手紙には感染する恐れはないと書かれていたが、とりあえず手袋と防護用のマスクをつける。二間続きの奥の扉を開けると、暗い部屋の中で生気のない男がベッドに横たわっていた。
これがエヴァンス子爵、か。
その傍らに最期の確認をするための医師が立っている。
私を見ると、静かに頭を下げた。それにしてもシーツも替えていないのだろうか。
防護用のマスク越しにも異臭がする。
「旦那様。ランチェスター公爵様がお見えになりました」
執事の声に彼はうっすらと目を開ける。
見えているかどうかもわからぬが、私はベッドに近づいた。
「エヴァンス子爵。私はランチェスターだ。これからのことはこの私に全てを一任してくれるな? 理解できたら頷くだけでいい」
声をかけると、弱々しいその顔をほんの僅かだが縦に動かした。それを医師も確認した。念の為、エヴァン子爵の拇印もとっておいたからこれで手続きも楽になる。
「よし、クラウス。すぐに執務室に行って資料を集めるぞ」
エヴァンス子爵には悪いが、ここにいては私の生気まで失われそうな気がする。
クラウスに指示を出し、私もすぐにこの部屋から立ち去ろうとしたのだが、エヴァンス子爵が「う、あ……っ」と言葉にならない声をあげて私を引き止める。
「なんだ?」
「あ、あ……」
何か言いたげなその声は、あまりにも弱々しく何も聞こえない。
だが、自分の残りの命の時間を削ってまで私に伝えたいことがあるのなら聞くしかないだろう。
「エヴァンス子爵。何を言い残したいのだ?」
彼の顔に耳を近づけたその時、うっすらと声が聞こえた。
「ち、ぁ……し」
それだけ告げ、エヴァンス子爵の声は聞こえなくなった。
まだかすかに口は動いているが、それもすぐに止まった。
傍らに立っていた医師が彼の命が燃え尽きたことを確認する。
彼の命の灯火が尽きたのだ。
彼の最期の言葉は私にしか聞こえなかっただろう。
彼は私に何を伝えたかったのか……
それを考えなければいけないが、この屋敷の後始末を引き受けた以上、先にやらなければいけないことがある。
「エヴァンス子爵は息を引き取った。これからのことは私が指示を出す。すぐに動け」
エヴァンス子爵の弔いの準備を進めながら、私は執務室に置かれた資料から使用人たちのこれまでの給金を計算する。
念の為に親戚連中にも死去の報告のための早馬を飛ばしたが、同時に葬儀などは行わないことも併せて伝えておいた。元々付き合いを止めている者たちだ。彼が死んだからといって弔いにわざわざやってくることはないだろう。
通常なら火葬までに数日かかるが、そこまでは待っていられない。
隣国だが、大国であるフィオラード王国唯一のランチェスター公爵家の力は強い。
かなり無理を通したが、即日火葬を行うことが認められ、エヴァンス子爵の亡き骸はすぐに火葬場へ運ばれていった。
それでも完全に骨になるまでに数時間かかる。その待ち時間を利用して使用人たちに未払いの給金と次の仕事のための紹介状を渡してやった。
彼らはようやく安堵の表情を浮かべたが、金と紹介状を手にするとすぐにでもこの家を出て行きたいと言い出した。
とりあえず執事だけを残して、他の使用人たちを先に出て行かせた。
「其方も早く出て行きたいのだろうが、少し話を聞かせてほしい」
そう告げると、執事は頭を下げ、私の言葉を待っているようだった。
「エヴァンス子爵のことだ。彼には持病があったのか?」
「いいえ。旦那様は森に行かれるまでは元気でお過ごしでいらっしゃいました。私たちは午後、数時間ほど旦那様のご用事でこの家を空けることになっており、その用事を済ませて戻ってきたところ、部屋でお倒れになっている旦那様を発見いたしました。すぐにお医者をお呼びしましたが、その時にはすでに意識もなく、回復の見込みはないとのことでございました」
「それで、私に手紙を送ったと言うわけだな?」
執事は「突然ご連絡を差し上げ、大変失礼いたしました」と深々と頭を下げる。
本当に急な出来事だったようだ。
最初は使用人たちが毒でも持ったのかと思ったが、それは後のことを考えて無さすぎる。
もし、私が手紙をもらっても反応をよこさなければ彼らはいつまでもここから離れられないのだから。だが、それにしては持病もないのに急すぎる。
森で何か毒物でも口にしたのか?
いや、それなら身体に反応が出るだろうし、医師が気づかないわけがない。
そもそも自生している毒物は即効性のものしかないはずだ。
じわじわと命を縮めるなんてものはない。
それなら……
「あの、もうお話がなければ私もおいとましてもよろしいでしょうか?」
考え込んでいた私に執事が申し訳なさそうに問いかける。
これ以上は無理か。
「ああ、わかった。最後までご苦労だった」
私の声掛けに執事はうっすらと涙を浮かべ、部屋を出ていった。
本音を言えば火葬を終えるまでの間、執事だけでも残って欲しいと思ったが、あの窶れ具合を見れば引き止めるのも可哀想に思えてくる。結局、私とクラウス、そしてヨハンだけが残り、エヴァンス子爵の最期を見守ることとなった。
使用人たちが誰も残らないとは少し彼が可哀想に思えてくるが、この惨状でここまで残っていただけでも温情があったと思うべきなのか。
だが、ただでさえ静まり返っていた屋敷が我々三人だけになり、余計に静けさを感じる。落ち着かないがどうすることもできない。
「旦那様。紅茶をお淹れしましょう」
「そうだな。頼む」
クラウスが我が家から持ってきた紅茶を淹れてくれてようやく一息ついた。
心にほんの少し余裕ができたことで、私はエヴァンス子爵の最期の言葉を思い出した。
そういえばあれは何を伝えたかったのか……
彼の言葉をもう一度頭の中で反芻する。
ち、あし……ち……
そして、思いついた言葉は……
「そうか! 地下室!」
地下室に何かがある。それしか考えられなかった。
これがエヴァンス子爵、か。
その傍らに最期の確認をするための医師が立っている。
私を見ると、静かに頭を下げた。それにしてもシーツも替えていないのだろうか。
防護用のマスク越しにも異臭がする。
「旦那様。ランチェスター公爵様がお見えになりました」
執事の声に彼はうっすらと目を開ける。
見えているかどうかもわからぬが、私はベッドに近づいた。
「エヴァンス子爵。私はランチェスターだ。これからのことはこの私に全てを一任してくれるな? 理解できたら頷くだけでいい」
声をかけると、弱々しいその顔をほんの僅かだが縦に動かした。それを医師も確認した。念の為、エヴァン子爵の拇印もとっておいたからこれで手続きも楽になる。
「よし、クラウス。すぐに執務室に行って資料を集めるぞ」
エヴァンス子爵には悪いが、ここにいては私の生気まで失われそうな気がする。
クラウスに指示を出し、私もすぐにこの部屋から立ち去ろうとしたのだが、エヴァンス子爵が「う、あ……っ」と言葉にならない声をあげて私を引き止める。
「なんだ?」
「あ、あ……」
何か言いたげなその声は、あまりにも弱々しく何も聞こえない。
だが、自分の残りの命の時間を削ってまで私に伝えたいことがあるのなら聞くしかないだろう。
「エヴァンス子爵。何を言い残したいのだ?」
彼の顔に耳を近づけたその時、うっすらと声が聞こえた。
「ち、ぁ……し」
それだけ告げ、エヴァンス子爵の声は聞こえなくなった。
まだかすかに口は動いているが、それもすぐに止まった。
傍らに立っていた医師が彼の命が燃え尽きたことを確認する。
彼の命の灯火が尽きたのだ。
彼の最期の言葉は私にしか聞こえなかっただろう。
彼は私に何を伝えたかったのか……
それを考えなければいけないが、この屋敷の後始末を引き受けた以上、先にやらなければいけないことがある。
「エヴァンス子爵は息を引き取った。これからのことは私が指示を出す。すぐに動け」
エヴァンス子爵の弔いの準備を進めながら、私は執務室に置かれた資料から使用人たちのこれまでの給金を計算する。
念の為に親戚連中にも死去の報告のための早馬を飛ばしたが、同時に葬儀などは行わないことも併せて伝えておいた。元々付き合いを止めている者たちだ。彼が死んだからといって弔いにわざわざやってくることはないだろう。
通常なら火葬までに数日かかるが、そこまでは待っていられない。
隣国だが、大国であるフィオラード王国唯一のランチェスター公爵家の力は強い。
かなり無理を通したが、即日火葬を行うことが認められ、エヴァンス子爵の亡き骸はすぐに火葬場へ運ばれていった。
それでも完全に骨になるまでに数時間かかる。その待ち時間を利用して使用人たちに未払いの給金と次の仕事のための紹介状を渡してやった。
彼らはようやく安堵の表情を浮かべたが、金と紹介状を手にするとすぐにでもこの家を出て行きたいと言い出した。
とりあえず執事だけを残して、他の使用人たちを先に出て行かせた。
「其方も早く出て行きたいのだろうが、少し話を聞かせてほしい」
そう告げると、執事は頭を下げ、私の言葉を待っているようだった。
「エヴァンス子爵のことだ。彼には持病があったのか?」
「いいえ。旦那様は森に行かれるまでは元気でお過ごしでいらっしゃいました。私たちは午後、数時間ほど旦那様のご用事でこの家を空けることになっており、その用事を済ませて戻ってきたところ、部屋でお倒れになっている旦那様を発見いたしました。すぐにお医者をお呼びしましたが、その時にはすでに意識もなく、回復の見込みはないとのことでございました」
「それで、私に手紙を送ったと言うわけだな?」
執事は「突然ご連絡を差し上げ、大変失礼いたしました」と深々と頭を下げる。
本当に急な出来事だったようだ。
最初は使用人たちが毒でも持ったのかと思ったが、それは後のことを考えて無さすぎる。
もし、私が手紙をもらっても反応をよこさなければ彼らはいつまでもここから離れられないのだから。だが、それにしては持病もないのに急すぎる。
森で何か毒物でも口にしたのか?
いや、それなら身体に反応が出るだろうし、医師が気づかないわけがない。
そもそも自生している毒物は即効性のものしかないはずだ。
じわじわと命を縮めるなんてものはない。
それなら……
「あの、もうお話がなければ私もおいとましてもよろしいでしょうか?」
考え込んでいた私に執事が申し訳なさそうに問いかける。
これ以上は無理か。
「ああ、わかった。最後までご苦労だった」
私の声掛けに執事はうっすらと涙を浮かべ、部屋を出ていった。
本音を言えば火葬を終えるまでの間、執事だけでも残って欲しいと思ったが、あの窶れ具合を見れば引き止めるのも可哀想に思えてくる。結局、私とクラウス、そしてヨハンだけが残り、エヴァンス子爵の最期を見守ることとなった。
使用人たちが誰も残らないとは少し彼が可哀想に思えてくるが、この惨状でここまで残っていただけでも温情があったと思うべきなのか。
だが、ただでさえ静まり返っていた屋敷が我々三人だけになり、余計に静けさを感じる。落ち着かないがどうすることもできない。
「旦那様。紅茶をお淹れしましょう」
「そうだな。頼む」
クラウスが我が家から持ってきた紅茶を淹れてくれてようやく一息ついた。
心にほんの少し余裕ができたことで、私はエヴァンス子爵の最期の言葉を思い出した。
そういえばあれは何を伝えたかったのか……
彼の言葉をもう一度頭の中で反芻する。
ち、あし……ち……
そして、思いついた言葉は……
「そうか! 地下室!」
地下室に何かがある。それしか考えられなかった。


