旧校舎。建てられたのは五十年以上昔のことで、木造建築のここは改装も追いついていない。
一歩進むごとに床は軋むし、たてつけが悪いのかどうなのか、戸も窓もすんなりとは開かない。いくつかの部活動はこの旧校舎を活動場所としてるけど、早く改築してほしいと毎年生徒が懇願するほど。
下校時刻はとっくに過ぎて、なんなら今頃、夕食にありついてることだろう。僕は三峰先輩の命令により、旧校舎のうわさ調査に引きずり出されているわけだ。お腹が空いてるのに、食欲はない。
窓が、ガタガタと揺れた。風が揺らしただけだったらしいが、僕の心臓はバクバクだった。床の軋む音一つ、足下をすり抜ける隙間風一つでも大げさなほどにいちいちおびえる僕をよそに、三峰先輩は平然と進む。
ときどき、僕の方を振り向く。僕自身が、ちゃんと命令通り着いてきているかの確認作業だ。その行為は心配が根っこにあるが、僕の心を案じてはいなかった。
蛍光灯がバチバチと明滅して、今まさに消えた。頼りになる灯りは携帯のライトくらいのものだ。
「白銀の蝶に、蜘蛛の標本なんて……」
ぽつりとこぼした。学校に広がっている噂は知っているが、この目で確かめたワケじゃない。これは悪い夢なのだと、自分に言い聞かせて、必死に正気を保とうとしてるだけだけど、心は信じる方へと傾いている。
「ここを見て」
三峰先輩が、僕に冷たく言い放つ。その言葉を聞くと胸が締めつけられて、ほんの少し息苦しくなる。
先輩は僕の命を一時的に支配していると言った。あんな、ロマンチックもへったくれもないキスのせいで、どうやら、僕の体は先輩に従うようにデータ更新されてしまったらしい。
見ろ、と言われた場所に、自然と視線が動く。美白を通り越して病的に青白い指先が、廊下の床に刻まれた亀裂を差している。
経年劣化でばっくり割れたそのヒビから、キラッと何かが光っていた。
もう少し目をこらしてじっと見つめると、真っ白な細い糸が何本も生えているのがわかった。
「何が視える?」
「何って、白い糸が……」
そう答えたが、ただの糸じゃない。僕の目は、これが蜘蛛の糸で、魔法みたいな力が宿っていると認識していた。どうしてわかるのか、僕にもわからない。
「糸は切れてる?」
「いや……一本だけ、向こうに伸びてる……」
「手がかりだ。糸をたどって」
背後で聞こえる三峰先輩の声に、僕がすっと立ち上がった。糸の伸びているのは、僕らの進行方向だ。数メートル先を見据えると、どこまでも続く暗闇と、風のうなり声があった。
糸の伸びる先をたどっていったら、どこに行き着くのだろう? 幽霊や都市伝説みたいな怖い話を信じるわけではないけど、本能はやめておけと告げている。
そっと後ろを向いてみたが、どこまでも冷徹な微笑みの三峰先輩は、無言で進めと命令している。僕に拒否権はない。行くしかないのだ。
心はいやだと叫んでいる。その心を踏み潰すように、僕の足はぎしぎしと勝手に動く。見えない糸で、人形のように操られているのだ。
一つ深呼吸をして、僕は観念して進みだす。
今にも切れそうなほどの細い糸は、暗闇の光を吸って、きらきらと輝いている。
おかげで見失わずに済み、糸の元までまっすぐに進める。
しかし、長い廊下を十メートルほど進んで、中央階段の付近まで来て、僕の足が止まった。
糸が不自然に枝分かれして、階段を今まさに降りようとしている人影に、複雑に絡み合っているのを目撃した。
僕はひっと短く悲鳴をあげ、ぱっと口をふさぐ。ここで叫び出して、何かよくないものを呼び出してしまわないか気が気じゃなかった。
「……?」
糸に絡みつかれている人影は、制服のスカートをひるがえし、ふらふらとそのまま階段に足をかけようとしてある。真っ暗な空間に慣れた目は、それが同級生だと認識した。後ろ姿で、誰かはわからないけど。
その動きはぎこちなく、操り人形のようにカクカクしていた。
危ないかもしれないとわかっていても、僕は放っておけなかった。
「あ……あの……」
驚かさないように、そっと肩を叩く。階段を一段降りた足がぴたりと止まり、カクカクと首を回す。
くるりと振り向いた彼女の顔と対面して、僕の心臓が跳ね上がった。
「ひ……っ!」
彼女には顔がなかった。目も鼻も口も耳さえも。
一歩進むごとに床は軋むし、たてつけが悪いのかどうなのか、戸も窓もすんなりとは開かない。いくつかの部活動はこの旧校舎を活動場所としてるけど、早く改築してほしいと毎年生徒が懇願するほど。
下校時刻はとっくに過ぎて、なんなら今頃、夕食にありついてることだろう。僕は三峰先輩の命令により、旧校舎のうわさ調査に引きずり出されているわけだ。お腹が空いてるのに、食欲はない。
窓が、ガタガタと揺れた。風が揺らしただけだったらしいが、僕の心臓はバクバクだった。床の軋む音一つ、足下をすり抜ける隙間風一つでも大げさなほどにいちいちおびえる僕をよそに、三峰先輩は平然と進む。
ときどき、僕の方を振り向く。僕自身が、ちゃんと命令通り着いてきているかの確認作業だ。その行為は心配が根っこにあるが、僕の心を案じてはいなかった。
蛍光灯がバチバチと明滅して、今まさに消えた。頼りになる灯りは携帯のライトくらいのものだ。
「白銀の蝶に、蜘蛛の標本なんて……」
ぽつりとこぼした。学校に広がっている噂は知っているが、この目で確かめたワケじゃない。これは悪い夢なのだと、自分に言い聞かせて、必死に正気を保とうとしてるだけだけど、心は信じる方へと傾いている。
「ここを見て」
三峰先輩が、僕に冷たく言い放つ。その言葉を聞くと胸が締めつけられて、ほんの少し息苦しくなる。
先輩は僕の命を一時的に支配していると言った。あんな、ロマンチックもへったくれもないキスのせいで、どうやら、僕の体は先輩に従うようにデータ更新されてしまったらしい。
見ろ、と言われた場所に、自然と視線が動く。美白を通り越して病的に青白い指先が、廊下の床に刻まれた亀裂を差している。
経年劣化でばっくり割れたそのヒビから、キラッと何かが光っていた。
もう少し目をこらしてじっと見つめると、真っ白な細い糸が何本も生えているのがわかった。
「何が視える?」
「何って、白い糸が……」
そう答えたが、ただの糸じゃない。僕の目は、これが蜘蛛の糸で、魔法みたいな力が宿っていると認識していた。どうしてわかるのか、僕にもわからない。
「糸は切れてる?」
「いや……一本だけ、向こうに伸びてる……」
「手がかりだ。糸をたどって」
背後で聞こえる三峰先輩の声に、僕がすっと立ち上がった。糸の伸びているのは、僕らの進行方向だ。数メートル先を見据えると、どこまでも続く暗闇と、風のうなり声があった。
糸の伸びる先をたどっていったら、どこに行き着くのだろう? 幽霊や都市伝説みたいな怖い話を信じるわけではないけど、本能はやめておけと告げている。
そっと後ろを向いてみたが、どこまでも冷徹な微笑みの三峰先輩は、無言で進めと命令している。僕に拒否権はない。行くしかないのだ。
心はいやだと叫んでいる。その心を踏み潰すように、僕の足はぎしぎしと勝手に動く。見えない糸で、人形のように操られているのだ。
一つ深呼吸をして、僕は観念して進みだす。
今にも切れそうなほどの細い糸は、暗闇の光を吸って、きらきらと輝いている。
おかげで見失わずに済み、糸の元までまっすぐに進める。
しかし、長い廊下を十メートルほど進んで、中央階段の付近まで来て、僕の足が止まった。
糸が不自然に枝分かれして、階段を今まさに降りようとしている人影に、複雑に絡み合っているのを目撃した。
僕はひっと短く悲鳴をあげ、ぱっと口をふさぐ。ここで叫び出して、何かよくないものを呼び出してしまわないか気が気じゃなかった。
「……?」
糸に絡みつかれている人影は、制服のスカートをひるがえし、ふらふらとそのまま階段に足をかけようとしてある。真っ暗な空間に慣れた目は、それが同級生だと認識した。後ろ姿で、誰かはわからないけど。
その動きはぎこちなく、操り人形のようにカクカクしていた。
危ないかもしれないとわかっていても、僕は放っておけなかった。
「あ……あの……」
驚かさないように、そっと肩を叩く。階段を一段降りた足がぴたりと止まり、カクカクと首を回す。
くるりと振り向いた彼女の顔と対面して、僕の心臓が跳ね上がった。
「ひ……っ!」
彼女には顔がなかった。目も鼻も口も耳さえも。
