静丘学園異常事象記録


 光が収まる寸前、意識が過去の風景へと定着するその「隙間」で、僕は見てしまった。
 しんしんと降り積もる雪の中。
 旧館の渡り廊下の突き当たりに、その人は立っていた。

「……あ、……」
 生徒会長の身体を借りた僕の視界が、その姿を捉えた瞬間に凍りついた。

 そこにいたのは、副校長だった。
 
 ──ここは何年前の過去のはずだ。

 世界が色褪せ、太郎さんも幼く、生徒会長の紋章すら今とは違うこの時代で。
 副校長だけが、僕の知っている「今」と、毛筋一本ほども変わらない容姿でそこに佇んでいたのだ。
 眼鏡の奥の細められた瞳も、整いすぎた微笑も、時間の流れから完全に切り離されているような……、そんなおぞましいほどの「静止」を感じて、僕の魂が器の中で震えた。
 副校長は、生徒会長である「僕」を見据えた。

 いや、違う。

 彼の視線は、僕の意識の隣にいる、姿の見えない「誰か」を正確に射抜いていた。

「……こんなところにまで導いて。……ふふ、今日は帰りが遅くなりそうですね」
 低く、甘く、それでいて逃げ場を奪うような声。
 一瞬、僕に話しかけているのかと思った。けれど、彼が向けた言葉の先にあるのは、僕という「器」ではなく、僕をここまで連れてきた「校長」なのだと、本能が告げていた。

『……行きましょう。……相手にするだけ無駄よ』

 耳元で、校長の声が今までになく少し硬く、鋭く響いた。
 校長ですら、彼に対しては警戒を隠しきれていない。
 副校長は、去り際、僕(生徒会長)の瞳の奥を覗き込むようにして、一度だけ深く、楽しげに目を細める。
 その瞳は、まるで時間そのものを見透かすように、僕の奥を覗き込んでいた。

「……精々、道に迷わぬよう」
 その言葉が、耳の奥にこびりついて離れない。
 
 歪んだ時間の中に、唯一変わらず存在し続ける「楔(くさび)」
 その不気味な残像を振り払うように、生徒会長の身体は、光溢れる体育館へと足を踏み入れた。

──

 熱気に満ちた体育館のステージ。
 僕はまだ、生徒会長の「器」の中にいる。

「……ハァーイ! みんなぁ! おったまげー!♡」
 ステージ中央、スポットライトを浴びて、派手な金髪巻き髪に、肩パッドの入ったボディコンスーツを纏った人影が、所狭しとパフォーマンスを繰り広げていた。

(……ジェーン、さん……)
 心の中で、その名を呼ぶ。
 そこにいたのは、弱々しい太郎さんではない。誰よりも派手で、誰よりも強くて、誰よりも優しい……最強の自分を作り上げた、ジェーンさんだった。

「あーしの愛(ラブ)を受け止めなさいよぉ!♡ ソウルメイトたちぃ!」
 地鳴りのような歓声。
 生徒会長の視線が、客席の最前列、車椅子に座ったひとりの男子生徒の姿を捉えた。
 陸上部の、元エース。
 彼は、松葉杖を膝に置きながら、ステージ上のジェーンさんを見て、心から、弾けるような笑顔で笑っていた。

「……笑った」
 生徒会長の喉が、微かに震えた。
 それは彼自身の感情ではない。
 器の奥に潜り込んでいた『僕の熱』が、
 冷たい喉を内側から押し上げた震えだった。

 規律と数字で支配しようとしていた学園に、たった一人の少年の「願い」が、理屈を超えた「奇跡(笑い)」をもたらした瞬間。

『……お疲れ様、幼い子。……さあ、貴方の「本来の場所」へ帰りましょう』

 頭の奥で、校長の声が響く。

 その瞬間、ステージ上のジェーンさんと、目が合った。不敵なウインクと共に差し出された掌は、雪のように冷たい闇を切り裂くほどに眩しかった。

『……あきらっち! ……迎えに来てくれてありがとう!♡ ……あーしはもう大丈夫よ! ……さぁ、一緒に帰りましょう!♡』

  視界と意識が、グニャリと歪む。
 生徒会長の白い器が、僕をもう抱えきれずに軋んだ。
 その瞬間、僕の魂は器から剥がれ、
 ジェーンさんの差し出した光の手へと吸い込まれていった。

 ──

「……っ、……はぁ!」
 泥の匂い。
 僕は、図書室の冷たい床の上に、尻餅をつくようにして帰還した。
 
「……あれ?」
 僕の隣には、あの地味な太郎さんではなく、派手な金髪と羽扇子を纏った、完全復活のジェーンさんが、仁王立ちで立っていた。
「……あきら! ……太郎! ……無事だったか……」
「……お、……おかえり……無茶しやがって……」
 視界の端。
 御剣くんが、制服をボロボロに切り裂かれ、鏡宮くんが血の混じった唾を吐き、玉響くんが壊れたスマホを手に、壁に寄りかかっていた。
 
 草薙先輩の『偽画曼荼羅』の中で、彼らは学園のシステムそのものと、死闘を繰り広げていたのだ。
「……御剣くん、……みんな! ……ごめん、僕のせいで……」

「……あーしのソウルメイトを……こんなボロボロにしたのは……」

 不意に、ジェーンさんの声から、いつものハイテンションなハリが消えた。
 地鳴りのような、低い、怒りの重低音。

「……あんた達ねぇ……?」
 ジェーンさんが、羽扇子を床に投げ捨てた。
 
「……ソウルメイトが傷つくなんて……マジで、……笑えないわよぉぉぉぉッ!!!」

 ドンッ!!

 ジェーンさんの身体が、爆発的な熱量と共に、さらに巨大な、黄金色のオーラに包まれた。
 内側から膨れ上がる圧倒的な質量に耐えきれず、派手なボディコンと肩パッドが、悲鳴を上げて四散する。爆ぜた布切れの隙間から露わになったのは、血管が浮き出し、鋼鉄のように硬化した巨躯。
 さらに、その顔の彫りは断崖絶壁のように深く刻まれ、厚化粧の下から、意思の強すぎる見事な「ケツ顎」が突き出した。
 周囲の空気が、その威圧感に震える。
 
 ──『スーパー太郎さん』への、真の覚醒。
 
 彼女は(彼は)、その筋骨隆々な姿からは想像もつかない俊敏さで、脱兎のごとく草薙先輩と稲垣兄弟へ突っ込むと、物理法則を無視した連続殴打を叩き込んだ。

「おらおらおらおらおらおらぉぉッ!! ……あんた達の「嘘」なんて、あーしの「笑い」で粉砕よぉぉッ!!」

「……っ、……なんや、このパワーは……! ……ぐわぁぁぁッ!?」
 草薙先輩の『偽画曼荼羅』が、ジェーンさんの拳によってガラスのように砕け散る。

 稲垣兄弟が、まるでギャグ漫画のように、図書室の壁を突き破って画面外(闇の向こう)へと、キラーンという効果音と共に吹き飛んでいった。

 ──

 静寂が、戻ってきた。
 
 ジェーンさんは、フゥ、と肩パッドの位置を直すと、いつものド派手な笑顔で僕たちを振り返った。
 その笑顔は、さっきまでの暴風が嘘みたいに優しかった。
「……おったまげ〜♡ ……ちょっと、盛り上がりすぎちゃったかしら? やれやれだわ〜」
「……おかえり、あきら。……ギャルもどき」
 御剣くんが、ボロボロの制服で、力なく、けれど嬉しそうに笑った。

「……そこはちゃんと、ジェーンさんって言いなさいよぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!! ……このっ、分からず屋ぁッ!!」
 ジェーンさんが、羽扇子で御剣くんの頭をスパコーンッ!と叩いた。
 
 その光景に、僕は、両手足の痣が、温かな、安らぎのリズムを刻んでいるのを感じて、心から笑った。

 僕の案内人は──いや、僕のソウルメイトは、最強の笑顔で帰ってきた。