渚くんには僕が見えない

僕、永野真尋(ながのまひろ)は、チーム分けがちょっと苦手だ。

英語のスピーチのグループ分けとか、修学旅行の班決めとか。
それから、体育のバスケットボールのチーム分け。

「はい、じゃあ好きな人同士で組んでください」

そんなふうに言われる時間になると、胸の奥がじわっと落ち着かなくなる。

「おーい、どっか永野混ぜてやってくれぇぃ」

体育館に、先生ののんびりした声が響いた。

その隣で、僕は今日も顔を真っ赤にして俯いている。

高校二年生にもなって、「混ぜてくれない?」の一言が自分で言えないのも恥ずかしい。
けれど、言えないのにはちゃんと理由がある。

僕は昔から、自分が誰かの迷惑になってしまうんじゃないか、ということばかり考えてしまうのだ。

運動は苦手だし、声も小さい。
人前に出るとすぐ緊張してしまうし、バスケでもノーマークで立っているのに、存在に気が付かれていないのか僕のところにはなかなかパスが回ってこない。

それに、小さい頃は、そばかすの目立つ白い肌と、黒髪の重たい癖っ毛をからかわれたこともあった。
大したことじゃないのかもしれないけれど、それ以来、自分の見た目にもあまり自信が持てなくなった。

だから、ちゃんと人の目を見て話せないのも、みんなとうまく距離を縮められないのも、きっとそのせいだと思う。

別に、いじめられているわけじゃない。
話しかければ普通に話してくれるし、クラスの雰囲気だって悪くない。

でも、こういう場面になると、なんとなくみんなが一瞬だけ顔を見合わせるような空気が流れる。

そのあとで、大抵は委員長のいるチームが、

「ここいいっすよー」

と、手を挙げてくれる。

ありがたい。本当にありがたい。
でも、そのありがたさの分だけ、申し訳なさが胸の奥に溜まっていく。

僕はぺこぺこと頭を下げながら、腰を屈めるようにして体育館を横切る。
そして、できるだけ目立たないように、そのチームの端にそっと入り込んだ。

キュッ、キュッ、とシューズが体育館の床を擦る音があちこちで響く。
ドン、ドン、と弾むバスケットボールの音。

体操着姿のクラスメイトたちがコートを走り回り、ゼッケンの番号が次々と目の前を横切っていく。

コートの端で、僕はできるだけ邪魔にならないように小さくしていた。
今は試合の順番待ちだ。チームメイトたちの横に並んで座りながら、コートの中のその人をじっと目で追う。

「パス!」
「こっち!」

コートのあちこちで声が上がる。
 
ひとりがパスを受け取って、そのままドリブルでコートを駆けていった。

ディフェンスが前に立つ。
一瞬の体重移動で、フェイント。
相手の重心がずれた隙を突き、横を抜ける。

そのままリング下へ踏み込んだ。

ジャンプ。

放たれたボールが弧を描く。

――バシュッ。

ネットが揺れた。

「ナイス!」

「よっしゃー!」

チームメイトが駆け寄って、ぱん、と乾いた音を立ててハイタッチが交わされる。

「わぁ、また渚かよぉ」
「バスケ部ずりぃってぇ」

相手チームの冗談まじりの声に、渚くんは苦笑しながら片手を挙げる。

背が高くて、すらっとしている渚くんは男らしいというより、整った顔立ちのきれいなタイプ。
バスケ部のレギュラーで、クラスでも目立つ存在だ。
 
染めているわけじゃないのに、光の加減で茶色っぽく見える柔らかい髪。
前髪は重すぎず、涼しげな目元がきちんと見える。
肌も少し白くて、どこか清潔感があって、体育の体操着でも、なんとなく様になってしまう人だ。
当然、女子にも人気がある。

高瀬渚(たかせなぎさ)くん。
この、とってもかっこいい彼は、実は僕の幼なじみだ。
体育座りをした膝ので腕を組み、その上に顔の下半分を押しつける。
つい得意げに緩みそうになる口元を隠しながら、僕はまたコートを走り抜ける渚くんを目で追った。

みんな、渚くんが好き。
僕も、渚くんが好き。

だからこうして、ついこっそり渚くんを見てしまう。

渚くんはいつだってかっこいいけど、バスケをしている時はとんでもなく光って見える。
そんな時、僕にはもう渚くんしか見えなくなる。

「危ないっ!」

その声とほぼ同時に、何かが顔面にぶつかった。

――ドンッ。

視界が一瞬真っ白になって、気がついた時には床の上にひっくり返っていた。
視界に体育館の天井が見える。

「永野!? 大丈夫か!?」

気づけば、クラスメイトたちの顔が上から覗き込んでいた。
恥ずかしすぎて、僕はとっさに両手で顔を覆う。

「だ、大丈夫……」

言った瞬間、指の隙間から赤いものがぽたりと落ちた。

「あ、鼻血」

結局、そのまま保健室に連れて行かれることになった。

体育の試合は不参加。
少なくとも、渚くんの前で下手くそなバスケの醜態を晒すことだけは免れたらしい。

保健室で少し横になっているうちに、六時間目はそのまま終わってしまった。

鼻血で汚れてしまったジャージを脱いで制服に着替え、僕は荷物を取りに教室へ向かう。特に部活にも入っていないから、このまま帰るだけだ。

廊下に出ると、階段の方からどっと足音が下りてきた。部活へ向かう生徒たちが笑いながら通り過ぎ、体育館の方へ駆けていく。廊下の端では、帰る準備をしながら話し込んでいるグループが場所を陣取っていた。

歩きながら窓の外に目をやると、校庭の端の木々が揺れていた。新緑の色は春の初めより少し濃くなっている。窓から吹き込む風が、廊下を気持ちよく通り抜けていった。

「あ、永野!」

ぼんやりしていたせいで、急にかけられた声に僕はびくっと肩を揺らした。窓の外から廊下へ視線を戻す。

そこに立っていたのは同じクラスのバスケ部が数人。もちろん渚くんもいる。

声をかけてきたのは、その中の渚くんではないひとりで、さっき僕の顔にボールを当ててしまった本人だった。

「さっきごめんな? 大丈夫?」

「思いっきり顔面だったよな? 鼻の骨平気?」

そんなふうに言いながら、背の高いバスケ部の人たちが僕の周りに集まってくる。心配してくれているのはもちろんわかる。でも、大きな影に囲まれると、それだけで僕はあわあわしてしまって、うまく言葉が出てこない。

「あ、あのっ、だいじょ……」

「げ、ジャージ、鼻血ついちゃってんじゃん」

僕が腕に抱えていたジャージを、ひとりが指差す。

「うわ、まじ、落ちそう?」

「おまえ、弁償したほうがいいんじゃね?」

「あ、いや……気、気にしな……」

「うわ、まじか。てか、永野小さいから俺の一年のときのシャツ入るかな。いる?」

「ばぁか、お前のお下がりとか永野が可哀想だろ」

「あ……あのっ……」

軽口がぽんぽん飛び交って、会話はどんどん先へ転がっていく。
僕はその輪の真ん中で、言葉を挟むタイミングを見失ったまま立ち尽くしていた。

鼻血はもう止まっているし、骨も痛くない。ジャージの汚れも少しだから、たぶん洗えば落ちると思う。
そう言いたいのに、口だけぱくぱく動いて、うまく声にならない。

「ねぇ」

ふっと、場の流れを静かに引き寄せる声がした。

渚くんだ。

僕を囲んでいたバスケ部の人たちより、少しだけ離れたところに立っている。

「早く行かないと、練習始まっちゃうよ」

渚くんがそう声をかけると、みんなは「ああ、そうだな」とか、「やべっ」とかそんな感じで言葉を交わす。

そのとき、渚くんの視線が一瞬だけ、僕の腕に抱えたジャージに落ちた。ほんの一瞬で、すぐに外れてしまったけれど。 

「じゃあ、永野。もし落ちなかったら教えて。お下がりやるから」

「え、あ、う、うん?」

そんな言葉を残して、みんなはわらわらと体育館の方へ向かっていく。

ふっと顔を上げると、偶然、渚くんと目が合った。

思わず、はっと息を呑む。
渚くんと目が合うなんて、いつぶりだろう。

何か言わなきゃ。
練習頑張ってね、とか。今度試合だよね、とか。応援してる、とか。

「あ……」

声が出た、その瞬間。

渚くんは、ふいっと視線を外した。

ほんの一瞬のことだった。
誰にも気づかれないくらい、自然な動きで。

だから、もしかしたら――
目が合った気がしたのは、僕の勘違いだったのかもしれない。

だって、渚くんは中学生の終わり頃から、僕とほとんど喋らなくなった。

昔は、すごく仲が良かった。
僕は今と同じで人付き合いが得意じゃなくて、渚くんは昔から人気者だったけれど、家が近所だったから、いつも一緒に遊んでいた。

でも、成長するにつれて、たぶん僕たちはだんだん違ってきた。
渚くんの周りには友達が増えて、僕は相変わらず、こんな感じのままで。

きっと、一緒にいても楽しくなくなったんだと思う。

それでも、僕は昔も今も、渚くんのことが大好きだ。

また話せたらいいな、とか。
昔みたいに仲良くできたらいいな、とか。

そんなことばかり考えてしまう。

雑談しながら歩いていくバスケ部の後ろ姿に混ざって、渚くんもそのまま僕の横を通り過ぎていった。

やっぱり、さっきのは気のせいだったのかもしれない。

僕はさっきまで向けていた作り笑いのまま、行き場のない視線を廊下の先に置く。

昔は、あんなに仲が良かったのに。

高校生になった渚くんには、どうやら、僕の姿が見えなくなってしまったらしい。