玄華は先ほどまで自分の座っていた椅子の前まで香曜の手を引き、二人で並んだ。
「皆も見ただろう。皇后選定の儀は滞りなく行われ、香曜の花が咲いた。よって、皇后は香曜に決定する」
香曜と同じように目を丸くしていた妃たちは、方術士の咳払いで我に帰り、一斉にひざまずいた。
その中で一人、貴妃の位をもつ麗丹だけが頭を下げずに立っていた。
「わたくしは認めませんわ」
眉を寄せながら低い声でつぶやくと、香曜をキッと睨みつけた。
「そもそも、それは実が割れただけではありませんか! 花が咲いたとは言えません」
すると彼女をいさめるように、まあまあと方術士がにこやかに笑う。
「麗丹様……花は咲いておるぞ。実のように見える丸いものは花嚢といい、割れて見える赤い部分はすべてイチジクの花じゃ。『無花果』は花が無いと書くが、花は外から見えないだけなんじゃよ」
「……納得できません!」
「それくらいにしておけ。穏便に済ませるつもりだったのだがな……」
玄華は香曜の肩を抱き寄せ、大きなため息をついた。
香曜は肩に触れる玄華の手や力の強さにどきどきと胸が高鳴らせつつ、含みのある言葉の続きを待った。
「貴妃よ。全てお前の仕組んだことだったのだな」
「……何のことでございましょう」
「夜の庭で、香曜と薬師の男が会えるように仕組んだのはお前だな」
麗丹が肩をピクリと揺らし、顔を青くした。
「また、その男に香曜の悪い噂を流し、香曜の評判が落ちれば下賜されやすくなると嘘を吹き込んだ。そして……男の実家で作られた毒を、お前の親族はかつて俺の母に使った。その毒を、お前は香曜に使う機会を狙っていただろう」
「そんな……そんな恐ろしいこと」
「悪いが証拠は揃っているんだ。後日処罰について言い渡す」
「誤解です陛下! わたくしは決してあなた様を裏切るつもりはありませんでした!」
玄華の合図で麗丹は捕らえられ、部屋から連れ出された。

