カイナのことは、ミカにしか見抜けない

「浪川君」
「……? 松前先生?」
 僕に声をかけた先生は、目の下にクマを作って、全体的にどんよりしている。ちゃんと食事をとれているのか不安だ。もしかしたら眠れてもいないのかも。手とか首とか血管浮いてるし。
「少し、書いてもらいたいプリントがあるので、応接室に来ていただけますか?」
 僕は首を傾げたものの、先生の後ろをついていく。
 教室を出て、職員室となりの応接室。ふかふかの高級そうなソファと、つやつやのガラステーブルが置かれている。
 壁に置かれたガラスケースにはたくさんのトロフィーが並べられて、のぞき込むと僕の顔が映る。
 その中に一つだけ、銀色のトロフィーがあった。なんだろうと思って結ばれたリボンを確認すると『生物魔法大会 一位 竹岡翼』と書かれていた。
 覚えのない、日常とはかけ離れた存在が紛れ込んでいるのはもう驚かないけど、やっぱり慣れるものではない。薄ら寒さがある。
「おまたせしました」
 そういうと、松前先生は温かい緑茶を差し出した。その隣に、数枚のプリントごそっと置かれる。
「折り入ってお願いがあります」
「……何でしょうか」
「竹岡君のことです」
 僕は黙って、プリントを手に取った。
「ご存知の通り、竹岡君はしばらく入院中でした。そのため、学校の授業はもちろん、クラスの環境に慣れるのにも時間がかかります。したがって、誰かのサポートが必要です」
「それがおれ……いや、僕なんですか?」
「その通り。浪川君、君は竹岡君と仲が良かったと聞いています。中学も同じだそうですね」
 そんな記憶はない。同じ中学だった生徒はいるけど、その中に竹岡という生徒はいなかった。別のクラスだったのかもしれないけど。
「頼ってもらえるのは嬉しいですけど、僕にできるかわかりません。正直な話、竹岡君のことは今の今まで忘れてたし、中学だってクラスが違った……と、思うので」
「ですが、竹岡君は君のことを頼りにしています。先週、病院に行って彼と会ってきました」
 僕はどきっとした。病院にいるのか? 実在する?
「彼は浪川君のことを話していました。入学してすぐに入院してしまって、学校に戻るのは不安だけど、浪川君がいるなら大丈夫だと」
 松前先生は淡々と喋る。
「このプリントは、竹岡くんが入院中に書いていたものです。本人の許可をもらって持ってきました」
 ざっと目を通して見ると、学校に戻ったらしたいことを箇条書きにまとめたものだった。筆跡は、あの日記と同じ。
 プリントの上のアルバムには、竹岡翼の写真が閉じられている。開かずの間で見つけた、写真の少年と同じだ。
 僕の頭のなかで、パズルのピースがはまっていく。あの巨大蜘蛛の顔の少年は、開かずの間の写真の少年と同じで、目の前のアルバムの少年と同じ。
 筆跡も、あの日記と目の前のプリントと同じ。
 でも、プリントからは何だか生ぬるい匂いが感じられた。これも魔法の痕跡なのだろうか。
「彼は礼儀正しく、友人思いの良い子です。どうかよろしくお願いします」
 書いてほしいプリントというのは建前だったのか。
 と、松前先生が頭を下げた。僕に、ひとつの疑問が浮かぶ。
「松前先生は、竹岡君にそこまでするのは何でなんですか……?」
「先生は生徒のことを第一に考えるものだからね」
「……すみません。先生ってもっとドライだと思ってたから」
「先生というのは、人によるものだろうし、君の考えも間違ってはいない。だが、私はできる限り、生徒に寄り添いたいんだ」
「そんなふうに考えてくれる先生がいて、彼は……」
 幸せものだろうな。と、言いかけて。
 目の前に、白銀の光が通り過ぎた。
 ハッとして顔を上げて、周囲をうかがう。白銀の蝶が現れたのかと思って一瞬跳ね上がった心臓は落ち着いた。
「どうかしたのかい?」
「あ、いえ……羽虫がいた気がして……でも気のせいでした」
「白銀の蝶を見たら、標本になる。飛ぶモノが視界に入ったら、神経質になるのも無理はない。
 長居させてすまなかったね。プリントはお渡しできないが……これから部活かい?」
「……いえ、今日は帰ります」
 僕は応接室を出た。背後で、鱗粉のサラサラした音が聞こえた気がした。