カイナのことは、ミカにしか見抜けない

 先輩はぱちくりとまばたきして、ふっと笑った。
「そんなこと言うの、きみが初めてだよ」
「だって、だれもあんたのこと心配してない。あんたの持つ力ばっかり見て、あんた自身を見てくれない。
 そんなの、つらいじゃないか」
 先輩ほどじゃないが、僕にも覚えはある。
 中学三年になったころ、思うように成績が上がらなくて、両親にずっと怒られてた。
 二人とも、僕のテストの点数しか見えてなくて、心配という名目でずっと僕を責めてた。
 点数が一つ下がっただけで、僕の存在価値は百も二百も下がったかのように怒鳴った。
 嫌になって、一度だけ学校をサボった。父も母も嘆いた。
 ただひとり、夏菜姉ちゃんだけは怒らなかった。サボっても何も口出しせず、ただ僕の好きなものを差し出してくれた。
『じゃーん、リンゴジュース! 最近さ、愁としゃべる時間がなくて寂しかったんだ〜』
 その言葉に、どれだけ救われただろう。
 僕には姉がいてくれて、姉に救ってもらった。
 でも、あんたは?
 三峰魁になる前も、なった後も、だれも救おうとしない。
「そんなふうに言ってもらえて、奇妙な気分だ。体温が上がったわけでもないのに、胸が温かい感じがする」
「それ……嬉しいって言うんだよ」
「うれしい……そうか、これが嬉しいなのか」
 先輩は、新しいものを見つけた子どものように、ささやかにはしゃいでいる。
「もし、先輩がこのうわさを解明したら、その後はどうするんですか?」
「師匠のもとに帰るだろう。そして、また次の魔法を探していく」
 遠くを見るようなその目は、何かを求めているようでもあった。
「……じゃあさ」
 僕は先輩の手から、そっと湯飲みを取る。
「お師匠さんのことは一旦隅に置いといてさ、先輩自身は、何かしたいこと、ある?」
 え、と。先輩は虚を突かれたようだ。
 僕は彼の手を取り、包み込む。冷たい手に、少しでも温もりが与えられてたらいいな。
「そう、だな……。まずは、味のわかる食事をしたい」
「味、わからないんですか?」
「味覚はちゃんとある。でも、そのどれもが変身した人物の好みとして処理されるから、僕自身の好みは考えたことがないんだ」
「……」
「幸い、アレルギーはないし、好き嫌いはないよ。何でもおいしく食べるように訓練したから。でも、一度くらいは……きみのくれたコーヒー牛乳の味とか、きみの好きなりんごジュースとか、僕自身が味わってみたい」
「……そっか」
「それから……一日じゅう、ずっと、僕のままでいたい。三峰魁でも、変身した誰かでもなく、朝に目が覚めたらただの僕で、夜眠る時も僕でありたい」
 僕にとっては普通のことだけど、彼にとっては貴重で得難いことなのだろう。
「それと、きみと歩いてみたい」
「いつもやってるじゃないですか」
「歩調を合わせて、一緒に歩くことはなかっただろう? いつも僕が先行するか、きみに斥候させるかだった。きみのとなりで、お互いの歩みを合わせて……そうだな、町中を目的もなく歩いてみたくなった」
「やりましょうよ。街歩き楽しいから」
「それから、それに……困ったな。きみと一緒にしたいことがどんどん増えてくる。魔法どころじゃなくなってしまった」
「いいじゃないですか。この調子でどんどん見つけようよ」
「い、いいのだろうか……欲張りになってしまう……」
「欲張りでいいんだよ。誰も傷つかない、やりたいことばかりじゃないか」
 スマホのアラームが鳴った。ランドリーが終わったようだ。
 僕は先輩の隣で、ゆっくりとランドリールームへと歩く。
 先輩の背中を追うでもなく、僕が先陣きるでもなく。
 ときどき肩をぶつけ合いながら、十メートルほどの距離をゆっくりと。
 無人のランドリーで、洗濯物を取り出していると、「あ」と先輩が声を漏らした。
「もう一つ、やりたいことができた」
「ん、なに?」
 ランドリーバッグを二人で持ちながら、部屋に戻る。
「僕だけが呼べる、きみの名を呼びたい。
 きみだけが呼べる、僕の名が欲しい」
 ちょうど、僕らの部屋に入った直後に、先輩は言った。