それから週に2、3度ほどのペースで宥人は店にくるようになった。とはいっても、開店前に30分程度時間をつぶして、ママやホステスがくる前に非常階段をつかって階上の店に移動する。開店前の30分、おれはオープンの準備をしながら、宥人のおしゃべりに付き合っていた。
週刊誌の記者は姿を見せなくなっていた。諦めたのか、ほかに手段を探しているのかはわからない。ひょっとすると、もう隠蔽工作をする必要はなくなったのかもしれないが、宥人は決まったルーティーンをこなすかのように定期的に店に足を運んでいた。
「善くん、これ、お土産」
いつもどおりの時間にやってきた宥人はふだんよりも大荷物で、土産の袋を提げていた。箱の表面には上品なフォントのアルファベットで『KYOTO』とある。
「京都行ってきたんすか?」
「そう。最近できたお店で、まだ東京にはきてないみたい」
「関西が先って、珍しいですね」
「最近は地方から攻めるパターンも多いみたいだよ」
フルーツをふんだんに使用したミルフィーユ。宥人は出張が多いようで、全国各地の珍しい土産を持参することも珍しくなかった。またそのセレクトが絶妙で、ホステスたちを喜ばせていた。
開店前に客を入れることがルール違反とはいわないが、本来なら営業時間中に正規の金額を支払ってクラブ遊びを楽しむものだ。しかし、ママは目を瞑ってくれていた。高価で貴重な土産ものはホステスたちへの貢ぎもののようなものだ。
「宥人さん、コーヒーにする?」
「うん。ブラックで」
「了解」
下戸の宥人のために、おれは自宅からコーヒーメーカーを持ち込んでいた。かなり前に店の忘年会でビンゴ大会の景品として入手したもので、ほとんどつかっていなかった。宥人はコーヒーが好きなようで、店のカウンターを喫茶店代わりにして和んでいるようだった。最初にきたときのおどおどとした態度は消え、いつの間にかリラックスした笑顔を見せるようになっていた。
「今度、豆を持ってきてもいいかなあ」
コーヒーカップに鼻を近づけて香りを楽しみながら、宥人が上目遣いにいう。
「あ、これもおいしいんだけど」
「わかってます。いいですよ、どうぞ」
「ほんとに?」
「せっかく機械入れたからって、最近、メニューにコーヒー入れたら、飲み終わりに注文するお客さんが増えて」
前の月にリニューアルしたメニュー表を差し出す。宥人はウイスキーやフルーツ盛り合わせといった文字が並ぶメニューを興味深げに眺めた。
「けっこう人気ですよ」
「そっか。自分の我儘で入れてもらったみたいで気が引けてたけど、よかった」
メニューごしに笑顔を向けてくる。決して美男子とはいえないが、宥人の笑顔には屈託がなかった。弁護士というと、狡猾で鋭い印象を持っていたが、宥人の持つ空気は柔和で、依頼人にも安心感を与えることだろうと思えた。もちろん、ここで見せる顔が彼のすべてだとは限らないが。
「そろそろ行こうかな」
コーヒーを3分の1ほど飲み終えたところで、宥人が腰を上げた。いつもどおり、千円札をカウンターに置いて、札の上にカップを乗せる。
「あ、ちょっと、宥人さん」
釣り銭を数えていた手を止めて、おれはカウンターを出た。非常階段へ出るドアの前で、宥人を呼び止める。
「なに」
「いや……」
この日はマスクをしていなかった。最初にここにきた日につくった傷は完治して、顔には痕も残っていなかった。
「最近はどう? その……」
「ああ、マオリ?」
マオリというのは5階の店で宥人が指名しているホストだかバーテンダーだかの男だ。おれに締められてからは、びびっているのか、基本的に4階には降りてこない。しかし、宥人が店にくる前にここに立ち寄っていることは知っているはずだった。
「暴力とかそういうことはないから、だいじょうぶ」
宥人の表情は相変わらず屈託がない。
「心配してくれてありがとう」
「べつに……」
「じゃあ」
宥人はおれに背を向け、階段を上がっていく。おれはドアをすこしだけ開けて首を伸ばし、軽やかな足取りで5階へ向かう宥人の背中を見送っていた。
あえて聞いてはいないが、宥人とマオリという男の関係はなんと形容するのが相応しいのだろう。ママによると、5階の店の料金形態はたいして高額ではないようだが、指名やらボトル料金やらのオプションがつけば、それなりの金額にはなるだろう。宥人が通う頻度は以前より明らかに増えていた。昼間は弁護士として働く彼がこれほど頻繁に夜更かしをして、体調を崩さないのだろうか。
そこまで考えて、またも他人の心配に無駄な時間をかけていることに気づく。ため息をついてコーヒーカップを洗った。1組目の客がドアを開け、おれは黒服モードに切り替えて笑顔をつくった。
週刊誌の記者は姿を見せなくなっていた。諦めたのか、ほかに手段を探しているのかはわからない。ひょっとすると、もう隠蔽工作をする必要はなくなったのかもしれないが、宥人は決まったルーティーンをこなすかのように定期的に店に足を運んでいた。
「善くん、これ、お土産」
いつもどおりの時間にやってきた宥人はふだんよりも大荷物で、土産の袋を提げていた。箱の表面には上品なフォントのアルファベットで『KYOTO』とある。
「京都行ってきたんすか?」
「そう。最近できたお店で、まだ東京にはきてないみたい」
「関西が先って、珍しいですね」
「最近は地方から攻めるパターンも多いみたいだよ」
フルーツをふんだんに使用したミルフィーユ。宥人は出張が多いようで、全国各地の珍しい土産を持参することも珍しくなかった。またそのセレクトが絶妙で、ホステスたちを喜ばせていた。
開店前に客を入れることがルール違反とはいわないが、本来なら営業時間中に正規の金額を支払ってクラブ遊びを楽しむものだ。しかし、ママは目を瞑ってくれていた。高価で貴重な土産ものはホステスたちへの貢ぎもののようなものだ。
「宥人さん、コーヒーにする?」
「うん。ブラックで」
「了解」
下戸の宥人のために、おれは自宅からコーヒーメーカーを持ち込んでいた。かなり前に店の忘年会でビンゴ大会の景品として入手したもので、ほとんどつかっていなかった。宥人はコーヒーが好きなようで、店のカウンターを喫茶店代わりにして和んでいるようだった。最初にきたときのおどおどとした態度は消え、いつの間にかリラックスした笑顔を見せるようになっていた。
「今度、豆を持ってきてもいいかなあ」
コーヒーカップに鼻を近づけて香りを楽しみながら、宥人が上目遣いにいう。
「あ、これもおいしいんだけど」
「わかってます。いいですよ、どうぞ」
「ほんとに?」
「せっかく機械入れたからって、最近、メニューにコーヒー入れたら、飲み終わりに注文するお客さんが増えて」
前の月にリニューアルしたメニュー表を差し出す。宥人はウイスキーやフルーツ盛り合わせといった文字が並ぶメニューを興味深げに眺めた。
「けっこう人気ですよ」
「そっか。自分の我儘で入れてもらったみたいで気が引けてたけど、よかった」
メニューごしに笑顔を向けてくる。決して美男子とはいえないが、宥人の笑顔には屈託がなかった。弁護士というと、狡猾で鋭い印象を持っていたが、宥人の持つ空気は柔和で、依頼人にも安心感を与えることだろうと思えた。もちろん、ここで見せる顔が彼のすべてだとは限らないが。
「そろそろ行こうかな」
コーヒーを3分の1ほど飲み終えたところで、宥人が腰を上げた。いつもどおり、千円札をカウンターに置いて、札の上にカップを乗せる。
「あ、ちょっと、宥人さん」
釣り銭を数えていた手を止めて、おれはカウンターを出た。非常階段へ出るドアの前で、宥人を呼び止める。
「なに」
「いや……」
この日はマスクをしていなかった。最初にここにきた日につくった傷は完治して、顔には痕も残っていなかった。
「最近はどう? その……」
「ああ、マオリ?」
マオリというのは5階の店で宥人が指名しているホストだかバーテンダーだかの男だ。おれに締められてからは、びびっているのか、基本的に4階には降りてこない。しかし、宥人が店にくる前にここに立ち寄っていることは知っているはずだった。
「暴力とかそういうことはないから、だいじょうぶ」
宥人の表情は相変わらず屈託がない。
「心配してくれてありがとう」
「べつに……」
「じゃあ」
宥人はおれに背を向け、階段を上がっていく。おれはドアをすこしだけ開けて首を伸ばし、軽やかな足取りで5階へ向かう宥人の背中を見送っていた。
あえて聞いてはいないが、宥人とマオリという男の関係はなんと形容するのが相応しいのだろう。ママによると、5階の店の料金形態はたいして高額ではないようだが、指名やらボトル料金やらのオプションがつけば、それなりの金額にはなるだろう。宥人が通う頻度は以前より明らかに増えていた。昼間は弁護士として働く彼がこれほど頻繁に夜更かしをして、体調を崩さないのだろうか。
そこまで考えて、またも他人の心配に無駄な時間をかけていることに気づく。ため息をついてコーヒーカップを洗った。1組目の客がドアを開け、おれは黒服モードに切り替えて笑顔をつくった。
