三峰魁の体に、三峰魁の精神は入っていない。代わりに竹岡翼の記憶がぎゅうぎゅうに詰め込まれて、魁をかき消した。
授業が終わり、僕はずっとお通夜状態だった。帰りのSHRがつつがなく終わり、みんな思い思いの場所へと移っていく。
だれも、僕に話しかけてはこない。ただ、青葉と羽室は心配してくれた。
「なあ、やっぱりお前何か調子が悪いんじゃないのか? 病院いったほうがいいぞ」
「なんなら付き添うし、先生にも相談してくるし」
「……ごめん。だいじょうぶ」
僕は机から立つ気力もない。空元気で無理やり笑い、二人を部活へと追いやった。教室には、僕だけが残された。
「あ、浪川」
教室を出たはずの青葉が、ひょっこりと顔を出す。
「職員室。松前先生がお呼びだぞ」
それだけいうと、青葉は今度こそ教室から離れていった。
行きたくない。青葉の伝言を聞かなかったことにして、寮の部屋へ逃げてしまいたかった。
なのに僕の体は勝手に動く。体の中に金属のからくりが入ってるみたいに、体の表面に蜘蛛の糸が絡み付いているように。
自分の意思とは関係なく、鉛のような重たい足が、職員室を目指していく。
この感覚は、三峰先輩の魔力による命令で動いていたときと似ている。
その命令を使いこなしていた三峰魁は、いまどこにもいない。足が重たい。というか、体全体が重たい。
それよりも、魁無がいないという現実が、僕の心を地球よりも重くする。
憂鬱な気持ちで、職員室の扉を開いた。放課後なのに、職員室にいるのは松前先生だけだった。
松前先生は、僕を応接室へ引き入れた。
竹岡翼のことで話を聞いたときから、この部屋は何も変わっていない。家具一つ変わってもいないし、トロフィーも歴代校長先生の写真もそのままなのに、応接室の空気はなんとなく淀んで、微かに香水のような甘い匂いがする。
席に着いた僕の向かいに、松前先生が座る。その顔色は険しい。冷静な目つきは、まるで僕を責める準備をしているかのよう。
「今日の自習時間、竹岡君に大声を上げたと聞きました」
「……」
「なんでも、存在しない生徒と彼を勘違いしたとか」
「存在しない生徒じゃないです! 確かにその人は……」
「浪川君」
反論を封じられる。静かな声には確かな強制力があった。
「私はね、浪川君。竹岡君の良き理解者として、友人としてふさわしいのは君だと思っているんだよ。今でもね。しかし、今日のことを考えると、少し見直さなければならない」
「……」
「君ならと思っていたが、どうやら私の買いかぶりだったのかな」
「であれば、今すぐにでも別の人に変えてください。僕は翼……君を助けることはできないんです」
「それも寂しい話だな。ここだけの話、竹岡君はきみのことを最も信頼しているんだ。私の期待を裏切るのは良いが、竹岡君の信頼だけは裏切らないようにしてほしい」
自分は良くても、翼のことだけは、ときた。きっと、良い先生なんだろう。僕にはそう思えない。
「……先生は、どうして彼をそんなに気にかけるんですか」
「先生だから、では不服かね」
「翼君と同じくらい、僕にも気にかけてくれたのなら、その理由も納得できました」
「これは耳が痛い」
松前先生は苦笑する。僕の皮肉はまるで効いていない。
「彼は長く入院生活で、学校に戻ることをずっと楽しみにしていたんだ。それこそ、学園だよりを擦り切れるまで読んだり、きみと一緒に過ごすことを夢見てね」
「でも、肝心の僕は、それさえ覚えていないというのに?」
「彼に対しての罪悪感かね? その心を背負う必要はない。いずれ君も思い出せる」
思い出すも何も、最初からそんな記憶は存在しない。
「竹岡君はひさびさの学校生活に、まだ慣れていない。誰かの助けは必要だ。もちろん、クラスの皆で少しずつ助け合うことを前提に、君にはより彼のそばに寄り添ってもらいたいんだよ」
「……蜘蛛の巣の噂もあるし?」
「そうだな。それもあった」
松前先生は無表情で目を細める。
「先生の気づかぬうちに、君には大いに負荷をかけすぎてしまったようだね。それはわれわれの落ち度だ。なるべく、負荷を分散しよう」
その後いくらか話を交わして、僕は応接室から解放された。
結局、何も変わってない。
魁無がいるのに、魁無がいない。
スマホを取り出してメッセージを確認してみる。姉との会話がいつの間にか表示されて、いつの間にか竹岡翼との会話がつらつらと更新されている。
でも。どれほど探しても、三峰魁とのメッセージは見つからなかった。
*
「浪川君」
寮に帰ろうと思った僕の背中に、竹岡翼が話しかけてきた。無視してやろうと思っても、体は勝手に彼の方へ向く。
「このあと、少し時間あるかな? どうしても、一緒に来てほしいところがあって」
「……今日じゃなきゃだめ?」
僕の問いに、翼は控えめにうなずく。
「まあ、予定はないし、いいけど」
ほんとは行きたくないけど、三峰先輩の顔で頼まれたら断れなくなる。
翼はぱっと笑顔を輝かせた。
「ありがとう、浪川君!」
「別に……。それで、どこに行くの」
翼は僕の手を取って、笑顔で答えた。
「とっておきの部屋」
授業が終わり、僕はずっとお通夜状態だった。帰りのSHRがつつがなく終わり、みんな思い思いの場所へと移っていく。
だれも、僕に話しかけてはこない。ただ、青葉と羽室は心配してくれた。
「なあ、やっぱりお前何か調子が悪いんじゃないのか? 病院いったほうがいいぞ」
「なんなら付き添うし、先生にも相談してくるし」
「……ごめん。だいじょうぶ」
僕は机から立つ気力もない。空元気で無理やり笑い、二人を部活へと追いやった。教室には、僕だけが残された。
「あ、浪川」
教室を出たはずの青葉が、ひょっこりと顔を出す。
「職員室。松前先生がお呼びだぞ」
それだけいうと、青葉は今度こそ教室から離れていった。
行きたくない。青葉の伝言を聞かなかったことにして、寮の部屋へ逃げてしまいたかった。
なのに僕の体は勝手に動く。体の中に金属のからくりが入ってるみたいに、体の表面に蜘蛛の糸が絡み付いているように。
自分の意思とは関係なく、鉛のような重たい足が、職員室を目指していく。
この感覚は、三峰先輩の魔力による命令で動いていたときと似ている。
その命令を使いこなしていた三峰魁は、いまどこにもいない。足が重たい。というか、体全体が重たい。
それよりも、魁無がいないという現実が、僕の心を地球よりも重くする。
憂鬱な気持ちで、職員室の扉を開いた。放課後なのに、職員室にいるのは松前先生だけだった。
松前先生は、僕を応接室へ引き入れた。
竹岡翼のことで話を聞いたときから、この部屋は何も変わっていない。家具一つ変わってもいないし、トロフィーも歴代校長先生の写真もそのままなのに、応接室の空気はなんとなく淀んで、微かに香水のような甘い匂いがする。
席に着いた僕の向かいに、松前先生が座る。その顔色は険しい。冷静な目つきは、まるで僕を責める準備をしているかのよう。
「今日の自習時間、竹岡君に大声を上げたと聞きました」
「……」
「なんでも、存在しない生徒と彼を勘違いしたとか」
「存在しない生徒じゃないです! 確かにその人は……」
「浪川君」
反論を封じられる。静かな声には確かな強制力があった。
「私はね、浪川君。竹岡君の良き理解者として、友人としてふさわしいのは君だと思っているんだよ。今でもね。しかし、今日のことを考えると、少し見直さなければならない」
「……」
「君ならと思っていたが、どうやら私の買いかぶりだったのかな」
「であれば、今すぐにでも別の人に変えてください。僕は翼……君を助けることはできないんです」
「それも寂しい話だな。ここだけの話、竹岡君はきみのことを最も信頼しているんだ。私の期待を裏切るのは良いが、竹岡君の信頼だけは裏切らないようにしてほしい」
自分は良くても、翼のことだけは、ときた。きっと、良い先生なんだろう。僕にはそう思えない。
「……先生は、どうして彼をそんなに気にかけるんですか」
「先生だから、では不服かね」
「翼君と同じくらい、僕にも気にかけてくれたのなら、その理由も納得できました」
「これは耳が痛い」
松前先生は苦笑する。僕の皮肉はまるで効いていない。
「彼は長く入院生活で、学校に戻ることをずっと楽しみにしていたんだ。それこそ、学園だよりを擦り切れるまで読んだり、きみと一緒に過ごすことを夢見てね」
「でも、肝心の僕は、それさえ覚えていないというのに?」
「彼に対しての罪悪感かね? その心を背負う必要はない。いずれ君も思い出せる」
思い出すも何も、最初からそんな記憶は存在しない。
「竹岡君はひさびさの学校生活に、まだ慣れていない。誰かの助けは必要だ。もちろん、クラスの皆で少しずつ助け合うことを前提に、君にはより彼のそばに寄り添ってもらいたいんだよ」
「……蜘蛛の巣の噂もあるし?」
「そうだな。それもあった」
松前先生は無表情で目を細める。
「先生の気づかぬうちに、君には大いに負荷をかけすぎてしまったようだね。それはわれわれの落ち度だ。なるべく、負荷を分散しよう」
その後いくらか話を交わして、僕は応接室から解放された。
結局、何も変わってない。
魁無がいるのに、魁無がいない。
スマホを取り出してメッセージを確認してみる。姉との会話がいつの間にか表示されて、いつの間にか竹岡翼との会話がつらつらと更新されている。
でも。どれほど探しても、三峰魁とのメッセージは見つからなかった。
*
「浪川君」
寮に帰ろうと思った僕の背中に、竹岡翼が話しかけてきた。無視してやろうと思っても、体は勝手に彼の方へ向く。
「このあと、少し時間あるかな? どうしても、一緒に来てほしいところがあって」
「……今日じゃなきゃだめ?」
僕の問いに、翼は控えめにうなずく。
「まあ、予定はないし、いいけど」
ほんとは行きたくないけど、三峰先輩の顔で頼まれたら断れなくなる。
翼はぱっと笑顔を輝かせた。
「ありがとう、浪川君!」
「別に……。それで、どこに行くの」
翼は僕の手を取って、笑顔で答えた。
「とっておきの部屋」
