華の王は無花果妃を離さない


それからぱたりと玄華の訪れはなくなり、なんてことをしてしまったんだろうと香曜は反省した。
こんなことなら、もっと事前に薬を渡しておくんだったとも思う。

(陛下は眠れているかしら)

根を詰めすぎて眠れぬ夜を過ごしていないだろうか。眉に皺を寄せたまま眠っていないだろうか。

一瞬でも魅力的だと感じた榕廉の提案が霞んでしまうくらい、会えない玄華のことが気になった。
薬草をいじっていても、常に頭のどこかで考えてしまう。

(前は、気になってもここまでではなかったのに)

薬草や薬への興味が一番で、それを手にする時間さえあれば満足だった。
玄華と会う機会が増えて彼が気になるようになっても、一番大事な時間は薬草いじりだった。

「……本当ですか?」

自分のことが分からないとこぼした香曜の瞳を、桑莉はじっと見つめた。

「本当に、薬草いじりが今でも一番ですか? 一番と思っているのなら……陛下に調合する薬を作っていたからではないですか?」
「……陛下は関係ないわ。自分や桑莉の薬をつくるときだって、やりがいを感じるし楽しいもの」
「香曜様……」

平気、と香曜は笑顔を作った。
それなのに引き出しの奥にしまった落雁を思い出し、胸が締め付けられるように苦しくなるのだった。





後宮では新たな噂が流れていた。
賢妃の宮へ通っていた玄華が、貴妃の宮に通うようになったというものだった。

「陛下と貴妃様がお庭を散歩されているのを見かけたわ」
「麗しいお二人でとてもお似合いね」
「やはり収まるところに収まるというものなのかしら」
「悔しいけれど、貴妃様なら諦めもつくわ」

何も驚くことはない。
一番最初、玄華が話していた通りになっただけだ。
そう考えて気持ちを落ち着けようとするのに、香曜は足元がぐらつくような感覚を覚えた。

香曜は桑莉が噂に聞いたという、玄華と貴妃の二人がお茶を飲むという池の東屋へ向かってみることにした。
人目を避けて回廊を渡り、蓮の花が浮かぶ池に差しかかる。

(東屋が見える……)

遠目に見えた二人の姿が、まるで寄り添うようで……全身の力が抜けてその場に崩れ落ちそうになり、香曜は急ぎ足でその場を立ち去った。

(おかしい。こんな気持ちになるなんて)

玄華が他の女性といる。しかも仲睦まじい様子で。
それが悲しくてさみしいと思ってしまう。

薬草の匂いに包まれれば気が紛れると思い部屋にこもるものの、二人の姿が頭をよぎるたびに、嫌だ、どうして、信じたくないといった言葉が体中を埋め尽くしていく。

「香曜様? そんな青い顔をされてどうしたんです……」
「桑莉……! どうしよう、苦しいの。陛下にもう会えないかと思うとつらいのよ」

様子を見に来た桑莉にしがみつき、思いの丈を香曜は語った。
黙ったまま、時折うなずいてすべてを聞いた桑莉は、最後にぽつんと言った。

「香曜様は、陛下に恋をされたのですね」
「私が……? まさか」

薬草にばかり夢中で、恋なんて歌や物語の中だけで、自分が関わることはありえないと思っていた。

「けれど、今の香曜様は、陛下とお話するようになる前の香曜様と同じではありませんよね」

桑莉の言葉に、香曜はうなずくしかなかった。

ただ彼が健やかであるようにと願っていた自分には戻れないという自覚が、香曜にはあったからだ。





部屋に戻った香曜は、ふらふらと寝台に横たわった。

ここで玄華が眠ったことがあるなんて、今思うと信じられない。
寝返りを打つと、そばにある机の上には畳んだ薄絹が置かれている。

(陛下にかけてあげた布……)

なんとなく、香曜は同じ布を寝入った玄華の体にかけていた。
畳まれたそれを抱き寄せると、日差しの降り注ぐ森に入ったかのような、清涼な香りがした。

玄華の香りだ。


(最初は、ただの興味だったのに)

まだ後宮に入る前の、花紋が出たばかりの頃を思い出す。

薬草一筋の香曜に花紋が表れて驚いたのは、香曜の家族も同じだった。
「調合ができなくなるかも」と後宮入りをしぶる香曜に新たな目標を与えたのは、年の離れた姉だった。


──香曜、後宮へ行って玄華様を助けてあげてちょうだい。玄華様は苦労が多い方でいつも無理をされているの。この帝国できっと一番大変な方よ。だから、もし香曜が玄華様を元気に出来たなら、国中の誰だって元気にさせられるわ。
──本当? 榕廉よりも立派になれる?
──ええ、きっとね。
──だったら、後宮に行って玄華様のお役に立ってみせるわ。

ぼんやりと、でもしっかりと。

姉の話を聞き、国で一番過酷な状況にいるという人を救ってみたいと思った。

(なんて身の程知らずな挑戦だったのだろう)

すっかり弱気になった香曜は、せめてこの香りがいつまでも残っていたらいいのにと願った。