僕の意識がはっきりして、ぼんやりしていた思考が冴え渡る。
一瞬だけ跳ね上がった心臓が疼き、僕の記憶のすべてが戻ってくる。
背中の傷を、彼は撫でる。ぴりぴりした痛みが消え、かわりにずくずくと熱く疼くような感覚がやってくる。背中が熱くて、近くの血管に、血ではない別の何かが惜しみなく注がれるようだった。
「すべての魔力を与えて、きみ自身が危険領域に陥っては世話ないだろう」
「あ、ぁ……」
僕を、ゆっくりとやんわりと引き起こしてくれる。
ようやく、彼の紺藍の目と再会できた。
「ありがとう、ミカ」
光峰魁無は、ふわりと微笑み、僕にありがとうのキスをした。
澄み渡る水の甘い香り。僕に触れる冷たい指先。不遜な微笑。
そして、光を帯びた紺藍の瞳。
「待たせてしまったね」
「か、いな……」
純粋で汚れのない竹岡翼ではない。
人の望む王子様を演じる三峰魁でもない。
僕の願いに応えてくれる、最低な魔法使い。
三峰魁無だ。
「カイナ……」
ああ、自分の唇からあんたの名前を再び呼べることが、こんなに心を喜びでいっぱいにするなんて思ってもみなかった。
でもカイナは一瞬ぎょっとしていた。
「なぜ泣く」
カイナの指が、僕の下瞼を拭う。気づけば僕は泣いていたようだ。
「背中の傷が痛むか? もう少し魔法の治癒で……」
「いや、痛くない。もう平気」
「じゃあ、僕との再会が、そんなに悲しいのか?」
「ちがうよ……嬉しいから泣いてんだよ……」
「うーん……人間の心はむずかしいな」
「これから学んでくれ」
カイナとの軽口のたたき合いも愛おしい。それどころじゃないのはわかってるけど、こうしてカイナと永遠に語り合えるという環境は恐ろしいほどに魅力的だ。
その誘惑を振り切って、この繭の檻から抜け出さなければならない。
「カイナ、ここから出ないと」
「わかっている。……ふむ、魔力によって紡ぎ出された繭か。材質はあの蜘蛛の糸で間違いなさそうだ」
カイナは檻の糸に触れる。きらきらと光る白い糸は、叩いたり刃物で斬ってもびくともしなさそうだ。
魔法というものを見破れる僕の目は、見抜けるだけで大した力になりはしない。
でも、それで充分かもしれない。
「カイナ、ここ」
「ん?」
僕から見て左側――カイナの右手側のある一点に、僕は気づく。
真っ白きらきらな糸の束の中に、一本だけ黒く染まる糸が隠れていた。
試しに指先で触れてみると、静電気に遭ったような感覚が走った。むやみに触れるな、とカイナが僕の手を包む。
「魔力の弱体化した箇所のようだ。この糸の魔力は松前先生から発せられているらしいが、一部、あの巨大蜘蛛の魔力も混じっていると考えられる。巨大蜘蛛は、竹岡翼の実際の記憶を抱えているようだが、もとはただの眷属。魔力は僕の……いや、去年弟子入りした弟弟子よりも及ばない」
比較対象がよくわかんない。
「つまり、どういうこと……?」
カイナはふわりとほくそ笑む。
「少し魔力を流せば簡単にほつれる」
カイナは黒い糸に指を充て、すっと押し込んだ。すると黒い糸がたちまち揺らぎ、周囲の白い糸を巻き込んで緩やかに解けていく。
僕らを包み閉じ込めていた繭、蜘蛛の糸は、真っ白から紺藍に染まり上がる。そう、ちょうどカイナの目みたいに。
変色した糸は僕らを解放し、繭から小さなピンポン球くらいの小さな玉に変わる。カイナの手のひらの上でふよふよ浮いて、そしてカイナの右手の中へと自ら沈んでいった。
僕らは、開かずの間に戻ってこれた……のか?
真っ暗な空間に、薄ら寒い空気に、巨大蜘蛛と松前の息づかい。
上体をかろうじて起こしたカイナに支えられながら、僕は外の世界へ帰ってきたことを理解した。
一瞬だけ跳ね上がった心臓が疼き、僕の記憶のすべてが戻ってくる。
背中の傷を、彼は撫でる。ぴりぴりした痛みが消え、かわりにずくずくと熱く疼くような感覚がやってくる。背中が熱くて、近くの血管に、血ではない別の何かが惜しみなく注がれるようだった。
「すべての魔力を与えて、きみ自身が危険領域に陥っては世話ないだろう」
「あ、ぁ……」
僕を、ゆっくりとやんわりと引き起こしてくれる。
ようやく、彼の紺藍の目と再会できた。
「ありがとう、ミカ」
光峰魁無は、ふわりと微笑み、僕にありがとうのキスをした。
澄み渡る水の甘い香り。僕に触れる冷たい指先。不遜な微笑。
そして、光を帯びた紺藍の瞳。
「待たせてしまったね」
「か、いな……」
純粋で汚れのない竹岡翼ではない。
人の望む王子様を演じる三峰魁でもない。
僕の願いに応えてくれる、最低な魔法使い。
三峰魁無だ。
「カイナ……」
ああ、自分の唇からあんたの名前を再び呼べることが、こんなに心を喜びでいっぱいにするなんて思ってもみなかった。
でもカイナは一瞬ぎょっとしていた。
「なぜ泣く」
カイナの指が、僕の下瞼を拭う。気づけば僕は泣いていたようだ。
「背中の傷が痛むか? もう少し魔法の治癒で……」
「いや、痛くない。もう平気」
「じゃあ、僕との再会が、そんなに悲しいのか?」
「ちがうよ……嬉しいから泣いてんだよ……」
「うーん……人間の心はむずかしいな」
「これから学んでくれ」
カイナとの軽口のたたき合いも愛おしい。それどころじゃないのはわかってるけど、こうしてカイナと永遠に語り合えるという環境は恐ろしいほどに魅力的だ。
その誘惑を振り切って、この繭の檻から抜け出さなければならない。
「カイナ、ここから出ないと」
「わかっている。……ふむ、魔力によって紡ぎ出された繭か。材質はあの蜘蛛の糸で間違いなさそうだ」
カイナは檻の糸に触れる。きらきらと光る白い糸は、叩いたり刃物で斬ってもびくともしなさそうだ。
魔法というものを見破れる僕の目は、見抜けるだけで大した力になりはしない。
でも、それで充分かもしれない。
「カイナ、ここ」
「ん?」
僕から見て左側――カイナの右手側のある一点に、僕は気づく。
真っ白きらきらな糸の束の中に、一本だけ黒く染まる糸が隠れていた。
試しに指先で触れてみると、静電気に遭ったような感覚が走った。むやみに触れるな、とカイナが僕の手を包む。
「魔力の弱体化した箇所のようだ。この糸の魔力は松前先生から発せられているらしいが、一部、あの巨大蜘蛛の魔力も混じっていると考えられる。巨大蜘蛛は、竹岡翼の実際の記憶を抱えているようだが、もとはただの眷属。魔力は僕の……いや、去年弟子入りした弟弟子よりも及ばない」
比較対象がよくわかんない。
「つまり、どういうこと……?」
カイナはふわりとほくそ笑む。
「少し魔力を流せば簡単にほつれる」
カイナは黒い糸に指を充て、すっと押し込んだ。すると黒い糸がたちまち揺らぎ、周囲の白い糸を巻き込んで緩やかに解けていく。
僕らを包み閉じ込めていた繭、蜘蛛の糸は、真っ白から紺藍に染まり上がる。そう、ちょうどカイナの目みたいに。
変色した糸は僕らを解放し、繭から小さなピンポン球くらいの小さな玉に変わる。カイナの手のひらの上でふよふよ浮いて、そしてカイナの右手の中へと自ら沈んでいった。
僕らは、開かずの間に戻ってこれた……のか?
真っ暗な空間に、薄ら寒い空気に、巨大蜘蛛と松前の息づかい。
上体をかろうじて起こしたカイナに支えられながら、僕は外の世界へ帰ってきたことを理解した。
