華の王は無花果妃を離さない


後宮で一番広い部屋にあたる太極殿の正殿に集められたのは、皇帝の妃たちだった。ざっと三十名程はいるだろうか。

「これより、『皇后選定の儀』の選定期間を開始する」

彼女たちの前に立ち朗々とした声でそう告げたのは、灰色の長い髭をもつ年配の方術士(ほうじゅつし)だ。
方術という不思議な術を用いて皇帝を助けるのが仕事で、この皇后選定の儀も、方術士がいてはじめて成り立っている。

方術士よりも一歩引いた場所で腰かけていたのは、ここ煌朝(こうちょう)の皇帝である玄華(ゲンファ)だ。
長く真っ直ぐに伸びた艶やかな黒い髪に輝く金色の瞳は、もとは華の国と呼ばれていたこの国と周辺地域をまとめ上げた初代皇帝と同じ色合いである。
美しく凛々しい顔立ちと無駄なく引き締まった体躯に、集まった妃たちは見惚れてほうと息をつく。

方術士は妃たちに礼をとってから、皇后選定の儀について説明し始めた。

「わしが方術をかけて約一年、やっと全員そろったのお。花紋の表れた皆さまには皇后の素質がございます。本日より皆様のお部屋へ陛下が順番に訪れますので、交流を深めてくださいますよう。なお二ヶ月後の皇后選定の儀当日、陛下より皇后が発表されるからの」


方術士の言葉通り、皇帝が代替わりすると皇后を選ぶための方術が施される。
すると皇后に相応しい娘には植物の模様が浮かび、その花模様は『花紋』と呼ばれていた。

その花紋がたしかにあると証明するため、集まった妃たちは皆、背中の大きく開いた真っ白な絹の装束を着用していた。
刺青を彫ったように鎖骨から背中にかけて植物の模様が浮かんでいる。
植物の種類はそれぞれ異なっているものの、誰もが茎と葉、蕾の状態で、花の咲いている者は誰一人いない。

花紋が出現した者は貴賤に関係なく皇后候補になるが、皇后が決定するまでは、後宮での序列は出身の家柄に左右される。
特に位の高い四人の妃たちは四妃と呼ばれ、同じ白色の装束でも華やかさは際立っている──はずなのだが。

四妃の一人、賢妃の位を持つ香曜(コウヨウ)は、際立って地味な装いであった。
装束は同じでありイチジクの花紋も大きな葉が立派だが、髪型や化粧が薄いため貧相に見えてしまう。
周囲の妃たちはそれを見てクスクスと笑いあっていた。

「なあにあれ。やる気があるのかしら」
「あの人桑国(ソウコク)出身でしょう? 古いだけの一族だから、金銭の余裕がないのよ」
「必死よね。早くに後宮入りしたのに、陛下が一度も訪れないから」
「私たちとは、陛下は何度かお茶をしてくれましたものね」
「必死になればなるほど陛下の足は遠のくというのに、お気の毒よね」
「あれってイチジクの蕾よね? 大きく膨らんでもう実がついているみたい。気味が悪いわ」

だんだんと聞えよがしに大きくなる声にも、香曜は何も言い返さない。
玄華が退室したことでさらに勢いづいた女たちの笑い声を背に、自室である賢妃の宮まで一目散に戻ってきた。

賢妃の宮の正殿に足を踏み入れた瞬間、香曜の隣で付き添っていた侍女の桑莉(ソウリ)が長い溜息をついた。

「香曜様、私は悔しいです。何度あの妃たちに言い返したくなったことか。自分の腕をつねって我慢したんですから」
「そう? ありがとう。私は陛下の顔色が気になって、それどころではなかったわ」
「麗しいお方でしたね。初めてお顔を拝見しましたが、この世のものとは思えない美しさでした」
「たしかに美しかったわ。青白い肌がそれを引き立てていたのかも。だけどあれは疲労と栄養の偏りが明らかよ。そのうち陛下がここをいらっしゃるのなら、それまでに薬の調合をしておかないとね」

そう話しながら香曜は隣室へ向かう。
本来なら物置になるはずの狭い室内は、大きな机と薬草棚で埋め尽くされている。
そこにこもり、何やらぶつぶつとひとりごとを言いながら薬を調合し始めた。

桑莉は苦笑いしつつお茶を入れ、作業する香曜の机に茶菓子と一緒に置く。

「ありがとう桑莉」
「いえ……それよりあの、香曜様は気にならないのですか? 陛下のことがきっかけで……」
「ああ、姉さまが、幼い陛下の代わりに毒を飲んで亡くなったこと?」
「ええと……はい」
「そうね、今はなんともないわ」

あっけらかんと答える香曜。

「10年以上も前の話よ。陛下は被害者だと姉さまは仰っていたわ。それに、あんなに顔色が悪いところを見せられたら……恨むより、薬を作らなきゃとしか思えなかったわ」
「香曜様らしいですね」
「そう? 準備を急がないと」
「私は香曜様を磨いて差し上げたいのですけどね。今日も薬草に影響が出るからとろくに香油もお化粧もされないで……」
「あはは。今日は開会の儀じゃない」

桑莉は眉尻を下げ、「では、皇后選定の儀当日は着飾らせてくださいね」と困ったように微笑んだ。




皇后選定の儀が執り行われる期間中は、基本的に一番上の位である貴妃から順に、皇帝は部屋を訪れることになっている。
四日目の夜、香曜のもとへ玄華が訪れた。

その美しさを至近距離で目の前にすると、人の見た目にはあまり頓着しない香曜もさすがに緊張し背筋が伸びた。
普段から笑わない人だという噂通り、玄華は香曜を見下ろしたまま、表情を変えずに言い放った。

「儀式だから仕方なく来ただけだ。今後は期待しないように」

香曜はぽかんとした。
まだ部屋にも入っていない、扉を開けただけでこんな宣言をされるとは。

後宮に来てからこの一年、一度も玄華は香曜の元を訪れなかった。
ほかの四妃には挨拶やお茶をともにするなど、最低限の交流はあったらしい。

だから周囲は香曜を軽んじるのだ。
先日のように他の妃たちから陰口をたたかれるなんて日常茶飯事だし、侍女だって、仕事をこなすのは実家から連れてきた桑莉だけだ。後宮に来てから割りあてられた侍女たちは何もしない。

香曜自身は薬草に囲まれていれば満足のため、多少の不便を感じてもつらいと思ったことはない。
なんなら自分が皇后候補であることすら忘れかけていた。
待機の期間が長かった分、本当に皇后選定の儀が執り行われるのだなと感慨深く思うくらいだった。

だからわざわざ言葉にしなくても、皇后になれるなんて期待は最初からしていないし、なりたいとも思っていない。

(昨日までに訪れた妃たちの部屋でよほどしつこい……ううん、手厚い歓迎を受けたのかしら?)