カイナのことは、ミカにしか見抜けない

 洗い立てのシーツをベッドに取り付けるのがうまくいかなくて、明日にしようと投げた。
 いや、面倒なのは建前で、彼のやりたいことを叶えてあげたくなったのだ。
「おれの名前? 好きに呼んでいいですよ。まあ……かっこ悪くなければ何でも」
「だが、存外難しいな……浪川も愁も、誰かがすでに呼んでいるし……」
 先輩は真剣に悩んでいる。冷蔵庫にしまっておいたポカリをコップに注いであげた。ポカリを飲み干した先輩は、弾かれたように思いついたらしい。
「……ミカ」
「ん?」
浪川(ナミカワ)の中の文字を取って、ミカ」
「……なんつーか、女の子っぽい」
 でも、ミカと呼ばれたことはない。名前の、しかも苗字の中の文字から取るとは、またセンスがあるのかないんだか。
 不思議と、僕に笑いがこぼれてくる。ミカという名前、かわいらしい感じもするが、なぜかしっくりくる。
「あははっ、じゃあ、おれも。先輩に、おれの【ナ】をあげる。浪川からナをとったから。
 カイナ」
 三峰魁に、さっき取られた【ナ】をつけて、三峰魁無(ミツミネカイナ)
 彼は――カイナは、どうだろうか。
 気に入ってくれるか心配していたが、魁無と呼ばれた彼は、花が咲き誇るように微笑んでくれた。
 心なしか、青紫の瞳がより深い色に染まって、紺藍になる。
 頬を赤らめた魁無から、澄み渡る水の香りが漂う。
 お香の焦げつく匂いでも、花の蜜の匂いでもない。
 穏やかな香りが、部屋に満ちていく。
 不思議と、懐かしい気持ちになる。この香りの主が、僕に安らぎを与えてくれる。
「カイナ……魁無か。いいな、さっそく」
 と、魁無は鏡の前に向かう。
「あなたはだあれ?
 僕は、三峰魁無」
 名前を気に入ってくれたようで、魁無が何度も鏡に向かって答える。
「寝よう、魁無先輩」
「うん、ミカ」
 下段ベッドのシーツはまた明日にするとして。
 どういうなりゆきか、僕は先輩と上のベッドで一緒に寝ることになった。
 落ちないように、お互いの身を寄せ合って。狭いけれど、嫌な感じはしない。
 ぴったりくっついていると、魁無の体温が伝わってくる。凍りつくような冷たい肌を、僕の体温でほんのり熱を帯びる。
「おれとふたりだけのときは、いつでも呼ぶよ、魁無」
「そうしよう、ミカ」
 指を絡め合って、足をくっつけて。くすぐったくて、笑いがこみあげてくる。
「ミカ。ミカ」
「ん、どしたの、魁無?」
「……いや、きみをミカと呼ぶのが、うれしくって」
「なんだそれ」
 魁無は僕をぎゅっと胸に抱きよせる。お気に入りのぬいぐるみを抱っこしているみたいだ。
 僕は魁無を、魁無は僕を、おたがいだけが呼べる名で呼び合っていると、いつの間にか二人とも夢の中へと落ちていく。
 胸がいっぱいに幸福であふれて、いまだけはおかしな世界も、噂のことも、忘れられた。
 不謹慎だとわかっていたけれど、魁無と過ごすこの時間がいつまでも続くなら、学校が閉じたままでもいいと思えた。

 ――でも、そんなうたかたみたいな願いは、突然崩れ去ることになった。