カイナのことは、ミカにしか見抜けない

 僕が糸で縛られて動けないあいだも、翼の記憶が三峰先輩の体に注ぎ込まれている。早く助けないと。手足に絡みつく糸を、無理矢理引っ張ったがびくともしない。
 この厄介な糸から抜けないと、彼を助けられない。僕がこうして無様にもがいている間にも、魁無には翼の偽の記憶が注がれる。
 このままでは魁無が魁無じゃなくなってしまう。自分が三峰魁無であることも見失ってしまう。
「くそ! くそ、くそっ!!」
 どれほど引っぱっても、歯で噛みちぎろうとしても、蜘蛛の糸は解けない。目がからからに乾いて、心臓がドキドキする。一分一秒も惜しいっていうのに、必死になればなるほど糸は複雑にもっと絡みついてくる。
 急がなきゃならないのに、蜘蛛の糸も松前も僕をあざ笑うかのようにコトを順調に進めている。
 どうしよう。どうしようどうしようどうしようどうしよう。
 このままじゃ魁無が危ない。彼を助けられるのは僕だけだ。この場で松前の魔の手を払いのけられるのは僕だけなのに。
 糸が絡みついてさえいなければ、何だってできるのに。
 僕がもがいている間にも、翼は、三峰先輩は松前によって偽物の記憶を植え付けられ続けている。どんな感覚があるのかはわからないけど、きっと苦しいはずだ。
 翼は松前に首を掴まれ、記憶の糸に体をぐちゃぐちゃにされて、歯を食いしばって、目をきつく閉じて、うめき声が漏れるのを必死で耐えている。
 彼が、ただ松前の仕打ちを黙って受けるしかない理不尽。
 いやなのに、抵抗することもできない無力感。
 喘鳴を漏らしながら、彼はかすかに僕の方へと手を伸ばす。
 震える指先が、確かに僕を探していた。
 震える瞼が上がり、光を失った黒い目が、一瞬だけ青色にきらめく。
「なみかわ、くん」
 翼の目が、魁無の目が、僕とぴったり合った。
 瞬間、僕の心がスッと冴えた。嵐が過ぎ去った晴れ空のように、どうすれば良いかわかんない気持ちが一瞬で吹き飛んだ。
 僕は視界の端に、蜘蛛の黒くて鋭い爪が入った。
 僕は迷わず、空いている手で掴んだ。重くて動かない爪を、顔を赤くしながら必死で持ち上げた。
 わずかに床から浮いたその爪の先を、僕の手に巻き付く糸へと思い切り振り下ろした。
 ブツンと、糸がいくつもちぎれる感覚。加減がわからなかったから、中の手にまで届いた。
 左手に鋭い痛みが走ったけど、左手を縛っていた糸は解けた。今度は両手で爪を持ち上げて、そのまま脚に絡んだ糸を断ち切った。
 手足が血だらけになるし痛みもあるけど、この際それは後回し。
 僕は松前の背中に、思い切り体当たりした。
「ぐあっ!?」
 松前は床に転がる。松前の体から、ぶわっと小さな糸の群れがあふれ出す。僕は松前を翼から無理矢理引き離せた。
 僕は今のうちに、彼に巻きつく糸を手で振り払う。無造作に振り回すと、糸に血がまとわりついた。
「しっかりしろ先輩! 立てる? ほかに怪我は?」
「ぅ……浪川、くん……?」
「今すぐここから出よう」
「だめだ……立てないし……おとうさんの儀式が……」
「ここにいちゃだめだ! 父親の言うことなんて気にしなくて良い!」
 椅子に力なく座り込んでいた翼の腕を僕の肩に回す。背中に背負おうとして思った以上に重たくて、僕の脚ががくっと膝をつきそうになる。踏ん張って立ち上がって、ようやく一歩を進められた。
「浪川……くん……」
 弱々しい翼の声が耳元で響く。
「血が……」
「? ああ、さっき……」
 蜘蛛の爪で糸を切った時のものだ。傷は深くないから放っておいた。
「ごめん、あんたを汚しちゃって。ここから出たらちゃんと綺麗にするから」
 彼は翼の、心配そうな眼差しで僕を見てくれる。穏やかで清らかで、ほんの少し目を合わせるだけで心がほっとする。