カイナのことは、ミカにしか見抜けない

 竹岡翼がやってきてから数日。僕はその世界に慣れずにいた。
 寮はさすがに別の部屋だった。何でも、学校をしばらく離れていたから、先生と先輩のフォローをしてもらってるんだとか。
 もともと二人部屋だったところを一人で使うとなると、やっぱり広く感じる。窮屈さがなくなってラッキーだとも思わない。
 狭いベッドで、手足をくっつけて笑いながら眠った一夜が遠い過去のようだ。
 授業にも休み時間にも慣れない。魁先輩の皮を被った翼になじむこともできない。
 竹岡翼は、アイスハーブティが好き。コーヒー牛乳は得意じゃない。
 数学よりも地理が得意。誰かが怪我をしたら、まっさきに駆けつける。
 僕のことを浪川君、と呼ぶ。その声に裏表はない。
 堂々と胸を張ることはないけど、代わりに控えめでおとなしい。
 皆に遠くから憧れの眼差しを向けられたりはしない。代わりに、みんな近くに集まって、気軽に話をしにいく。
(全然、魁無じゃない)
 僕が魁無と名づけた魔法使いと正反対。
 それが余計に許せない。
 三峰先輩が、自我を歪ませるくらいに竹岡翼になりすましてるなんて思えなかった。
 三峰先輩だと、僕の目ははっきり認識している。皮肉なことに、精神は竹岡翼だと証明してしまった。
「浪川君」
 と、休み時間やらなにやら、自由な時間には必ずといっていいほど僕を呼ぶ。
 今日のLHRもそう。各自自由時間といいう名目。僕は堂々と抜け出すつもりだったけど、翼に捕まってしまった。
「問題集の問題がわからなくて……見てもらえるかな?」
「……いいけど、数学は得意じゃなかった?」
「ううん。いつも赤点ギリギリ」
 翼が僕へと机を寄せて、半ば無理矢理やってくる。こういう強引なところは三峰先輩なのに……。
 賑やかな教室で、僕は翼に考え方を教えていた。甲斐あって翼もようやく解けたらしい。
「ありがとう、浪川君」
「べつに」
「教え方が上手だね。将来は先生かな」
「いや、あんまり考えてない」
「浪川君なら、何にでもなれるよ。学校の先生もいいけど、幼稚園の先生も似合いそう。カウンセラーとかもいいんじゃないかな。きみは、ひとの話を聞くのが上手だから」
 翼との会話は、途切れない。
「……なあ、どうしておれに関わるの」
「え?」
 無意識に、僕の言葉は棘を伴う。
「ほんとにごめんなんだけど、おれはあんたと一緒に過ごした覚えがない。たぶん本当なんだろうけど、全然覚えてない。それくらい、おれはあんたのことをどうでもいいって考えてる」
「……そっか」
 寂しそうに笑う翼は、それでも会話を途切らせない。
「天文部だって、おれはただのヒラ部員で、毎月の天文部だよりのコピーとか、部室の掃除とか、そういう雑用ばっかりやってた。あんたと組んで、プラネタリウムのイベントやったとか信じられない」
「でも、ほんとだよ。ほら」
 翼のスマホ画面が、目の前にやってくる。写真だ。
 学校のプラネタリウムで、僕と翼が機材の確認をしている。誰が撮ったのだろう。顧問の松前先生か、部長の大原先輩?
 翼が画面をスライドさせて、たくさんの写真を見せてくる。ピンボケしてて、どれも翼の顔がぼやけている。
 でも、イベント運営をしている撮影であることはわかった。どの写真にも、僕と翼が映って、最後の一枚は笑顔を向けている。
 そんな記憶、僕にはないんだ。
「浪川君が忘れていても、僕は覚えてるよ」
 スマホを大切そうにしまう。その表情は、本当に僕との思い出を大切にしているようで、演技だとか嘘には見えなかった。
 魁無は、本当にいなくなってしまったのだろうか? 目の前にいるのは、紛れもなく魁無なのに。
 屈託のない微笑みが、魁無と重なる。
 やめろ、その笑顔は魁無だけのものだ。
「……勉強、おれじゃなくてほかのヤツに聞いた方がいいんじゃないのか」
「そんなことないよ。それに、もうみんなからはたくさんもらってるから」
 翼の、傘を差したペンギンのクリアファイルには、たくさんのプリントが丁寧にしまわれていた。今までのノートのコピーらしい。
 かわいい感じのクリアファイルなんて、あの人なら絶対に選ばない。自分の好きなものを、これから探そうとしていたひとが、こんな簡単に何かを選ぶはずがない。
「浪川君……もしかして疲れてる?」
「え」
「ここんところ、ずっと元気がないから。勉強がんばりすぎたのかな。今日、苦手な体育もあったもんね。きみはなんでも真面目に取り組むから……」
「……ちがう」
「うん?」
「ちがう……おれは、そんな人間じゃない……!」
 翼が目を瞬いた。
「おれはいつだって不真面目だった。高校受験の勉強が辛かったから、高校に入ったら勉強なんて適当にやるくらいのダメ学生でしかない」
 そうさ。毎日コツコツ勉強するのは、毎日ちょっとずつの量で苦しくないからだ。
「部活だってそうだ。プラネタリウムがきれいだったから入っただけで、自分で何かしたいわけじゃない……! おれは優しくもなんともない……!」
「そんなはずないよ」
 否定する翼の言葉が、僕の胸を突き刺す。彼の手は冷たいはずなのに、しっとりと温もりが感じられる。
 嘘っぱちだ。お前は魁無じゃない。
「浪川君、やっぱり疲れてるんだ。かわいそうに……」
 ぷつりと、僕の中で糸が切れた。
 がたんと思いっきり席を立った。胸の奥から激情がこみあげてきて、せき止める理性が砕ける。
「おれは! あんたの思ってるようなきれいな人間じゃない!!
 あんただって、外面はきれいでも、中身はどうしようもなく焦げついてるだろうが!
 おれの知ってるあんたはそんな奴じゃなかった! あんたはハーブティなんて飲まないし勉強で赤点なんて取らない!!」
 教室内は、僕の怒号しか響かない。
 僕はすがるように、翼の肩を強く揺さぶった。
「もう演技はやめてくれよ! あんたはタケオカツバサなんかじゃない!! あんたは、あんたは!!
 三峰魁だろうが!!」