俺は糸目キャラを救いたい

 「昨日あいつがきたの?!」
「うん、だから楓気をつけなね。ストーカーにはならないと思うけど。」
 トーストを齧ると、バターがジュワッと口の中に広がる。いい焼き加減、広がるバター、そして何よりコーヒーのいい香り。朝食時の匂いが1番好きだ。
「あんたも気をつけてよ。」
「俺が何を気をつけるの。」
「好きな顔でしょ。」
 さすが俺の好みをよく把握している。隠すつもりもないし、もう会うことはない人だ。俺もあれ以上の人が見つかるとは思えないから、もしかしてなんて考えたがさすがに……。
「俺も男だよ。女の子と付き合うよ。」
 普通に恋愛して、普通に付き合って、普通に結婚して、普通に幸せな家庭を築いて……、俺は普通に生きていきたいんだ。
 一気に飲み干したコーヒーの苦味が口に広がって、目の前のトーストの甘さがより際立つ。
「あ、日直なの忘れてた!」
 慌ただしく席を立ち、カバンを持つ。
「あ、颯斗。シャツ忘れてるよ!」
 俺の昨晩用意したトートバッグを投げてくれたので、軽く感謝を述べると、楓は眉を下げながら笑った。
 今日は授業が終われば初めてバイト先に行く。通学路でいつもコーヒーのいい香りがするお店。全国展開されているチェーン店だが、落ち着いた雰囲気のお店で女の人が多いイメージ。
 いつもより軽い足取りで高校に向かう。会わないってわかってるのに、曲がり角に来ると前髪を整えてしまう。そんな自分が少し嫌いだ。

 口の中が乾く。唾液を音を立てて飲み込み、目の前のドアノブを引くと、カランカランと音を鳴らしながらドアが開かれた。レジの女性が俺に気づくと、裏に誰かを呼びに行った。中から出てきたのは、少し髭の伸びた男の人で、この店の店長だ。深々と頭を下げ、従業員控え室に案内された。
「じゃぁ、これ制服だから。着替えたら表においでね。」
「分かりました。」
 従業員1人ずつにあるのだろうか、ロッカーには名前が貼られていた。俺の隣は……、
「暁月、さん。」
 まるで漫画の登場人物のような名前。実際にいるんだ。初めてのバイトは俺にとって異世界で、それだけで心がフワフワしていた。
 アイロンの当たったシャツに袖を通し、エプロンをかける。いつも通学路で窓から見ていただけの俺が、それをつけて店頭に立つなんて誰も想像しなかっただろう。
「お待たせしました。」
「よし、じゃぁ早速だけど仕事説明から始めるね。」
 メニューは豊富にあり、それを1つずつ覚えるのはとても苦労しそうだ。それなのに、他の人は、みんなパキパキと働いていて、自分もいつかなれるのかと、また夢物語を頭の中で描いた。
 一通りの業務の説明が終わり、1つのことをやってみようとコーヒーメーカーの前に立たされる。
「おはざーっす。」
「あ、いい所に来たね。」
 店長が向く先を見ると、角でぶつかったあの人が目の前にいた。大きな欠伸をして、気怠そうに店長を見る。何か話したあと、流し目で俺を見てニヤリと笑った。
「あれ、昨日の子やん。俺に会いに来てくれたん?」
「ちがッ、違います!」
「ははっ、冗談やんか。ちょっと待っててな。」
 俺の頭をポンッと優しく撫で、奥へと入ってしまった。
 え、今の一瞬の至福はなんだっただろう。というか、推しと同じ世界線に居ていいのだろうか。てか、ポンッてなに。あれって、男にもやってもらえるもんなの。
「新人くん、ショートコーヒー入ったから、これにコーヒー入れて。ボタン押すだけだから!」
 あれこれ考える時間なんてなかった。今はバイト中で、俺の任務はコーヒーメーカーのボタンを正しく押して、隣の人に渡すことだった。
 次々とくるコップの山に頭が回らない。ただコーヒーを入れる簡単な作業を任せられたのに、さっき教えてもらったボタンの位置が分からなくなってくる。
「トール、トール……、」
「トールはこのボタンね。」
 奥から戻ってきた先輩は、忙しい中でもサラッと俺のことを助けてくれる。ずっと笑顔で俺の分からないことを先読みしているのか、流れるように仕事をこなす。
 
 「よし、一段落やな。」
 閉店まで1時間弱になると、ようやく並ぶ人が減った。ホッと胸を撫で下ろした。
「そういえば、名前なんやったかな。」
「あ、美波 颯斗です。よろしくお願いします。」
「俺は暁月 星斗な。美波くんに色々教えたって言われたから、1人前なるまでは俺と一緒におろな。」
 え、この人が暁月さん。控え室でも推しの隣を取れてしまったなんて、俺は前世で何をしたんだろう。
「美波くん、聞いとる?」
「あ、ごめんなさい。ボーッとしてました。」
「バイト初めてなんやろ?初めてで忙しぃとびっくりするよな。……あ、そや。コーヒー飲んでみる?」
 トールサイズのカップに氷をたっぷり入れて、湯気のたつコーヒーを注ぎ込むと、匂いがフワッと広がった。俺が好きな朝の時間の、あの匂いに落ち着くことができた。
 お客さんはまだ来ているのに、こんなにゆっくりコーヒーを飲んでてもいいのだろうか。
「……、裏行こか。」
 俺が横目でレジの方を見ていたのが気になったのだろうか。暁月さんはカップを2つ持って裏の控え室へと入っていった。机を挟んで向かい側の席についた。差し出されたコーヒーを1口含むと、酸味が少なくスッキリした味わいで、コーヒーの風味が口いっぱいに広がる。
「おいしい。」
「やろ。その豆は酸味ないのが特徴でな、……」
 メニュー表を俺に見せながら、コーヒーの特徴を丁寧に教えてくれる。その内容を必死にメモに取った。暁月さんは内容について凄く詳しくて、話を聞いているだけで涎が口の中に溜まる感じだった。
「暁月さん、説明上手なんですね。」
「さん付けとかせんでええよ。堅苦しいの苦手やねん。それに、敬語もいらんよ。歳近いねんからフラットに行こや。」
 関西人だからフレンドリーなのか、初めて長く話していると思えないほど軽めに話してくれる。それはただ仕事先の話からなのだろうか。それとも、暁月くんだからなのだろうか。
 仕事について、色々と話を聞いていると、扉を叩かれる音がした。
「暁月、美波くん、今日は上がっていいよって店長からの伝言だよ。」
「え、俺もええんですか?」
「うん、美波くんに閉め作業説明しようかと思ってたんだけど、初日は疲れただろうしゆっくり休みな。」
「ありがとうございます。……えっと、」
「私、杉野遥っていうの。これからよろしくね。」
 このカフェは美男美女しかいないのだろうか。杉野さんも色白でしっかりお姉さん系の美人だ。暁月さんと並んでたら、本当にお似合いの2人って言われるくらいの美男美女。これは、推しカップリングになってしまう。
「美波くん、近くまで一緒に帰ろや」
 俺の返事を聞く前に、暁月くんはカバンを手に取り控え室の扉を出た。それを追いかけるように杉野さんに一礼してから部屋を出る。

 21時前、さすがに外は暗かった。街灯の明かりのせいで星はポツポツと少ししか見えない。色んな話を聞いてるはずなのに、声は聞こえているはずなのに、内容が頭の中に入らない。
「美波くん、キツネ付けるんやめたん?」
 唯一入ってきたのは、暁月くんと俺を繋げてくれたキーホルダーの話だけ。
「うん、もう落としたくないから。」
「ふーん。」
 俺のカバンに付いているタヌキのキーホルダーを手で遊び、俺の顔をジッと見つめてくる。ジト目で、表情を読み取りにくい。何か観察されているような、そんな気分になる。
「似てるよな、美波くん。」
「へ?」
「タヌキに。」
「え、どこが。」
「んー、純情なとことか、タレ目が可愛いとことか、ほんま…、」
 え、可愛い?俺のこと可愛いって言った……?表情を隠すために暁月くんと反対の方を向いた。絶対に今顔が赤いと思う。男にこんなこと言われて、気持ち悪いって思われる。暁月くんにはそんなこと……、
「ほんまに似てる、お姉さんと。」
 速くなっていた鼓動が、一気に止まった。息の仕方も分からない。
「じゃ、美波くん、俺こっちやから。これからはバイト仲間としてよろしくな。」
「……、はい、教えてくれてありがとうございます。」
 暁月くんは、振り返ることなく分かれ道を歩いていく。この前、楓が暁月くんとぶつかったあの角で。街灯の明かりがチカチカと点滅し始め、蛾の飛ぶ音が聞こえる。
 初めてじゃない。楓と似ているなんて何度も言われたことがある。そりゃ、姉弟だし、似ていて当たり前だ。
「あ、颯斗。おかえり。」
 喉の奥で何かがつっかえた。楓はキョトンと俺を見つめ、ニコリと微笑む。その瞬間、一気に空気が入り込んできて思い切り咳き込んだ。
 大丈夫、俺は暁月くん以上に楓のことが大事だ。もし、暁月くんが本気で楓のことを好きになって、楓も暁月くんのことを好きになっても、俺は、受け入れられる。
「颯斗、大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。……楓、帰ろう。」
 3次元の推しが結婚したりする時ってこんな感情なのだろうか。やっぱり俺は2次元の推しに限る。