カイナのことは、ミカにしか見抜けない

(顔を奪われるって、こういうことだったのか)
 僕の脳内に、噂が蘇る。
 旧校舎三階、白銀の蝶を目撃した生徒は、一週間以内に顔を奪われ、体は蜘蛛の巣の標本に、そしていつか蜘蛛の巣のヌシに食いちぎられる――。
 そんな馬鹿なと必死に強がっていた心は、簡単に打ち砕かれた。
 そして顔がないのに、僕の目は、その人が同級生の木島(キジマ)だと理解してしまった。
「き、木島……」
 木島はじっと僕を見つめていたが、やがて階段から足を戻した。目もないのに、木島に見られているという感覚だけが全身に伝わる。目でなめ回されてるみたいで、無意識に鳥肌がたった。
 木島がかすかに、右手を僕の方へと伸ばした。彼女の手には、白い糸がぐるぐるまきにされてる。
「やめ、なに、」
 震える声で格好つかない。
 何をされるか分からないのに、僕の足はすくみ上がり、心臓がどくどく跳ねて、防衛本能がフル稼働していた。
 何が起こるか分からないという、未知の恐怖に体が動かない。
 ただ震えているしかできない僕の顔を、鋭い風が横切った。
 僕の頬に触れようとしていた木島の手が勢いよくはじき返され、続くように同じ鋭い風が今度は彼女の肩に直撃した。
 火薬のような焦げた匂いが漂う。何が起きたのかわけもわからないまま、木島が後ろへグラリとよろめいていた。このままでは、階段に真っ逆さまだとようやく気づいた僕は、何も考えずに彼女の手を掴む。
 脱力した体は鉛のように重く、僕は自分の体重を全部使って木島をこちら側へ引き戻す。
 バランスを崩したのは僕の方で、木島のクッションになりつつ背中から木製のボロい床に倒れ込んだ。
「ぐ、うっ」
 むせ返る僕に覆いかぶさる木島を、三峰先輩のつま先が無造作にどかした。床と仲良しな僕らを見下ろす彼の目は、まるでゴミを見るような目だ。
「何してるんだ!」
「何って、障害物をどけただけだけど」
「人をモノみたいに言うな!」
 木島を足でのけたことに、罪の意識なんてないのだろう。むしろ、自分は普通のことをしたのに、どうして怒鳴られなければならないんだ? とでも考えてる顔だ。
「顔を奪われたソレ」
 と、三峰先輩は木島をさす。
「見たところ、すべて奪われた後だ。顔も記憶も命も。あるのは肉体だけで、いずれ餌になるのを待つだけの器でしかない」
「何だと……?」
「餌として標本になっていれば、犯人のいる場所を暴く程度の価値はあっただろう。でも、標本にもならずにこうして彷徨っているのは、犯人にとっては価値のないゴミであるといえる。……気にかけるだけ時間の無駄だ」
「同級生が傷つくのを黙って見てろっていうのかよ!」
「もう同級生ではないよ。それはただの抜け殻。
 さあ、立って。こんなところで、いたずらに時間を消費させないでくれよ」
 三峰先輩の、青紫の目にまっすぐ射抜かれて、僕の足はまたギシギシと動いた。
 従いたくない。せめて木島を安全なところに運べたら……なんて考えていたのを三峰先輩はお見通しだったのだろう。左手を無造作にふると木島はひとりでに立ち上がり、自ら階段を飛び降りた。
 ゴトン! と骨と肉の砕ける音が耳にまとわりつく。助けようとしたいのに、足を踏み出そうとすると息が苦しくなり、目の奥がズキズキする。
 木島の方へ行こうとすると、操り人形の糸が絡みついて引き戻そうとしてくる感覚がする。
「無駄に抵抗を見せないで。きみの貴重な目を消費させたくない」
 歯を食いしばって睨むけど、三峰先輩には効いていない。
 魔法使いってみんなこうなのだろうか?
 数日前まで一緒に授業を受けてた生徒が、わけのわからない怪異だかなんだかに連れ去られて、体以外のあらゆるモノを奪われて、もう自分の知る同級生ではないと簡単に割り切れるものなのだろうか?
 魔法使いは、簡単に気持ちを切り替えるのだろうか?
 できるわけがない。
 少なくとも、僕は。
「……人の心なさすぎ」
「ふうん」
 三峰先輩の心には、響いていない。
 これ以上憎しみを込めて言葉を吐き出しても、それこそ時間の無駄だ。