カイナのことは、ミカにしか見抜けない

   *

 真っ白のノートをカバンにしまうと、後ろの席の羽室が、ひらひらと手を振りながら僕の教室にやってきた。そうか、部活の時間だった。
「よ、浪川」
「おつかれ、羽室。部活行く?」
 羽室と他愛ない話をしながら、特別棟に向かう。我らが天文部のためにしつらえられたプラネタリウムは、学校どころかこの地域ではちょっとした名所だ。
 特別棟一階の突き当たり教室のドアを開こうとして、「浪川くん」と後から知らない人の声が聞こえた。
 振り向いた僕は一瞬、息を止めた。
 僕を呼び止めたのは、朝にすれ違った銀髪の男子生徒だったからだ。
「今日の天文部はお休みなんだ」
「……え?」
「まじすか、三峰(みつみね)先輩」
 横の羽室は当たり前のように会話に入ってくる。
「標本事件があっただろう? それで各部活は自主的に休部となったんだ。伝えるのが遅くなって悪かったよ」
「そすか〜。課外活動の準備もしてたんだけどな〜」
 いやいや。いやいやいや。羽室は自然に接してるけど。
 おかしくないか?
 この人、いつからこの学校にいるんだ?
 僕が入学してようやく三か月目に突入しようとしたばかりだろ。この間に転校なんて話は聞いてないし、人数の少ない学校だから、必ずどこかで一度はすれ違うはずだ。その記憶がない。
「……浪川君?」
 三峰と呼ばれた先輩が、心配そうにこちらを見やる。その目は濃い青紫色をしてて、どこか日本人離れしたカラーに染まっている。銀色に近い真っ白な髪と相まって、絶対に目を引く存在で、微笑みはさわやかでおっとりしてて、僕が女子生徒だったら目がくらくらするほどうっとりしているだろう。
 でも僕は神々しさとは別の、正直言って恐怖を持った。背中に冷えた汗が伝う。
「……あんた、誰なんですか?」
「うん?」
 三峰先輩が首をかしげた。
「昨日まで、あんたが天文部にいるのを見たことがなかった! おれの記憶にあんたなんていない! 何者なんだよ! 何が目的で!」
 三峰先輩に飛びかかった僕を、羽室が引き剥がした。
「落ち着けよ浪川! 三峰先輩は一年の頃から天文部にいたし部長だぞ? 入学式後の部活紹介で見たじゃん」
「…………は? え?」
 羽室の言葉に、自分の耳を疑う。入学式はともかく、部活紹介なんてプログラムはなかった。記憶をどれだけ掘り起こしても、見つけ出せない。
「覚えてないの? 一緒に特別棟のプラネタリウム行って、入部届出したじゃん。仮入部んときも三峰先輩が案内してくれたし」
「そんなわけない! おれはこいつと初めて会った!」
「先輩にこいつとか失礼だろが」
 羽室のなだめる言葉は、僕の火に油を注ぐだけだ。
 おかしい。変だ。何かが狂ってる。
 でも、この場でおかしいのは僕の方だった。羽室は困ったように、僕には存在しない記憶を語るが、嘘をついてるということでもなさそうだ。三峰先輩とやらは笑っているだけで、恐れも驚きもしない。
 異物の存在は三峰魁というひとだけなのに、まるで僕のほうがおかしくなったかのように、世界が動いている。
「良いんだよ、羽室君」
 三峰先輩が、羽室の肩をぽんと叩いた。
「彼は級友の青葉君が標本になって、少し動揺してるだけなんだ」
「まあ、そうかも知れないすけど」
「浪川君のことは僕に任せてくれるかな。一年生の寮まで送るよ」
「寮!? この学校に寮なんて……」
 僕の言葉を遮るように、僕の手の中がチャラリと音を立てた。恐る恐る右手を開くと、鍵が握られている。ホルダーには「R-171」とマジックで書かれていた。何かの暗号だろうか。黒猫のキーホルダーは言えの鍵につけていたはずなのに。
「浪川君は、寮までの道のりが少し不安のようだからね。僕も同じ寮だし、ここは任せてくれるかな、羽室君」
「うーん、三峰先輩が言うなら……。じゃあな、浪川。あんまり先輩を困らせちゃだめだぞ、お先に!」
 羽室は手を振って、そのまま帰っていった。