カイナのことは、ミカにしか見抜けない

 ってか、先輩は熱があるんだ。体調を大いに崩している先輩に、余計な負担をかけてはいけない。僕は反省した。
 夕食を適当に済ませた僕は、開かずの間で手に入れたノートの一冊に手を伸ばした。
 見た目はただのノートだ。僕らが授業で使うものと変わらない。一つ気になるのは、名前も教科も書いていないということ。
 古びたノートの表紙をめくる。そのなかに、蜘蛛の顔の少年の手掛かりがあるかもしれない。
 一ページ目。意味もなくドキドキしたけど、ページに丁寧な字が書き綴られているだけで、特におかしな所はない。
『三月二十日。卒業式。三年間通った学校が今日で終わる。
 お母さんがきてくれてたけど、お父さんは仕事が忙しいって来れなかった』
 日記のようだ。一日一ページ。
 流し読み感覚で見てるけど、この日記の主――おそらく、蜘蛛の顔の少年は、父親との関係が薄かったようだ。
 学校行事はいつも母親がきて、家でも父親と顔を合わせることはなかった。
 たまに帰ってきてくれるけど、一緒に会話や趣味のキャッチボールよりも、成績のことばかり聞かれる。
『中間テストの成績が上がった。お父さんは褒めてくれた。お母さんも喜んでくれた。
 もっとがんばらないと。僕ががんばれば、お父さんもお母さんも、きっともっと一緒にいてくれる』
 胸が締めつけられる。先輩の安眠の邪魔にならないように、灯りを落とした。
『お父さんと一緒に出かけた。初めてのお出かけだからわくわくしたけど、ちっとも楽しくなかった。
 お父さんは僕に、いろんなことを教えた。
 学校で習ったこともないことだった。
 生き物を従わせる魔法って言ってた』
 僕の目が、その一文に止まる。
 魔法? 日記の持ち主も魔法を認識しているのか。
『今日もお父さんと一緒に、学校へ行った。お休みの日の学校って、先生も生徒もあんまりいなくて、変な感じ。
 今日は電柱に止まった雀を従わせた。でも、途中でうまくいかなくて逃げられてしまった。
 お父さん*********』
 文字の上に、がりがりと鉛筆で塗りつぶされて読み取れない。次のページをめくるが、ここから先は真っ黒に塗られて判読不可能だ。
 もしかしたら、次のノートもそうなのかもしれない。二冊目のページに入ろうとしたけど、その上に乗せた写真に自然と手が動いた。
 写真立てのネジを外す。写真を抜き取って、裏側を確認してみた。

『お父さんと。
 竹岡翼』

「――たけおか、つばさ?」
 僕は、ふとその名前を口にした。その瞬間、喉に温い液体が流れ込んできたかのような、気持ち悪さを覚えた。吐き気はないが、竹岡翼という名前を声に出すと、体の中で妙な拒否反応が出る。冷や汗が出たり、意味もなく指先が震えたり。
 何より、ノートも写真の調査をする気力が無くなる。二冊目のノートに伸ばした手が、鉛のように重かった。
 僕は体中にまとわりつく異様な空気を洗い流したくて仕方がない。部屋のシャワーで、皮膚が赤くなるほどに体を洗った。
 髪を乾かすのもおっくうで、先輩の方のベッドへ転がる。
(竹岡翼……それが、蜘蛛の顔の少年の名前……?)
 その考えをより深く巡らせる気力もなく、ベッドに横になった瞬間僕は泥のように眠った。