正常の外で、君を飼う

講義が終わって、教室を出たあとに特に待ち合わせの約束をしていたわけでもないのに、足が向かう先が自然と昨日と同じ場所になっていることに対して疑問を持つ必要はないと判断しながら歩いていると、視界の端に見慣れた立ち姿が入った瞬間に、それまで分散していた意識が一つにまとまる感覚があった。

——いる。

確認するまでもない。

水城 柊真。

壁にもたれて、スマートフォンを見ている。

昨日と、ほぼ同じ位置。

「……」

一瞬だけ立ち止まる。

距離を測る。

近づいていいかどうか。

考える必要は、もうほとんどない。

「水城さん」

声をかける。

水城が顔を上げる。

「……またお前か」

呆れたような声。

でも。

視線は、逸らさない。

「はい」

短く答えて、そのまま隣に立つ。

間に空間は作らない。

昨日と同じ距離。

いや。

——少しだけ、近い。

水城が、ほんの一瞬だけその距離を見てから、小さく息を吐く。

「……来ると思ったわ」

「そうですか」

「そうですよ」

軽く返される。

否定ではない。

そのまま、自然に歩き出す。

どこへ行くかは決めていない。

でも。

並んで歩くこと自体が、もう目的みたいになっている。

数歩進んだところで、凪がほんの少しだけ距離を詰める。

腕が触れるか触れないかの位置。

昨日までなら、調整していた距離。

今日は——調整しない。

そのまま。

触れる。

水城の歩幅が、一瞬だけ乱れる。

けれど。

離れない。

「……お前さ」

呆れた声。

「はい」

「昨日より近ない?」

事実確認。

凪は少しだけ考える。

「はい」

そのまま答える。

「必要なので」

水城が、吹き出す。

「必要てなんだよ」

笑いながら。

でも。

手はどかさない。

距離も変えない。

それを確認してから、凪はほんのわずかにだけ身体の力を抜く。

「……凪」

呼ばれる。

少しだけ真面目なトーンで。

「はい」

「これ、外だぞ」

周りを軽く顎で示される。

人の目。

距離。

普通なら気にする要素。

凪は一度だけ周囲を見る。

通行人。

会話。

誰もこちらを特別に見ているわけではない。

「……問題ないです」

結論を出す。

即座に。

水城が、少しだけ言葉を失う。

「……いや、そういう問題じゃないでしょ」

小さく呟く。

でも。

強くは言わない。

そのまま歩く。

しばらく無言。

でも。

気まずさはない。

むしろ。

——安定している。

そのまま駅の近くまで来たところで、人の流れが少しだけ混雑してくる。

前から人が来る。

ぶつかりそうになる。

その瞬間。

凪が自然に、水城の腕を掴んで引き寄せる。

昨日と同じ動き。

でも。

今回は。

——離さない。

そのまま。

水城の腕を掴んだ状態で歩き続ける。

水城が、それに気づく。

一瞬だけ視線が落ちる。

「……凪」

呼ばれる。

少し低い声で。

「はい」

「これ、いつまでやる気」

確認。

でも。

「ずっとです」

迷いなく答える。

即答。

水城が、完全に足を止める。

凪も止まる。

人の流れの端。

少しだけ外れた位置。

「……ずっと?」

繰り返す。

「はい」

変わらない。

視線も逸らさない。

水城が、数秒だけ黙る。

そのあと。

「……はあ」

息を吐く。

長く。

「……独占欲、やばいわ」

そう言いながら。

——逆に、腕を掴み返す。

凪の手首を。

軽く。

でも、確実に。

「……これでええやろ」

ぼそっと言う。

意味は、分かる。

凪は、一瞬だけ目を細める。

「……はい」

小さく答える。

その状態のまま、また歩き出す。

さっきまでとは少し違う。

一方的じゃない距離。

でも。

離れていない。

むしろ。

「……凪」

また呼ばれる。

「はい」

「ほんまにさ」

少しだけ笑いながら。

「慣れてきてる自分が一番こわい」

その言葉に対して。

凪は少しだけ考える。

そして。

「問題ないです」

と答える。

水城が、また笑う。

「凪の基準、ほんとにガバガバなんだな」

でも。

そのまま。

手は離さない。

距離も変えない。

人の流れの中に紛れながら。

二人の間だけは、ずっと同じまま。

——それが、もう特別じゃなくなり始めていることに、どちらもはっきりとは気づいていなかった。

人の流れが少し落ち着いたところで、自然と足が止まる。

目的地があるわけでもないのに、その場にいる理由が成立してしまっていることに対して違和感を覚える必要はないと判断しながら、凪は隣に立つ水城との距離をそのまま維持していた。

手首は、まだ掴まれている。

正確には——掴まれたまま、離されていない。

それを解く理由が見つからない以上、維持するのが最適だと結論づける。

「……なあ」

水城が、少しだけ声を落とす。

「はい」

「これ、いつからこうなったんやろな」

問いというより、独り言に近い。

凪は一瞬だけ考える。

開始点。

明確な線は、ない。

「気づいたらです」

事実として、それが一番近い。

水城が、小さく笑う。

「こわ」

軽く言う。

でも。

手は、離さない。

むしろ。

少しだけ握る力が強くなる。

それに対して、凪は特に反応を返さない。

ただ、その変化をそのまま受け取る。

「……凪」

「はい」

「ほんまにさ」

少しだけ間。

視線が、下に落ちる。

繋がっている手に向く。

「これ、他のやつにもするの?」

その問いは、軽く投げられたようでいて。

中身は、全然軽くない。

凪は迷わない。

「しません」

即答。

間を置かずに。

水城の視線が、わずかに上がる。

「……なんで」

短い問い。

凪は、ほんの少しだけ考える。

言葉にする必要があるかどうか。

でも。

「必要ないので」

選ぶ。

その表現を。

水城の眉が、少しだけ動く。

「俺には必要ってこと」

「はい」

即答。

視線を逸らさずに。

「水城さんには」

一歩、ほんの少しだけ距離が詰まる。

もう十分近いのに。

「必要です」

言い切る。

水城が、完全に言葉を止める。

数秒。

何も言わない。

でも。

手は離さない。

むしろ。

「……はあ」

小さく息を吐いて。

今度は、指先まで絡めるようにして握り直す。

ただ掴むんじゃなくて。

——繋ぐ形。

凪の思考が、一瞬だけ止まる。

新しい接触。

でも。

拒否はしない。

そのまま受け入れる。

「……これで満足?」

少しだけ意地悪な言い方。

試すように。

凪は、その状態を確認する。

距離。

接触。

固定。

「……はい」

小さく答える。

でも。

「今は」

付け足す。

水城が、吹き出す。

「欲張りだなあ、お前」

笑いながら。

でも。

その手は、解かない。

「……なあ」

また、少しだけ声を落とす。

「はい」

「これさ」

ほんの少しだけ、顔が近づく。

人の流れの中で。

でも、気にしていないみたいに。

「彼氏彼女みたいやと思われてるで、多分」

その言葉。

普通なら。

否定するところ。

でも。

凪は一瞬だけ考える。

そして。

「問題ないです」

と答える。

水城が、ぴたりと動きを止める。

「……いや、そこは否定しないと」

少しだけ笑い混じりに言う。

けれど。

凪は、首を横に振る。

「違いますか」

問い返す。

まっすぐに。

逃げ道を塞ぐ聞き方。

水城の視線が、ほんの一瞬だけ揺れる。

答えを選ぶ間。

「……いや」

否定しかけて。

止まる。

言葉が続かない。

その沈黙を、凪はそのまま受け取る。

「……違わないなら」

静かに。

少しだけ、距離を詰める。

顔の位置が、近づく。

「いいと思います」

その一言。

軽く言っているようで。

完全に軽くない。

水城が、目を細める。

「……お前さ」

低く言う。

「はい」

「そういうとこだぞ」

何が、とは言わない。

でも。

全部含んでいる。

凪は、その意味を完全には理解しないまま、それでも否定されていないことだけを確認する。

「……じゃあ」

少しだけ間を置いて。

「やめますか」

試すように言う。

手を、ほんの少しだけ動かす。

離す動き。

水城の指が、反射的に強くなる。

止めるように。

「……やめないでいい」

即答。

少しだけ強い声。

そのあと、自分で気づいたみたいに、視線を逸らす。

「……別に、困ってなんてないし」

言い訳みたいに付け足す。

凪は、その一連の流れをそのまま受け取る。

数秒。

何も言わずに。

それから。

「……よかったです」

小さく言う。

その声は、ほとんど変わらないのに。

ほんのわずかだけ。

——安心しているように聞こえた。

水城は、それを聞いて。

何も言わない。

ただ。

繋いだ手だけを、少しだけ引き寄せる。

距離が、さらに近くなる。

人の流れの中で。

誰かがぶつかりそうになる。

でも。

避ける必要はない。

もう。

離れる気がないから。


帰り道、並んで歩いているはずなのに、さっきまでと同じ距離を保っているはずなのに、どこか一つだけ噛み合っていない感覚が残っていることに水城自身が気づいていながらも、それを言葉にするタイミングを見つけられないまま足だけが前に進み続けている。

腕は、掴まれたまま。

離そうと思えば離せる。

でも、離さない。

その選択をしているのは自分なのに——

「……凪」

不意に名前を呼ぶ。

「はい」

返事は変わらない。

近いまま。

いつも通り。

だからこそ、言いにくい。

数秒、間が空く。

その沈黙の中で、考える。

このままでいいのか。

本当に。

「……ちょっとさ」

ようやく出た言葉は、思っていたよりも曖昧だった。

「はい」

凪は待つ。

逃げない。

「……少し、距離置かない?」

その一言で。

空気が、止まる。

足も、止まる。

腕を掴んでいた力が、ほんのわずかに変わる。

強くも、弱くもならない。

ただ。

——止まる。

「……どうしてですか。悪いところあったらすぐ直すので言ってください」

声は変わらない。

落ち着いている。

でも。

その変わらなさが逆に、刺さる。

水城は視線を逸らす。

正面から言うには、少し重い。

「……いや、その」

言葉を探す。

雑に言えば簡単や。

重いとか、やりすぎとか。 

でも。

それは違う。

「……お前、さ」

少しだけ顔を上げる。

凪を見る。

逃げずに。

「普通を知らないでしょ」

はっきり言う。

否定じゃない。

事実として。

「はい」

即答。

それも、分かってる。

だからこそ。

「それでさ」

続ける。

「そのまま来られたら」

少しだけ息を吐く。

言い切る前に。

「……俺が、どこまで受けていいか分からない。受け止められるかもわからない」

静かに落とす。

それが本音やった。

凪は、何も言わない。

ただ見てる。

「……正直、怖い」

ぽつりと出る。

初めての言葉。

「凪のその感じ、嫌ではない」 

むしろ逆。

「でも、このままいったら」

一瞬だけ間。

「俺、多分どっかで間違える」

凪の目が、わずかに動く。

ほんの少し。

「……傷つけると思う」

はっきり言う。

自分の方を。

「凪、止められないだろ」

確認みたいに。

「はい」

迷いなく。

それが答え。

水城は小さく笑う。

困ったように。

「やろな」

分かってた。

「だから」

少しだけ視線を外してから。

もう一度戻す。

「一回、離れた方がいい気がする」 

静かに。

押し付けるんじゃなくて。

でも、逃げない言い方で。

「……あと」

言うか迷って。

でも、言う。

「凪、俺じゃなくてもいいかもしれないじゃん」

凪の表情が、初めてはっきり変わる。

ほんの一瞬。

でも分かる。

「もっと普通のやつの方が」

続ける。

自分で自分を削るみたいに。

「楽だと思う」

そこで。

完全に沈黙が落ちる。

風の音だけが、少しだけ聞こえる。

凪は、動かない。

言葉も出さない。

ただ。

掴んでいた腕にかかる力が。

ほんの少しだけ——強くなる。

「……嫌です」

小さく。

でも、はっきり。

水城の呼吸が止まる。

「普通とか、どうでもいいです」

続ける。

さっきより低い声で。

「楽かどうかも、関係ないです」

一歩、近づく。

距離を、詰める。

さっき置こうとした距離を、自分で壊す。

「水城さんがいいです」

即答だった。

迷いも、間もない。

「他は、いりません」

その言葉の重さが、まっすぐ落ちる。

水城は、何も言えない。

分かってたはずやのに。

実際に言われると——

「……ほらな」

小さく笑う。

苦笑いみたいに。

「こういうとこだって」

でも。

その声は。

完全に拒絶じゃない。

むしろ。

——揺れてる。

「……凪」

名前を呼ぶ。

今度は、少しだけ優しく。

「それでも、一回だけや」

条件みたいに。

「ちょっと離れよ」

完全に切るんじゃない。

でも。

近すぎるのを、一回止める。

「……俺が考える時間くれ」

逃げじゃない。

整理。

それを、選ぶ。

その言葉が落ちたあと、数秒の空白があった。

音はある。

人の気配もある。

けれど、そのどれもが意識に入ってこないまま、水城の言葉だけがそのまま残っている。

——考える時間。

つまり。

今のままでは、だめだということ。

「……はい」

凪は、短く答える。

迷いはなかった。

拒否する理由も、見つからなかった。

「……分かりました」

もう一度、言う。

確認するみたいに。

その声を聞いた瞬間、水城の表情がほんのわずかに変わる。

予想と違ったみたいに。

「……あれ」

小さく呟く。

「もっと食い下がるかと思った」

正直な反応だった。

凪は、その言葉の意味を一度考える。

食い下がる。

拒否する。

離れないと言い張る。

確かに、それも選択肢としてはあった。

でも。

「……約束なので」

そう答える。

淡々と。

「考える時間、必要なんですよね」

確認するように。

水城は、一瞬だけ言葉を詰まらせる。

「……まあ、そうだけど」

「じゃあ」

凪は続ける。

「邪魔はしません」

その言葉は、正しい。

状況としても、論理としても。

けれど。

どこか、温度が低い。

「……凪」

水城が名前を呼ぶ。

さっきより少しだけ、慎重に。

「はい」

「ほんとに、それでいいの」

問いかけ。

確認。

引き止める余地を、少しだけ残した聞き方。

凪は、ほんの一瞬だけ考える。

いいかどうか。

その問いに対する正しい答えは、存在しない。

だから。

「よくないです」

正直に言う。

間を置かずに。

水城の目が、わずかに見開かれる。

「でも」

続ける。

声は変わらない。

落ち着いたまま。

「必要なら、やります」

それだけ。

感情ではなく、選択として。

「……」

水城が、何も言えなくなる。

その反応を確認してから、凪はゆっくりと視線を落とす。

繋がっていた手。

その接触。

数秒だけ、見てから。

——指を、外す。

自分から。

ゆっくりと。

抵抗は、ない。

止められもしない。

するりと、離れる。

その瞬間。

空気が、一気に軽くなる。

でも。

同時に。

「……」

何かが、足りなくなる。

さっきまであったはずの位置が、なくなる。

距離が、生まれる。

数センチ。

それだけなのに。

「……じゃあ」

凪が言う。

視線を上げずに。

「帰ります」

水城が、反応する前に。

一歩、下がる。

距離を、明確に作る。

「また」

ほんの一瞬だけ間を置いて。

「考え終わったら、教えてください」

それだけを残して。

振り返る。

歩き出す。

止まらない。

呼ばれるかもしれない、という可能性は頭の中にある。

でも。

振り返らない。

——約束なので。

距離を置くと決めた以上、それを守る。

それが、今の最適解。

足音だけが、規則的に続く。

人の流れに混ざる。

周囲の音が、少しずつ戻ってくる。

それでも。

さっきまで隣にあった気配だけが、綺麗に消えていることを、はっきりと理解する。

「……」

ポケットの中で、スマートフォンがわずかに当たる。

取り出す。

画面は、つかない。

通知は、ない。

当たり前。

さっき別れたばかりだ。

「……問題ない」

小さく呟く。

確認するように。

距離を置く。

それは、水城が決めたこと。

自分は、それに従った。

だから。

間違っていない。

「……」

歩きながら、ほんの少しだけ呼吸が浅くなる。

理由は分かる。

でも。

「……大丈夫」

もう一度、言う。

自分に。

——離れただけ。

終わったわけじゃない。

そう、理解している。

なのに。

胸の奥に残っている違和感の正体には、まだ名前がつけられなかった。

距離を置く、という言葉があの場で一度形になってしまった以上、それをなかったことにする選択は水城の中には存在していなかった。

だから。

帰り道の途中で別れたあとも、振り返らなかった。

振り返れば、多分。

——戻る。

それが分かっていたから。

ポケットの中でスマートフォンが一度だけ震えた気がしたが、取り出さないまま歩き続ける。

確認する理由がない。

約束したわけじゃないが、今は連絡を取らない流れになっている。

それを崩すのは——違う。

「……はあ」

小さく息を吐く。

静かすぎる。

さっきまで隣にあった距離が、一気に消えたみたいに。

部屋に戻ってからも、その感覚は消えなかった。

靴を脱いで、適当に鞄を置いて、そのままベッドに座る。

何もしていないのに、疲れている。

理由は分かっている。

考えすぎている。

「……距離置くって、なんだよ」

呟く。

言ったのは自分なのに。

具体的に何をどうするかまでは決めていない。

連絡しないのか。

会わないのか。

触れないのか。

どこまでが「距離」なのか。

曖昧なまま。

「……めんどくさ」

吐き出す。

でも。

それでも。

あのまま続ける方が、もっとまずい気がした。

——凪は止まらない。

それは分かっている。

止める役を、自分がやるしかない。

そう思った。

それだけ。

スマートフォンを取り出す。

画面を開く。

通知は——ない。

分かっていたことを、改めて確認する。

既読も、未読もない。

ただ、昨日までのやり取りがそのまま残っているだけ。

「……あいつ」

少しだけ眉を寄せる。

普通なら。

何か送ってきてもおかしくない。

「……いや」

首を振る。

違う。

あいつは——

「合わせるって言ったか」

思い出す。

あの言葉。

『ペースは合わせます』

それを、そのまま守っているだけ。

「……はあ」

もう一度、息を吐く。

納得できる。

でも。

納得できるのと、気にしないのは違う。

画面を閉じる。

ベッドに倒れ込む。

静かだ。

音が少ない。

その分だけ、余計なことを考える。

——今、何してるんだろう。

考えた瞬間、軽く舌打ちする。

「……関係ねえだろ」

自分に言い聞かせる。

距離を置くって言ったのは、自分だ。

なのに。

「……なんで気になるんだよ」

小さく呟く。

答えは出ない。

出したくもない。

目を閉じる。

眠るつもりはない。

ただ、思考を止めたいだけ。

けれど。

完全には止まらない。

残るのは。

——触れていた感覚と。

——離れた今の違和感。

その両方だった。



一方で。

凪は、同じ時間に部屋の中にいた。

水城と別れてから、まっすぐ帰った。

寄り道はしていない。

必要がないから。

玄関で靴を脱いで、そのまま部屋に入る。

いつもと同じ動き。

でも。

一つだけ違う。

——触れていない。

その事実が、動作の中に微妙なズレを生む。

気にするほどではない。

でも、完全に無視もできない。

「……」

ベッドの端に座る。

スマートフォンを取り出す。

画面を開く。

水城の名前。

開く。

最後のやり取り。

そこで止まっている。

自分は、送っていない。

送らないと決めたから。

「……距離」

小さく呟く。

言われた言葉をなぞる。

距離を置く。

それが何を指すのか。

定義はされていない。

でも。

「近づかないこと」

それが一番分かりやすい。

そう判断する。

「……」

指が、少しだけ動く。

メッセージを送る画面。

入力欄。

何も打っていないのに、そこに視線が止まる。

送るかどうか。

考える。

必要かどうか。

——必要ではない。

結論は、すぐに出る。

約束はしていない。

でも、流れとして。

今は送らない方がいい。

そう判断する。

画面を閉じる。

スマートフォンを置く。

それで終わり。

のはずだった。

「……」

動かない。

思考が、止まらない。

「……今」

口に出る。

「何してるんだろう」

自分でも驚く。

同じことを考えている。

理由を探す。

必要があるかどうか。

「……必要ない」

すぐに否定する。

関係ない。

今は距離を置いている。

確認する必要はない。

そう整理する。

それでも。

「……」

少しだけ、視線がスマートフォンに戻る。

手は伸びない。

触れない。

——触れない、という選択を維持する。

それが正しいと判断しているから。

ベッドに横になる。

目を閉じる。

頭の中に浮かぶのは。

今日のやり取り。

距離を置く。

怖い。

受け止められない。

全部。

そのまま残っている。

「……」

一つだけ、理解していることがある。

——拒絶ではない。

嫌われたわけではない。

それは分かる。

だから。

「……待つ」

小さく呟く。

結論として。

水城が考える時間が必要なら。

それを邪魔しない。

それが、今の最適解。

そう判断する。

目を閉じる。

静かな部屋。

外の音も少ない。

その中で。

「……でも」

言葉が漏れる。

抑えきれずに。

「触れないのは、想定外です」

小さく。

でも、はっきり。

それが一番のズレだった。

距離を置く=会わない、話さない

そこまでは想定していた。

でも。

——触れない。

それは。

思っていたよりも。

「……」

言葉にならない。

代わりに、指先がわずかに動く。

何かを探すみたいに。

でも。

何もない。

そのまま、止まる。

「……大丈夫」

自分に言い聞かせる。

「問題ないです」

繰り返す。

納得させるように。

でも。

完全には一致しない。

それでも。

「……待ちます」

もう一度、結論をなぞる。

それでいい。

それが正しい。

そう思いながら。

目を閉じる。



次の日。

特に何かが起きるわけでもなく、時間は普通に進む。

凪は、いつも通り大学に行き、講義を受けて、適当に時間を潰す。

違うのは——

「……」

一瞬、視線が動く回数が増えたことくらい。

無意識に、人を探している。

でも。

見つける気はない。

見つけたら、困る。

「……アホらし」

小さく呟く。

自分に対して。

水城の姿は、ない。

当たり前だ。

約束した。

距離を置く。

だから、来ない。

それでいい。

それで——

「……ほんまに来ないんだな」

ぽつりと出る。

思っていたよりも、静かに。

自分でも気づかないくらいに。

その瞬間、少しだけ胸の奥がざわつく。

理由は分かる。

予想通りなのに。

予想以上に、何もない。

「……いや、いいんだけど」

言い訳みたいに呟く。

誰も聞いていないのに。

それでも。

「……いいんだけどさ」

もう一度。

繰り返す。

言葉と気持ちが、少しだけズレる。

その違和感を、無視する。

必要ないから。

そのまま時間が過ぎる。

何も起きない。

本当に、何も。

それが逆に。

——長い。



夜。

部屋に戻る。

昨日と同じ構図。

同じ場所。

同じ静けさ。

違うのは。

慣れていないこと。

「……はあ」

ベッドに倒れる。

スマートフォンを取り出す。

画面を開く。

やっぱり、何もない。

「……あいつ」

小さく呟く。

少しだけ眉を寄せる。

「ほんとに送ってこないじゃん」

分かってる。 

そういうやつだ。

言われたことは守る。

でも。

「……そこまで守らないでもいいだろ」

思わず出る。

理不尽なのは分かっている。

でも。

「……普通さ」

そこで、止まる。

その言葉。

自分が使ったやつ。

凪に言ったやつ。

——普通。

「……はあ」

深く息を吐く。

面倒くさい。

全部。

考えるのが。

でも。

考えないといけない。

距離を置いた意味。

ちゃんとある。

「……俺じゃなくてもいいかもしれない」

自分で言った言葉を思い出す。

あれは、逃げでもあった。

優しさでもあった。

でも。

本心でもある。

——もっと楽なやつ、いるやろ。

凪みたいに、極端じゃないやつ。

普通に会って、普通に距離詰めて。

普通に付き合って。

普通に終わるやつ。

それが、多分。

「……正解なんだろな」

呟く。

でも。

その直後に浮かぶのは。

——凪の顔。

「……はあ」

三度目のため息。

答えは出ない。

出せない。

スマートフォンを閉じる。

そのまま、天井を見る。

静かな部屋。

何も変わらない。

でも。

一つだけ、はっきりしていることがある。

——慣れない。

この距離に。

全然。

慣れない。



同じ夜。

凪は、同じようにベッドに横になっていた。

違うのは。

「……」

スマートフォンを、手に持ったままだということ。

画面は、開いている。

でも。

何もしていない。

ただ、見ている。

水城の名前。

それだけ。

時間が過ぎる。

数分。

数十分。

変わらない。

「……」

指が、ほんの少しだけ動く。

メッセージ欄に触れる。

でも。

打たない。

打てない。

打ってはいけない。

「……距離」

もう一度、呟く。

守るべきもの。

自分で決めたことじゃない。

でも。

受け入れた。

だから。

守る。

それだけ。

「……」

それでも。

指が、離れない。

画面から。

完全に。

「……一つだけ」

小さく言う。

自分に。

「確認したいです」

そのまま。

でも。

送らない。

代わりに。

画面を閉じる。

スマートフォンを置く。

それで終わり。

にする。

「……」

目を閉じる。

静か。

何もない。

でも。

「……」

わずかに、眉が寄る。

「……足りない」

初めて出た言葉だった。

何が、とは言わない。

でも。

分かっている。

——距離。

それが、今。

足りていない。

でも。

足してはいけない。

だから。

「……待ちます」

もう一度。

同じ結論に戻る。

それを繰り返しながら。

眠りに落ちるまでの時間が、いつもより少しだけ長くなることを、自分でもはっきりと認識していた。
____

朝、目が覚めた瞬間から、身体の感覚が少しおかしいことには気づいていた。

重い。

頭が、鈍く痛む。

「……最悪」

小さく呟く。

声が少し掠れている。

喉も、違和感がある。

起き上がろうとして、やめる。

一度そのまま天井を見る。

ぼんやりと。

「……風邪か」

結論はすぐに出る。

珍しくもない。

季節の変わり目だし、無理したわけでもないけど、タイミングとしてはおかしくない。

「……だる」

腕を目の上に乗せる。

目を閉じる。

本当なら休めばいい。

会社も、休める。

でも。

「……いや」

小さく息を吐いて、身体を起こす。

理由は、はっきりしていない。

でも。

じっとしている方が、余計なことを考える。

それが分かっているから。

ゆっくりと支度をする。

動きが遅い。

普段よりも、明らかに。

それでも外に出る。

空気が少し冷たい。

それが、余計に身体にくる。

「……帰ればよかったかも」

歩きながら呟く。

でも、足は止まらない。

会社に着く。

人の多さ。

音。

いつも通り。

その中に紛れる。

でも。

今日は少しだけ、きつい。

「……」

部屋に入る。

席に座る。

パソコンを見る。

でも、内容は入ってこない。

ぼんやりと、音だけが流れる。

時間が、やけに遅い。

途中で、何度かスマートフォンに触れそうになる。

ポケットの中で。

でも、取り出さない。

理由はない。

あるとすれば。

——何もないと分かっているから。

「……」

視線を落とす。

資料は開いている。

マウスも持っている。

でも、何も書いていない。

そのまま時間が過ぎる。

午前の仕事が終わる。

人が立ち上がる。

音が増える。

その流れに乗るようにして、部屋を出る。

少しだけふらつく。

壁に手をつくほどではないけど、バランスが悪い。

「……ほんとうに帰るか」

小さく呟く。

さすがに、今日はしんどい。

でも。

足は、別の方向に動く。

昨日と同じ道。

考えるまでもない。

気づいたら、そっちに向いている。

「……アホだな」

自分で言う。

理由は分かってる。

期待してる。

——いるかもしれない。

距離を置いている。

来るわけがない。

それも分かってる。

でも。

「……一応な」

言い訳みたいに呟く。

ただ通るだけ。

それだけ。

そう決めて、歩く。

少しずつ、近づく。

見慣れた場所。

壁。

人の流れ。

視線が、自然とそこに向く。

——いない。

一瞬で分かる。

確認する必要もない。

「……そりゃそうか」

小さく笑う。

乾いた音。

当たり前だ。

約束した。

距離を置く。

だから来ない。

それが正しい。

「……正しいけどさ」

そのまま立ち止まる。

数秒。

それ以上はいらないはずなのに。

足が、動かない。

「……」

喉が、少し痛む。

咳が出そうになるのを抑える。

そのまま、壁にもたれる。

少しだけ楽になる。

「……来るわけないだろ」

分かってる。

頭では。

でも。

「……なんで来ないんだよ」

ぽつりと出る。

ほとんど無意識に。

その言葉に、自分で少しだけ驚く。

「……は?」

すぐに否定する。

「いや、来んなって言ったの俺だろ」

矛盾してる。

分かってる。

でも。

止まらない。

「……でもさ」

視線が、さっき見た場所に戻る。

誰もいない。

当たり前の光景。

それなのに。

「……一回くらい、来てもよくない?」

小さく。

誰にも聞こえない声で。

言ってしまう。

期待している。

完全に。

「……」

胸の奥が、少しだけ痛む。

体調のせいか、別の理由か分からない。

でも。

息が、うまく吸えない。

「……はあ」

ゆっくり息を吐く。

そのまま、しゃがみ込む。

人の流れから少し外れた場所。

誰も気にしない。

だから。

そのまま。

「……しんど」

本音が出る。

身体も。

多分、それだけじゃない。

「……あいつ」

名前は出さない。

でも、頭の中にははっきり浮かんでいる。

「……ほんとに、来ないんだな」

繰り返す。

さっきと同じ言葉。

でも、今度は。

少しだけ、重い。

目を閉じる。

数秒。

そのまま。

「……」

頬に、何かが触れる。

冷たい。

最初は分からない。

でも。

「……は」

気づく。

涙。

一つ。

そのあと、もう一つ。

止める前に、落ちる。

「……なんでだよ」

小さく笑う。

情けない。

理由は分かってる。

体調のせい。

弱ってるから。

そういうことにする。

でも。

「……ちがうだろ」

自分で否定する。

分かってる。

そんな単純じゃない。

「……来いよ」

ぽつりと出る。

願いみたいに。

命令じゃない。

ただの本音。

「……一回くらい」

続ける。

誰もいない場所で。

一人で。

「……来てくれたっていいだろ」

声が少しだけ震える。

抑えようとしても、無理だった。

「……っ」

喉が詰まる。

息がうまくできない。

視界が滲む。

もう、隠す必要もない。

「……なんで俺ばっか」

初めて出た言葉だった。

距離を置くって言ったのは自分。

でも。

苦しいのも、自分。

「……ほんとに、あほだな俺」

自分に言う。

分かってる。

全部。

でも。

「……会いたい」

その一言が。

一番、誤魔化せなかった。

そのまま、しばらく動けなかった。

人は通る。

音もある。

でも。

その中で。

一人だけ、完全に取り残されたみたいに。

しゃがみ込んだまま。

涙が止まるまで。

動かなかった。



同じ時間。

凪は、部屋にいた。

今日は講義が少ない日だった。

外に出る必要もない。

だから、出ていない。

机に向かっている。

課題を進めている。

手は動いている。

問題も解けている。

でも。

「……」

一瞬だけ、手が止まる。

理由はない。

集中が切れたわけでもない。

ただ。

「……」

少しだけ、視線が横に動く。

スマートフォン。

机の端に置いてある。

触らない。

見る必要もない。

連絡は、来ていない。

分かっている。

だから。

「……問題ないです」

小さく呟く。

自分に言い聞かせるように。

距離を置く。

それは守っている。

正しい行動をしている。

だから。

問題はない。

そう判断する。

それでも。

「……」

ほんの一瞬だけ。

手が、止まる回数が増えていることに。

本人は、まだ気づいていなかった。

その日の夕方。

凪は、予定通り一日を終えていた。

講義も、課題も、必要なことはすべて終わっている。

問題はない。

計画通り。

「……」

机の上を軽く片付けて、立ち上がる。

無駄な動きはない。

そのまま、帰る準備をする。

スマートフォンは、ポケットの中。

取り出さない。

確認する必要もない。

連絡は来ていない。

送ってもいない。

——距離は守っている。

それでいい。

そう判断している。

教室を出て、廊下を歩く。

人の流れに紛れる。

いつも通り。

何も変わらない。

そのはずだった。

「……あれ、神代?」

不意に名前を呼ばれる。

足を止める。

振り返る。

同じ学部の人間。

特別親しいわけではないが、顔は知っている。

「はい」

短く返す。

「今日さ、神代といつも一緒に歩いてた人と会った?」

その名前が出た瞬間。

ほんのわずかに、思考が止まる。

でも。

「会っていません」

すぐに答える。

事実。

今日は会っていない。

「そっかー、なんかさ」

軽い調子のまま続く。

「昼くらいに、あの辺でしゃがみ込んでてさ」

その一言で。

凪の中の何かが、わずかに引っかかる。

「……しゃがみ込んで」

繰り返す。

確認するみたいに。

「うん、体調悪そうだったけど、大丈夫なんかなって」

何気ない情報。

ただの雑談。

でも。

「……」

その瞬間。

頭の中で、一つの線が繋がる。

今日、会っていない。

連絡もない。

距離を置いている。

だから。

——行かなかった。

それは、正しい判断。

そのはずだった。

「……あ」

小さく声が漏れる。

自分でも気づかないくらいに。

「どうした?」

相手が首を傾げる。

凪は、数秒だけ動かない。

思考が、急速に整理されていく。

状況。

判断。

結果。

「……どこですか」

気づいたときには、そう聞いていた。

声が、少しだけ低い。

「え、あー、あの通路のとこ」

場所を聞いた瞬間。

「ありがとうございます」

それだけ言って。

もう、会話を続ける理由はなかった。

足が動く。

速い。

さっきまでとは明らかに違う速度。

人の間を抜ける。

無駄な動きはない。

一直線。

——いる可能性。

低い。

時間が経っている。

でも。

確認しない理由がない。

「……」

呼吸が、少しだけ速くなる。

身体は正常に動いている。

でも。

中が、静かじゃない。

さっきまでの「問題ない」が。

崩れている。

「……正しかった」

自分に言う。

距離を置く。

言われた通りにした。

間違っていない。

それでも。

「……でも」

足が止まらない。

場所が見える。

さっきの通路。

人の流れ。

壁。

——いない。

やっぱり。

予想通り。

でも。

「……」

視線が、床に落ちる。

何もない。

当たり前。

でも。

そこに、さっきまで誰かがいた痕跡を、無意識に探してしまう。

「……」

数秒、立ち尽くす。

遅い。

完全に。

「……間違えた」

ぽつりと出る。

静かに。

でも、はっきりと。

正しかったはずの行動が。

結果として。

——違った。

その事実だけが、残る。

「……」

ポケットからスマートフォンを取り出す。

画面を開く。

水城の名前。

迷いはない。

連絡する理由は、十分にある。

「……」

指が止まる。

ほんの一瞬。

でも。

「……距離」

頭の中で、その言葉が浮かぶ。

約束ではない。

でも。

守ると決めた。

それを。

ここで崩すのか。

「……」

考える時間は、長くない。

結論はすぐに出る。

——崩す。

理由がある。

必要だから。

「……」

画面をタップする。

通話ボタン。

鳴る。

一回。

二回。

三回。

出ない。

「……」

そのまま、切れる。

無機質な画面。

反応はない。

「……もう一度」

すぐに、かけ直す。

今度も。

同じ。

出ない。

「……」

胸の奥が、少しだけざわつく。

初めての感覚。

想定していない展開。

「……家」

短く呟く。

可能性を絞る。

体調が悪いなら。

帰っている。

そう判断する。

足が動く。

今度は、帰り道の外へ。

迷いはない。

——会う必要がある。

それだけ。



その頃。

水城は、部屋にいた。

どうやって帰ってきたのか、あまり覚えていない。

気づいたら、ベッドの上だった。

靴も、そのまま。

上着も脱いでいない。

「……はあ」

熱い。

身体が。

頭も、ぼんやりする。

さっきのことが、断片的に残っている。

しゃがみ込んだこと。

泣いたこと。

「……最悪」

小さく呟く。

情けない。

全部。

でも。

「……しかたないだろ」

誰に言うでもなく。

言い訳する。

体調が悪い。

だから。

そういうことにする。

スマートフォンが、どこかで鳴った気がした。

でも。

取る気力がない。

手を伸ばすのも、だるい。

「……もういいや」

目を閉じる。

少しだけ眠るつもりで。

でも。

完全には落ちない。

意識が浅いまま。

時間だけが過ぎる。

「……」

頭の中に浮かぶのは。

やっぱり。

——来なかった、という事実。

「……」

目を閉じたまま。

ぽつりと。

「……本当に来ないんだな」

繰り返す。

もう何回目か分からない。

でも。

それしか出てこない。

「……あほだろ」

自分に言う。

分かってる。

期待した自分が悪い。

でも。

「……それでも」

声が、かすれる。

「……一回くらい」

そのまま。

途切れる。

言葉が続かない。

代わりに。

「……っ」

目を閉じたまま、眉が寄る。

涙が、また滲む。

止める気もない。

そのまま。

「……会いたいって、言えばよかった」

初めて出た後悔だった。

遅い。

全部。

でも。

もう、どうにもならない。

そう思った、そのとき。

——インターホンが鳴る。

一回。

短く。

「……は?」

反応が遅れる。

誰か来る予定はない。

考える。

でも。

思いつかない。

もう一度、鳴る。

今度は、少し長く。

「……だる」

身体を起こす。

重い。

でも。

無視し続けるのも面倒で。

ゆっくり立ち上がる。

ふらつく。

壁に手をつきながら、玄関へ向かう。

鍵を開ける。

ドアを開ける。

そこに、立っていたのは——