虐げられた呪印の巫女は、あやかし旦那様からは逃げられません。

ざり、と白い砂利に足を乗せる。
空を飛ぶ文車妖妃の馬車に揺られて、海を渡ってたどり着いたのは北の地、暁領。
その中で一番大きいお屋敷の前に私は通された。

黒い瓦屋根に赤く塗られたお屋敷が朝焼けに照らされて聳え立つ。
荘厳な雰囲気にたじろいでいると、お屋敷の門の前に使用人らしい和装の人が私に恭しく一礼した。
――その人の頭には、二本の鋭い角が生えていた。

「ようこそおいで下さいました。旦那様からお話は伺っております」
「お、お世話になります……」

慌てて頭を下げる。
と、隣の文車妖妃がひらひらと手を振って笑いかけた。

「ではお届け致しましたのでわたくしはこれでぇ。不幸の便りをお届けしたい時は、いつでもお呼び下さいねえ」
「あ、あの。本当にありがとうございました。お世話になりました」
「いえいえ~」

艶姿の文車妖妃に頭を下げると、文車妖妃はひらひらと手を振って黒塗りの馬車に乗って去って行った。

「旦那様の元へお通しします。こちらへ」
「はい」

黒い角を生やした使用人の後ろを付いて、私は足早にその後を追った。



純和風のお屋敷の中には、爽やかな(ひのき)の香りが優雅に漂っている。
屋敷の使用人は皆黒い角が生えている。おそらく、鬼だ。
私が居た東の地に妖はほとんど居ないけれど、この北の国は4つの領土で1番妖の割合が多い。

「この奥に、旦那様がいらっしゃいます」
「はい」
「旦那様、奥様をお連れ致しました」

ハッとして顔を上げると、そこには金の彫りこみが施された豪華な両開きの扉の前だった。
鬼の使用人が戸を叩き、両開きの扉を開いた。

「会いたかったぞ、鹿条 香耶乃」

耳に吸い付くような華やかな低音に目を見開く。
厳かな謁見の間の最奥に座っているのは、額から漆黒の角を生やした鬼だった。
少し癖がかった深紅の髪と純金の様な輝きを纏う黄金色の瞳に、私は思わず見とれてしまった。……この方が、私の旦那様?
長い爪に飾られた手を伸ばし、その人が私を手招く。

「何をぼうっとしている。お前は香耶乃じゃないのか?」
「……も、申し訳ありません。私が、東の巫女の鹿条 香耶乃です」

慌てて入室し、畳に顔を押し付けて腰を折る。
きゅっと目を瞑ると、私の目の前に甘やかな香りが漂う。これは……芍薬?

「顔を見せろ、香耶乃」

顎下に手を差し込まれ、クイっと上を向かされる。
私の傍まで来て片膝を立てる気配に顔を上げる。深紅の髪が私の頬に触れるほどの至近距離で覗き込まれる。

「よく生きていたな、俺の花嫁」
「あ、貴方が……私をここに呼んだのですか?」
「そうだ。俺がこの北の領地を統べる暁家の当主、(あかつき) 志皇(しおう)だ」
「志皇、様……」

パチ、と私の藍の瞳と志皇様の金色の瞳が重なる。
私は緊張で震えながら言葉を紡いだ。

「貴方様は……鬼神、なのですか」
「ああ。……まさか東の巫女様は、鬼は好みじゃないとでも?」
「いいえ」

私の答えに笑みを濃くした志皇様の手が、顎先から首筋に伸びる。私に首刻まれた黒い芍薬の呪印を、長い爪先でつうっと撫でる。

「ちゃんと残っているな、俺の印は」
「え……?」

一瞬、思考が停止する。
この印は……志皇様が私に刻んだの?

「香耶乃」
「っ!」

目の前の志皇様の声にハッとする。
ズキ、と私の呪印が微かに痛んだ。

「なに呆けてるんだよ。東の地か恋しいのか?」
「い、いいえ」

すうっと細められた金色の瞳と視線を合わせ続けるのが恥ずかしくて、私は視線を外した。

「婚礼の準備が整い次第、この北の地で挙式を上げる。お前に拒否権は無い」
「はい」
「それまでは離れに居ろ。そこから逃げ出すことは許可しない」
「分かりました。一歩も外に出ません」
「へえ、抵抗しないんだな」

それならそれに越したことは無い、と満足げに言い放って志皇様は立ち上がった。
どうしてだろう。一方的でひどい事を言われているはずなのに。
ちっとも嫌じゃない。むしろ、この人の傍に居たいと思ってしまう。志皇様から漂う芍薬の香りのせい?

「ここは妖の血が濃い者がほとんどだ。血気盛んな奴ばかりだから、手荒な扱いを受けたら俺に言え」
「志皇様のお手を煩わせる訳には……」
「なに勘違いしてるんだよ。お前を傷つけて良いのは俺だけって、それだけだ」
「……っ、分かり、ました」

その言葉に身を固くする。
ここでも、私は傷つけられるのかもしれない。……それでも、ここの方が東の地よりもずっとましだと思えてしまう。
どんな扱いを受けても、私は東には戻りたくない。
私は自由になった顎を下げて、深々と頭を下げた。

「不束者ですかよろしくお願い致します。だ……っ、し、志皇様」

”旦那様”という言葉は喉につかえて出てこなかった。
こんな美しい人が私の旦那様だなんて、気恥ずかしくて落ち着かない。
志皇様は品定めするように私をじっと見つめ、くるりと踵を返した。さらりと、癖がかった赤髪が風を含んで揺れる。

「離れに案内しろ。挙式までの間、四六時中香耶乃から目を離すな」
「あの、志皇様……は」
「あいにく俺は暇じゃないんだ。気が向いたら離れに行ってやるよ」
「……お待ちしております」
「香耶乃様、どうぞこちらへ」
「はい」

鬼の角を生やした使用人に促されるまま、私は応接間を後にした。
ドキドキと鼓動が高鳴るのを、胸元の服をきつく掴んで何とか宥める。

「……志皇、様……」

屋敷に漂う高価な檜の香りを感じながら、私は夫となる方の名前を呟いた。