虐げられた呪印の巫女は、あやかし旦那様からは逃げられません。

side:志皇

「それで、香耶乃はどこです?」

本殿に通された瞬間告げられた言葉は案の定だった。
広い本堂の中心で俺と宗珠は向かい合って座り込んだ。突き刺す視線は、苛立ちを隠そうともしない。
俺はそれを無視して、人好きのよさそうな笑みを浮かべた。

「我が北の地、暁領に決まっているではありませんか。書簡は届けさせましたよ」
「ふざけるのも大概にしなさい!こんなもので納得出来る訳が無いでしょう!?」

宗珠が立ち上がって真白の書簡を投げつけた。
俺をそれを手で受け止めて、じろりと睨み上げた。
俺が文車妖妃に渡したもう1つの書簡、そこにはこう記した。

『東伊家の皆様。我が妻、香耶乃の16歳の誕生日に際して、彼女を正式に北の暁家に貰い受けます。後日結納金を持参致します。今まで、妻が大変お世話になりました』

「充分過ぎるだろう。宣言通り結納金を持参してやったのに何が不満なんだ?」
「……まずは額を確認しましょう。相応の金額でなければ、応じるつもりはありません」

俺は手を上げ、後ろに控えた従者に白木台に乗った重厚な桐の箱を持って来させた。

「どうぞお納めを」
「……拝見します」

桐の箱を開けた瞬間、宗珠の目の色が変わった。

「ほお、なるほど。一千万も包んで下さるとは……」
「当然の事をしたまでです」
「ですが、これではまだ不十分です。香耶乃を妻にと言い張るのなら、毎月のお布施をして頂かなければ……」
「……何だと?」

仮にも神職の身でありながら、そこまで多額の金を欲する理由は何だ。
この地に沈むきな臭さは、もしやこの男が原因か?

「香耶乃は住み込みでこの家の者では無い。家族でも無い者に対して、これ以上の支援を求めるのは無礼では無いか?」
「香耶乃に居なくなられては困るのです!!彼女が居なければ私は――」

声を張り上げてそこまで(まく)し立てると、ハッとして宗珠が口を噤んだ。

「私は、なんだ?言ってみろ」

俺は目を眇めて宗珠をじろりと見上げた。
宗珠は少しの間目を泳がせていたが、やがて儚げに微笑んだ。

「私はどうにかなってしまいそうです。何故なら私は、香耶乃と愛し合っていたのですから」
「…………何?」

思わず不快感を露わにして睨みつける。と、俺の視線を受けた宗珠はすまなそうに、だがいやらしく微笑んだ。

「孤児だった香耶乃を拾ってこの社殿に住まわせたのは私です。香耶乃は本当に健気で、神社の業務にも多大な貢献をして頂きました。そんな香耶乃に、私は恋をしてしまったのです」
「……」
「もう何年も交際をしております。ですので、私達を引き裂くような真似はおやめください。どうか――香耶乃を私の元へお返しください」

宗珠が木目の床に恭しく手を付いて、俺に向かって頭を下げる。
窓から入る昼光が結い上げられた宗珠の黒髪に反射し、如何にも清廉さを表す様に煌めく。

『と、とても良くして頂きました。孤児だった私を拾って下さって、住み込みで巫女として働かせて頂けたので』

昨夜の香耶乃の言葉を思い出す。嘘を言っている素振りはなかったものの、何か後ろめたさを抱いているような雰囲気があった。
まさか香耶乃は本当に、この男に気があるのか?
宗珠が顔を上げて俺を影のような黒い瞳で見据える。
艶やかな長い黒髪に切れ長の瞳。その顔は、相手には困らない程度には整ってる。

「私が香耶乃を思う気持ちは清らかに澄んだ誠の恋心です。どうかお願い致します。志皇殿」
「断る」
「……え?」

俺が不遜に言い放つと、宗珠は開き目を見開いて、顔を強張らせる。

「聴こえなかったのか?断る、と言ったのだ」
「なっ、何を身勝手な!香耶乃と私は本当に恋仲で――」
「北の地で香耶乃が貴様の名を出した事など、今日まで一度も無いが」
「な……っ!?」

宗珠の話を本当だとするならば、香耶乃が抵抗する機会はいくらでもあった。
そもそも本当に恋仲なら、文車妖妃の誘いになど乗りはしないだろう。

「貴方に香耶乃の何が――!」
「ああそうだな、貴様との関係の真偽は、北の地で香耶乃に直接聴くさ。妻の言う事を信じたいものでね」
「香耶乃は貴女の妻などでは無い!私の物だ!!」

顔を上げて掴みかかろうとする宗珠を躱して立ち上がる。
ちらりと窓の外の暮れなずむ夕日に視線を投げ、口角だけを上げて微笑んだ。

「おや、もうこんな時間だ。そろそろお暇させて頂こう」
「待て!まだ話は――!」
「金は置いて行ってやる。見送りは不要だ」
「まっ、待ちなさい!志皇殿!!」

まくしたてる宗珠を背に、俺はばさりと赤毛を靡かせながら本殿を後にした。

桜の降る境内の石畳を歩く。
そよ風と共に、人型の和紙が俺の肩口に戻って来た。

「報告しろ」
「――……」

風と葉擦れの音に紛れて、人型の和紙――諜報用の式紙が妖力を通して、俺にこの神社内で見聞きした事を伝える。
脳に直接伝わる情報に、俺は目を見開いた。

「……は?」

情報を伝え終わった式紙は、その役目を終えてチリチリと端から崩れていって灰にとなり、風に攫われていった。
俺は長く伸びた爪で口元を覆う。次いで、喉の奥でくつくつと引き攣れたような笑みを漏らした。

「何が清らかに澄んだ誠の恋心だ、下衆(げす)が」

俺は吐き捨てるように呟いて、東伊神社を後にした。
薄桃色の桜の花びらが、赤い夕日に照らされて燃えるような光を宿していた。