私が通された離れは、東伊家とは比べ物にならないほど立派なものだった。
白みがかった木造建築も花々が咲き誇る庭園も手入れが行き届いて、野ざらし同然の東の宿舎とは大違いだった。
畳張りの個室に通されても、私は落ち着かなくて身じろぎをしてしまう。
すると、案内をしてくれた鬼の使用人の方が私をじろりと見つめた。
「なあに、そのボロ布同然の着物は?嫁入りの自覚があるの?」
不快感をあらわにしたその声にびくりと肩が跳ねる。
鬼の使用人は栗色の頭をくしゃりと掻いて、侮蔑の籠った眼を渡しを見据える。ああ、その目は知っている。東の東伊家で、幾度となく浴びせられた視線だ。
「はあ、全く。旦那様もこんな面白みの無い人形みたいな女のどこが良いのかしら。……あたし、侍女頭の美操。アンタのお世話係ね」
「よろしくお願い致します」
「あーそういうの良いから。ご飯なら運んであげるから、この離れから出ないで頂戴。面倒だから」
「はい」
私が返事を返すと、美操さんはだるそうにため息を吐いて離れを後にした。
やっぱり、知らない女がいきなり北の領主に嫁ぐなんて嫌だよね。大人しくしていないと。
「アンタさあ、自分が幸せになれるって本気で思ってるの?」
「え……?」
「アンタ、霊花を作ることに長けているんだってね。どうせそれが目的よ。妖ばかりのこの地で霊力の高い人間は貴重だからさぁ。そうじゃなければアンタみたいな醜女、北を統べる旦那様と釣り合う訳が無いじゃない」
その言葉に、私の心は重く沈み込んだ。
私は人間の中でも飛び抜けて霊力が高い。普通なら一日に数本しか霊花に変えられないはずの物を、私は数百本作り出せる。私が東伊家に居続けられたのはそれが理由。霊力の高さが、私の唯一の価値だった。
「じゃあね、汚らわしい”呪印の花嫁”様」
「っ……」
美操さんは吐き捨てるようにそう告げると、さっさと離れを後にした。
「……」
私は畳に座り込んで俯く。
大丈夫。こんな事には慣れている。
唇を噛みしめて言葉を飲み込んで、罵声が止まるまでじっと耐えていればいい。
私は磨かれた透明な窓から暮れなずむ夕日を眺める。
血のように赤い夕陽は、私の黒髪と藍色の瞳を呑みこむように鋭く離れに差し込んだ――。
◇
それからの数日、私は言いつけ通りに離れで静かに過ごした。
初日以来志皇様と会ってはいない。少し寂しさを覚えるけれど、無理を言うわけにはいかない。
部屋から一歩も出ない事は苦じゃなかった。……けれど。
「……ッ」
身体が火照るのに、頭の奥が冷たい。
この感覚は覚えがある。私の体の中で、行き場の無い霊力が暴発しそうになっている証だ。
本来、人間は自身の中にある霊力は自分で完全にコントロール出来る。吐き出さずとも生活出来る。でも、私はそうじゃない。
吐き出さないと、私の身体の中の霊力が暴走して外に出てしまう。
きっと水の刃となって放出されて、周りを傷つけてしまう。
「そんな事……しちゃ駄目」
私は文机に飾られた芍薬を手に取って霊力を込める。
芍薬が光を帯びてガラスの様な透明な水色に染まり、霊花へと姿を変える。
少し神経が楽になった気がする。でも、これじゃ全然足りない。
丁度そのタイミングで、美操さんが私に昼餉を持って来てくれた。
「ほら持って来てやったからさっさと食べて。……何立ち上がってんのよ?逃げ出す気?」
「違います。……あの、美操さん。手が空いた時で良いので、生花を持って来て頂けませんか?」
「は?」
「それか、この近くに花畑があるのならばそちらでも構いません。私に花を、恵んで欲しいです」
「……何するつもり?」
「霊花を作りたいのです。その霊花は、志皇様のお好きに使って頂ければ……。どうか、お願いします」
私が頭を下げると、美操さんはチッと面倒そうに舌打ちをした。
こんな反応位なら可愛いもの。
私が頭を下げたまま動かないと、美操さんがはあ、と大仰にため息を吐いた。
「あーはいはい。この離れの庭園は花が沢山あるから好きにすれば?北の地では霊花って貴重だし」
「ありがとうございます」
「行くなら夜にしてよね。昼間に勝手に外に出られると、あたしの職務怠慢だって怒られるから」
「分かりました」
「……ほんっと、つまんない女」
美操さんはつまらなそうに吐き捨てると、踵を返して離れから去って行った。
◇
その日の夜。
私は完全に日が暮れたのを確認すると、用意された寝間着のままおそるおそる庭園に繋がる扉を開けた。
「……すごい」
扉を開けてすぐ私の目に飛び込んできたのは、一面の花畑だけだった。
離れの庭は、私の想像以上に花が咲き誇っていた。
並び立つ薄桃色の枝垂れ桜に、水面に浮かぶ睡蓮。菖蒲や芍薬が所狭しと咲き、花々が月光を浴びて淑やかに輝いていた。
ひんやりとした夜風が火照った私の頬をくすぐる。風に乗って爽やかで甘い花の香りを肺に流し込むと、少しだけ落ち着いた。
「失礼、します……」
しゃがんで菖蒲の花に触れる。
すうっと菖蒲の深い紫が月光をそのまま写し取ったような淡い水色に染まる。
花に手を触れさせて霊花に変化させる度に、私の身体の火照りが治まってゆく。
庭園の生花が徐々に水色に染まる。夜風に揺れる桜の花びらに触れれば、蛍の様な淡い輝きを纏って池の水面に落ちて行った。
ああ、心地良い……。
「香耶乃」
庭園に降る艶やかな低音にびくりと肩を震わせる。
おそるおそる振り向くと、そこには赤髪の和装の鬼――志皇様が立っていた。
「し、志皇様……?」
淡い水色に輝く霊花が咲き誇る夜の庭園の中で映える、癖がかった赤い髪。純金を閉じ込めたような金色の瞳が私を見据えている。
「お前の様子を見に来たんだが。……こんな所で何をしている?」
静かな声音に、私は砂利に手を付いて頭を下げた。
「す、すみません。勝手にこのような真似を。その、私は霊力が高く、適度に吐き出さないと暴発してしまうのです。だ、だから……ここで霊花を……その……」
しどろもどろになって弁解する。
どうしよう。つい夢中になって、やり過ぎてしまった。
勝手な事をするなと、気分を害されてしまう。
「美しいな」
「え……?」
思わず顔を上げる。
志皇様は長い爪先で水色に染まった枝垂れ桜の花びらを摘まんで、夜風に流した。
一枚の浮世絵の様な所作に、私は思わず見惚れてしまう。
その時私は気づいた。赤い着物の裾から覗く志皇様の腕に包帯が巻かれていることを。
「し、志皇様。その腕……どうされたのですか……?」
「警邏の時に負ったものだ。大した傷じゃない」
「……っ」
包帯を巻くほどならば、軽いものでもないはず。
私はいても経っても居られなくなって、近くにあった芍薬を1つ手折った。
霊花と化した青色の芍薬を、志皇様に差し出す。
「これを傷口に当てて下さい。回復が早くなります」
「どういう風の吹き回しだ」
「意図なんてありません。私は、東の地でずっと霊花を生成していました。この地で作ったものは、全て志皇様に差し上げたいのです」
「……変わらないな、お前は」
芍薬を手に取った志皇様がポツリと呟く。その顔には初めて会った時の高圧的な色は見えなくて、私はつい食い入るように見つめてしまう。
やはり、志皇様は昔の私を知っている。でも、私にはそれが分からない。
私は意を決して、口を開いた。
「あの、志皇様。私達は……東の地で、出会っていたのですか?」
白みがかった木造建築も花々が咲き誇る庭園も手入れが行き届いて、野ざらし同然の東の宿舎とは大違いだった。
畳張りの個室に通されても、私は落ち着かなくて身じろぎをしてしまう。
すると、案内をしてくれた鬼の使用人の方が私をじろりと見つめた。
「なあに、そのボロ布同然の着物は?嫁入りの自覚があるの?」
不快感をあらわにしたその声にびくりと肩が跳ねる。
鬼の使用人は栗色の頭をくしゃりと掻いて、侮蔑の籠った眼を渡しを見据える。ああ、その目は知っている。東の東伊家で、幾度となく浴びせられた視線だ。
「はあ、全く。旦那様もこんな面白みの無い人形みたいな女のどこが良いのかしら。……あたし、侍女頭の美操。アンタのお世話係ね」
「よろしくお願い致します」
「あーそういうの良いから。ご飯なら運んであげるから、この離れから出ないで頂戴。面倒だから」
「はい」
私が返事を返すと、美操さんはだるそうにため息を吐いて離れを後にした。
やっぱり、知らない女がいきなり北の領主に嫁ぐなんて嫌だよね。大人しくしていないと。
「アンタさあ、自分が幸せになれるって本気で思ってるの?」
「え……?」
「アンタ、霊花を作ることに長けているんだってね。どうせそれが目的よ。妖ばかりのこの地で霊力の高い人間は貴重だからさぁ。そうじゃなければアンタみたいな醜女、北を統べる旦那様と釣り合う訳が無いじゃない」
その言葉に、私の心は重く沈み込んだ。
私は人間の中でも飛び抜けて霊力が高い。普通なら一日に数本しか霊花に変えられないはずの物を、私は数百本作り出せる。私が東伊家に居続けられたのはそれが理由。霊力の高さが、私の唯一の価値だった。
「じゃあね、汚らわしい”呪印の花嫁”様」
「っ……」
美操さんは吐き捨てるようにそう告げると、さっさと離れを後にした。
「……」
私は畳に座り込んで俯く。
大丈夫。こんな事には慣れている。
唇を噛みしめて言葉を飲み込んで、罵声が止まるまでじっと耐えていればいい。
私は磨かれた透明な窓から暮れなずむ夕日を眺める。
血のように赤い夕陽は、私の黒髪と藍色の瞳を呑みこむように鋭く離れに差し込んだ――。
◇
それからの数日、私は言いつけ通りに離れで静かに過ごした。
初日以来志皇様と会ってはいない。少し寂しさを覚えるけれど、無理を言うわけにはいかない。
部屋から一歩も出ない事は苦じゃなかった。……けれど。
「……ッ」
身体が火照るのに、頭の奥が冷たい。
この感覚は覚えがある。私の体の中で、行き場の無い霊力が暴発しそうになっている証だ。
本来、人間は自身の中にある霊力は自分で完全にコントロール出来る。吐き出さずとも生活出来る。でも、私はそうじゃない。
吐き出さないと、私の身体の中の霊力が暴走して外に出てしまう。
きっと水の刃となって放出されて、周りを傷つけてしまう。
「そんな事……しちゃ駄目」
私は文机に飾られた芍薬を手に取って霊力を込める。
芍薬が光を帯びてガラスの様な透明な水色に染まり、霊花へと姿を変える。
少し神経が楽になった気がする。でも、これじゃ全然足りない。
丁度そのタイミングで、美操さんが私に昼餉を持って来てくれた。
「ほら持って来てやったからさっさと食べて。……何立ち上がってんのよ?逃げ出す気?」
「違います。……あの、美操さん。手が空いた時で良いので、生花を持って来て頂けませんか?」
「は?」
「それか、この近くに花畑があるのならばそちらでも構いません。私に花を、恵んで欲しいです」
「……何するつもり?」
「霊花を作りたいのです。その霊花は、志皇様のお好きに使って頂ければ……。どうか、お願いします」
私が頭を下げると、美操さんはチッと面倒そうに舌打ちをした。
こんな反応位なら可愛いもの。
私が頭を下げたまま動かないと、美操さんがはあ、と大仰にため息を吐いた。
「あーはいはい。この離れの庭園は花が沢山あるから好きにすれば?北の地では霊花って貴重だし」
「ありがとうございます」
「行くなら夜にしてよね。昼間に勝手に外に出られると、あたしの職務怠慢だって怒られるから」
「分かりました」
「……ほんっと、つまんない女」
美操さんはつまらなそうに吐き捨てると、踵を返して離れから去って行った。
◇
その日の夜。
私は完全に日が暮れたのを確認すると、用意された寝間着のままおそるおそる庭園に繋がる扉を開けた。
「……すごい」
扉を開けてすぐ私の目に飛び込んできたのは、一面の花畑だけだった。
離れの庭は、私の想像以上に花が咲き誇っていた。
並び立つ薄桃色の枝垂れ桜に、水面に浮かぶ睡蓮。菖蒲や芍薬が所狭しと咲き、花々が月光を浴びて淑やかに輝いていた。
ひんやりとした夜風が火照った私の頬をくすぐる。風に乗って爽やかで甘い花の香りを肺に流し込むと、少しだけ落ち着いた。
「失礼、します……」
しゃがんで菖蒲の花に触れる。
すうっと菖蒲の深い紫が月光をそのまま写し取ったような淡い水色に染まる。
花に手を触れさせて霊花に変化させる度に、私の身体の火照りが治まってゆく。
庭園の生花が徐々に水色に染まる。夜風に揺れる桜の花びらに触れれば、蛍の様な淡い輝きを纏って池の水面に落ちて行った。
ああ、心地良い……。
「香耶乃」
庭園に降る艶やかな低音にびくりと肩を震わせる。
おそるおそる振り向くと、そこには赤髪の和装の鬼――志皇様が立っていた。
「し、志皇様……?」
淡い水色に輝く霊花が咲き誇る夜の庭園の中で映える、癖がかった赤い髪。純金を閉じ込めたような金色の瞳が私を見据えている。
「お前の様子を見に来たんだが。……こんな所で何をしている?」
静かな声音に、私は砂利に手を付いて頭を下げた。
「す、すみません。勝手にこのような真似を。その、私は霊力が高く、適度に吐き出さないと暴発してしまうのです。だ、だから……ここで霊花を……その……」
しどろもどろになって弁解する。
どうしよう。つい夢中になって、やり過ぎてしまった。
勝手な事をするなと、気分を害されてしまう。
「美しいな」
「え……?」
思わず顔を上げる。
志皇様は長い爪先で水色に染まった枝垂れ桜の花びらを摘まんで、夜風に流した。
一枚の浮世絵の様な所作に、私は思わず見惚れてしまう。
その時私は気づいた。赤い着物の裾から覗く志皇様の腕に包帯が巻かれていることを。
「し、志皇様。その腕……どうされたのですか……?」
「警邏の時に負ったものだ。大した傷じゃない」
「……っ」
包帯を巻くほどならば、軽いものでもないはず。
私はいても経っても居られなくなって、近くにあった芍薬を1つ手折った。
霊花と化した青色の芍薬を、志皇様に差し出す。
「これを傷口に当てて下さい。回復が早くなります」
「どういう風の吹き回しだ」
「意図なんてありません。私は、東の地でずっと霊花を生成していました。この地で作ったものは、全て志皇様に差し上げたいのです」
「……変わらないな、お前は」
芍薬を手に取った志皇様がポツリと呟く。その顔には初めて会った時の高圧的な色は見えなくて、私はつい食い入るように見つめてしまう。
やはり、志皇様は昔の私を知っている。でも、私にはそれが分からない。
私は意を決して、口を開いた。
「あの、志皇様。私達は……東の地で、出会っていたのですか?」



