「……変なの」
三峰先輩が、意外そうに呟いた。
「この姿は、きみの姉そのものだ。でも本物の姉は、今頃家でレポートを書いているだろう。今この場で、きみが僕を殴ったとしても、本物には何の影響もない」
「……だから、何」
「きみには、姉に擬態した僕を僕だと認識していただろう。つまり偽物だと見抜いている。なのに、何もしないのかい?」
もう、この人と話をするのもおっくうだ。同じ人間なんだろうか。出ていってほしいが、あいにく今はこの人と同室なのだ。一人になりたいなら僕が出て行くべきなのだろうが、それを阻止するように部屋の扉は開かない。それを踏まえていたのかそうでないのか、先輩はまた喋りだす。
「話を戻そう。師匠の命令遂行と、僕自身のために【蜘蛛】の根源を見つけて手中に収めたい。だから、この学校全体に魔法をかけて、閉じ込めた。それがすべてだ。おわかりいただけたかな?」
変身を説いた三峰先輩が、柔和に微笑んだ。貼りつけたようなその笑顔は、偽物みたいで気持ち悪い。
家の鍵は寮の鍵に変わっているし、鞄の底に埋もれていた携帯を確認したら圏外だった。電車に乗っている途中で姉からもらった他愛ないメッセージも砂嵐のように消えて、あんなにたくさん登録していた連絡先には、三峰魁のデータだけが保存されている。
「どうして、おれにそんな話をするんですか」
「きみが、僕の魔法を弾いているから」
言うと、先輩の手が、僕の肩に乗る。そしてそのまま後ろへと、力を込める。
僕は、腰かけていたベッドに押さえつけられていた。部屋の小さな灯りを後ろに受けた先輩の目が、やけに鈍く輝いて、底知れぬ恐怖が宿っている。
抜け出そうともがいても、彼の手から逃れられなかった。
「先輩……?」
「きみの現実は、僕が一時的に作り替えた。この学校では白銀の蝶が舞い、蜘蛛に絡め取られて顔を奪われるし、標本にもされる。そして学生寮があり、通信手段もほぼ途絶される。ここはそういうところになった。
きみがどれほどおかしいと声高にわめいても、誰も信じない。きみの精神に異常が発生したとさえ思うだろう。
……僕を除いてね」
先輩の端正な顔が、近づいてくる。ふいに目をそらそうとしたとたん、顎が彼の手にとらえられていた。その指先は、氷のように冷たい。
「本当は生徒も教員もどうでもいいんだけど……きみだけは特別だ。僕の魔法を弾くきみは非常に興味深い」
心臓が、深く深く疼いた。先輩が、僕に馬乗りになる。彼の重みのすべてが全身にのしかかってきたようで、少しだけ息苦しくなる。
「そして、その【特別】は僕にとって非常に大きな力になる。だから、僕の手の中にいなさい」
「何、勝手なこと……!」
がむしゃらに振り回した右手はあっさりと捕まり、軋みをあげたベッドの上へ組み敷かれた。手首を覆う先輩の手のひらは、しっとりしててさわり心地がいいのに、骨まで凍らせるような冷たさがまとわりついている。
「きみの【目】は強力だ。勝手に壊れても、僕のもとから逃れようとしても困る」
三峰先輩の顔が極限までに近づき、気がついたら唇に柔らかい何かが押しつけられた。
目を見開いて、今の状態を必死で冷静に確認する。
キスされている。冷たい唇が、僕の乾いた唇へぎゅっとのしかかった。
