カイナのことは、ミカにしか見抜けない

「でも……」
「行ってどうなる。あの蜘蛛の傷はほとんど癒えている。僕の魔法も一度見られている以上、同じ手は通用しない。ましてや、魔法どころかまともに動けないきみが飛び出したところで、何ができる?」
 冷たくて低い、心地いい声が、僕のやわらかい心を突き刺した。
 先輩の言うとおりだ。僕には何もできない。
 でも、それを放っておけない。青葉の時のように、勇気と無謀を持って駆け出せたらよかったのに。
 あの時のような考えなしの気性が、死んでいる。
「だったら先輩がなんとかしてよ……!」
「無理だ。今の僕に、あの蜘蛛を傷つけるだけの魔力は残っていない」
「じゃあ、どうしたら……」
「あきらめろ。床の上に転がる人形は、一つや二つじゃない。僕らがここへ来るよりずっと前に、蜘蛛はこうして人間を奪い続けてきた。どちらにしても全員助けることはできなかった。
 安心しろ、ここに青葉鷹斗も羽室誠二もいない」
 僕は反射で、先輩の手を振り払った。目いっぱい睨みつけてやった。
 先輩は僕の心を軽くするつもりで、青葉と羽室の名前を出したんだろう。ここには、僕と親しくしているひとはいないと。
「そういう問題じゃ、ない……!!」
「……きみは僕の目だ。余計なことをして、目の力を損なわれては大いに困る。
 こらえろ、浪川愁」
 先輩の命令が、僕の全身を駆け巡る。血潮がたぎり、ようやく動かせそうになった手がぎこちなくなる。
 蜘蛛が巣に捕まえた【餌】を堪能しているのを、僕は見ているしかできなかった。
 思い出をひとしきり食べて満足した蜘蛛は、常闇の奥へと消えていった。教室には僕と先輩と、空っぽの人形だけが残された。
 呆然と立ち尽くしている僕の目に、何かがきらりと映る。蜘蛛が教室の中にいないことを慎重に確認し、僕は勇気を出して一歩踏み出した。
「待て」
「待って先輩……あれ……」
 先輩の命令で足が軋む。僕は教室の奥を指さした。
「あれを取ってくるだけです。何もしない。深追いはしないから……」
「……一人で行くな」
 手足のぎくしゃくが消えた。
 床に、乱雑に捨てられた人形の隙間を踏みながら、教室中央の机の上にある光の正体へと近づいた。
「……写真?」
 透明なガラスのフレームに、大切に入れられた写真だ。フレームは角が欠けていたりくすんでいたりと古びていたけど、中の写真は今日撮ったみたいに新品同然だ。
 その写真に写っている人物を目にして、僕は先輩を見る。先輩は小さく頷いた。
「蜘蛛の顔の……少年……?」
 おなじ制服を着て、恥ずかしそうに笑っている。学校正門前で撮られたのだろう。となりに立つ男の人はおそらく父親なのだろうが、肝心の顔部分が削れてて誰なのかはわからない。
 綺麗な写真なのに、そこだけ削り取られているのは、不気味だ。
「これもか」
 三峰先輩が、机に手を伸ばす。写真と一緒に、二冊の古びたノートが置かれていたのだ。
 恐怖で血の気が引いていた僕だったが、しかし収穫がなかったわけではないとわかる。
 この写真とノートは、重要な手がかりだ。
「先輩、これ……」
「ああ。部屋に戻って詳しく調べてみよう」
 先輩が踵を返すと、お香の焦げた匂いが、漂った。
「三峰先輩?」
「え?」
 僕の時間が、一瞬だけ止まった。
「先輩……鼻血でて……」
「え、あ……」
 先輩はそのまま、床に倒れた。