「善くん、地元どこ?」
「九州。福岡のはずれのほう」
 ホイルのなかで蒸し焼きになったキノコと醤油の香ばしい香りが漂ってきた。
「高校中退して、16でこっちきてからは、1回も帰ってないけど」
「ずっとひとり暮らし?」
「まあ、そう」
「えらいね。ぼくなんか22まで実家に居座ったよ」
「今はマンション?」
「さすがにこの年齢だしね」
「そういえば、宥人さん、いくつなんだっけ」
「36だよ」
「36!」
 思わず声を上げた。
「二十代だと思ってた」
 客に対するおべっかというわけではなく、正直な驚きだった。宥人が苦笑いする。
「貫禄がねえ、なかなかねえ」
 困ったような顔も少年っぽさを感じさせる。若く見られることを誇らしく思う人間もいるだろうが、宥人のような商売をしていると、むしろ依頼主に不安や不信を与えることになるのかもしれない。
「善くんは?」
「おれは今年26」
「ちょうど10ちがうのか」
「そうですね。宥人さん、36には全然見えないけど」
 おれはまだ驚きながら、網の上のホイルを箸の先で開いた。
「キノコ、もういいよ」
「うわあ、いい匂いだねえ」
 おれが箸でキノコをつかむと、宥人はうれしそうに両手で自分の皿を差し出した。そんなしぐさもいかにも無邪気で、笑ってしまいそうになる。
「うまいっしょ」
「ちょっと待って。まだ食べてない」
 ホイルに包まれていたために熱を吸収したシメジやエノキに息を吹きかけてすこし冷ますと、箸で摘まんで口に入れる。大仰すぎると思えるほど目を見開いて、大きく頷く。
「おいしい」
 おれもなんとなく得意な気分で頷き返す。さっきまでの剣呑な空気が消え、和やかな食事にもどっていた。おれははじめて東京で自分の金で食べた焼肉の味を思い出していた。何百、何千、何万回と食事をしても、あの味を忘れることはないだろう。
「いいなあ、これ。家でもつくれないかな」
「宥人さん、料理すんの」
「趣味程度にね……ああ、ごめん。なんの話だっけ」
 宥人が唐突に顔を上げる。
「なにが?」
 宥人の表情に再び戸惑いが混じる。眉間に皺を寄せて笑顔をつくる。
「話したいことあって誘ったんじゃないかと思ったんだけど……ちがった?」
「ああ、いや……」
 おれもキノコを口にはこびながら、首を横に振った。
「なんか……もういいかな」
「なに? 気になるけど」
「べつに、たいしたことじゃないっていうか……」
 おれは躊躇してしばらく黙っていたが、やはり話すことに決めた。
「テレビ、おれも見たんだけど」
「ああ……」
 宥人は恥ずかしそうだった。メディア出演をことさらに強調して自尊心を高めるタイプの人間でないことはわかっている。
「動画、探してみようと思って宥人さんの名前で検索してさ」
「え、そんなことしたの」
 おれは箸を置いてスマホを操作した。菊地宥人の名で検索すると、いくつものニュース記事とともにSNSのアカウントが表示された。
「ちょっと待って。本気で恥ずかしいんだけど」
 宥人は本名でSNSのアカウントを公開していた。プロフィールの写真も自身のものだ。所属する弁護士事務所の宣伝用の写真らしく、バッヂをつけて正面を向いたオーソドックスな証明写真だった。
 おれはSNSのアカウントを持っていないし、閲覧することもほとんどない。宥人のツイッターやインスタグラムのフォロワーがそれぞれ3万を越えていることには驚いたが、それがなにを意味するのかにまでは気が回らなかった。
 昨日の夜、店が終わってから、自宅アパートでひとりスマホをいじっていた。宥人のツイッターやインスタグラムにはエリート弁護士の優雅な生活をこれ見よがしに自慢するような投稿は皆無だった。タイムラインは裁判の状況や原告の主張を伝えるメッセージで埋め尽くされ、ときには自分自身の言葉として文字や動画で社会の不平等や権力の偏り、政治の腐敗について意見を述べていた。なかにはかなり厳しい論調も多く、ふだん店で見る宥人の顔とはまったくちがう顔がそこにあった。
「なんかイメージちがっててびっくりした」
 宥人は無言で微笑んだだけだった。こういうとき、なにもいわずに穏やかな表情を見せるというのは、並の精神力ではできないだろう。宥人は常に冷静で、知的だった。
「いい意味でだよ」
 おれは親指の腹でスマホの画面をスクロールした。画面上で、宥人が性的少数者の権利を主張している。動画は一時停止になっていて、宥人は中途半端に口を開いた状態で停まっていた。
「こういうのって、おれよくわかんないけど、宥人さん、有名なんだ」
「有名ってわけじゃないよ。変なのが湧いてくるだけで」
 さらにスクロールすると、宥人の主張に対する無数のコメントが表示される。弁護士として弱者に寄り添う姿勢に賛同するものもあったが、反対に、差別的な意見や悪辣な誹謗中傷も目立った。思わず顔を背けたくなるような下品な言葉や、宥人の容姿を揶揄するような表現も見つけられた。小さな画面のなかの世界で、宥人が差別主義者たちと真っ向から対決しているのが、デジタルに明るくないおれにもよくわかった。
「もういいって。恥ずかしいから」
「テレビでもそうだったけど、なんていうか……堂々としてて、すごいよね」
「べつにすごくはないでしょ」
 宥人が顔を赤らめる。本気で照れているようだった。おれは真顔で続けた。
「謙遜しなくてもいいじゃん」
「謙遜とかじゃなくて……もう勘弁してほしいな」
 宥人が両手で顔を覆う。おれはすこし笑って白菜キムチをつまんだ。