虐げられた呪印の巫女は、あやかし旦那様からは逃げられません。

side:志皇

今から10年前、俺は前当主から指名され、暁家の当主を襲名した。

東西南北の当主に襲名したら皇都の天子様の元へ報告に行く義務がある。
報告を済ませた俺は付き人の身体を休ませる目的で東伊家の神社に向かった。
俺はそこで、妖に襲われているお前に出会ったのだ。



境内で巫女服の少女が襲われている。それを見つけた俺は腰に帯刀していた刀を引き抜いて、化け蜘蛛の妖を一刀両断した。
刀を鞘に納めて振り返ると、長い黒髪の子供が小刻みに震えながら懸命に体を丸めていた。

「おい、幼い巫(かんなぎ)。もう大丈夫だ」
「……っ!?」
「この神社の者か?」
「……は、はい。助けてくれて、ありがとうございます」

ビクリと身体を震わせ、恐る恐る顔を上げる。
その目を見た瞬間、俺は目を見張った。
海の様な澄んだ青い瞳だ。青い瞳の人間は、霊力が高い証だ。
石畳に座り込む少女は、着物の裾から伸びる腕や足にいくつもの古傷を負っていた。

「おいお前、これは何だ?……さっきの化け蜘蛛に付けられたものでは無いだろう」
「これは、私が自分でつけたの……」
「何だと?」

俺は少女の前に歩み寄って片膝を立て、その顔を覗き込んだ。
顔にもひっかき傷がいくつも刻まれている。

「私は、霊力が高いからよく襲われるの……。でも、皆私の血をあげれば満足して帰って行くの。だから、妖に襲われたら、自分で傷つけて血をあげるの。そうしたら大丈夫だから。……あ」

俯きながら淡々と告げる少女の目がパチリと開かれる。
その視線の先は、着物の裾から伸びる俺の腕だった。

「あなた、怪我してる……」

俺も少女の目線を追って視線を下げる。
俺の腕にはわずかな切り傷があった。さっきの化け蜘蛛にでも引っ掻かれたのだろう。

「俺は人間じゃない。この程度放っておけば治る」
「ちょっと待ってて」

少女はぱたぱたと境内の傍の花畑まで駆け、白い百合の花を一本手折って戻って来た。
少女がすっと目を閉じる。同時に、さざ波の様な繊細な霊力を感じる。
手に持っていた百合の色が光を帯びてガラスの様な透明な水色に染まり、白百合は霊花へと姿を変えた。少女はそれを俺にすっと差し出した。

「これ、傷口に当てて。傷がすぐに治るから」
「……放っておけば治ると言っただろう」
「でも、すぐに痛みが引いた方が良いです」

少女が百合の霊花を俺の腕に押し当てる。
花びらが俺の腕にすうっと入り込んで溶け消える。瞬く間に、俺の腕の傷は跡形も無く消えた。

「助けてくれたお礼、出来て良かったです」

傷だらけの顔でふわりと微笑む少女は、確かに神の使いのように見えた。
……変わった女だ。人間は普通、俺の額に生える角を見ただけで避けるというのに。

「俺が怖くないのか?」
「はい。恩人ですから」

日常的に妖に襲われているから、俺の容姿は恐怖の対象にはならないのか。
俺は少女の傷だらけの皮膚を見る。
妖は人間の霊力を食えば傷も治り、気力も回復する。それゆえに高い霊力を持つ人間は狙われやすい。霊力は人間の血肉に宿るからこの少女の方法は間違ってはいない。だか……。

「お前、自傷行為なんて続けていれば早死にするぞ」

血で満足できなければ皮膚を食い破られる。
高すぎる霊力は妖を引き寄せ、狂わせる。このまま何もしなければ、こいつは近いうちに妖に命を奪われる。

「両親はいないのか?」
「いない。死んじゃった」
「そうか……」
「だから、寂しい……です。私、いつか家族が欲しい。でも、それまでどうやって生きていけばいいか……分からない」

俺は少女の痣だらけの頬に触れた。少女はじっと俺を見つめ返す。
妖に襲われても物怖じしない青い瞳は、今まで俺が見て来たどの人間よりも美しいと思った。
……へえ、悪くないじゃないか。

「なってやろうか?」
「え……?」
「俺が、お前の家族になってやろうか?」

少女が目を零れ落ちそうなほど見開く。
俺は頬に当てていた手を滑らせて首筋に触れる。

「俺がお前に刻印を付ければ、妖はお前を襲わなくなる」

刻印を刻めば、刻印を刻んだ妖よりも下級の妖は刻印の娘を襲えない。
俺は北で一番妖力が高い。俺が刻印を付ければ、妖はこの少女に手出しが出来なくなる。
だが、刻印は契約だ。

「その代わり。お前は俺の伴侶となり、俺と一生添い遂げる事になる」

幼い頃に妖に婚姻された人間は、他の妖に襲われなくなる代わりに人間から刻印を消す事は出来ない。
少女は俺の言葉を飲み込むようにぱちぱちと目を瞬かせると、首筋に触れた俺の手を、あかぎれと日ひび割れの走る両手でそっと包んだ。

「……私の、家族になってくれるの?」
「お前が16になったらな」

その瞳は潤んでいた。少女は眉尻を下げ、俺にぎこちない笑みを向けた。

「……嬉しい」
「お前、名前はなんて言う?」
「香耶乃。……鹿条、香耶乃」
「良い名前だな」
「ありがとう。あなたは?」
「……志皇。暁 志皇だ」
「しおう、様」

少女――香耶乃は俺の手にすり寄り、照れ臭そうにはにかんだ。
妖ばかりの暁領では霊力の高い人間の女は貴重だ。利用価値がある。だが、それ以上に。
自分で処世術を見出す賢さに、意志の強い瞳。この女には、どこか惹かれるものがある。だが、今の香耶乃の一過性の想いだけで、香耶乃の将来の全てを決めさせるのは酷だ。

「香耶乃。今からお前に刻印を刻む。だが完成はさせない。お前が婚姻を結べる年になった時、お前の意志をもう一度聞く。その時気持ちが変わっていなければ、刻印を完成させよう」
「は、はい……っ」
「幸いここは神社だ。妖の脅威さえ退けられれば、お前を貶めるような人間はいないだろう」
「わたし、ずっとここに居ます。志皇様が私を見つけられるように」
「どこに居たって見つけてやる」

神社ならば博徒や裏社会に通じる人間はいないだろう。
周りの人間も聖職者ならば、香耶の力を利用しようする奴は少ないはずだ。

「優しいですね、志皇様」
「俺が優しいって?……変わった奴」

俺はすっと屈んで香耶乃の首筋に唇を寄せた。
香耶乃がきゅっと目を瞑ってこくりと頷く。
それを視界に収めた俺は口を開け、ぷつ、と首筋の皮膚に牙を突き立てる。浅く、痛みが少なく済むように。
じゅっと吸って香耶乃の血を喉に嚥下する。牙を離して再度首筋に口付けると、香耶乃の首筋に黒い芍薬の刻印がじわりと浮かび上がった。
ちらりと香耶乃を見ると、頬を染めながらも瞳を閉じたままじっとしていた。

さらりとした風が吹き、境内の薄桃色の桜の花びらが俺達の間を通り抜ける。

「忘れるな、香耶乃」

桜舞う神社の境内で、俺は幼い香耶乃を抱き寄せた。俺の深紅の髪と香耶乃の青みがかった黒髪が混ざり合って風に流れる。

「俺と正式に婚姻を結ぶまでは……この印がお前を守るだろう」

俺は香耶乃の青く澄んだ瞳をしっかりと見つめ、ふっと微笑んだ。
16になったお前が頷きさえすれば――もう、逃がしてやらない。
必ずこの黒い刻印を赤く染めてやる。俺はそう決意し、すっと香耶乃から身を離した。

「俺はもう行く。妖はお前を襲わないだろうが、命の危機にさらされれば俺を呼べ」
「志皇様の、名前を……?」
「そうだ。どこに居ても、お前が呼べば俺は駆け付ける」
「……はい……!」

香耶乃が襟元を直してはっきりと返事をする。
一生懸命なその姿がなんだか可愛らしく思い、俺は香耶乃の頭をくしゃりと撫でて、桜舞う東伊神社の境内を後にした――。