「俺の花嫁を連れて来い」
北の領地、暁領。
月が煌々と輝き、夜風が吹き込む自室で俺は目の前の妖に告げた。
「……わたくし、文の配達専門の妖怪ですが」
俺の背後で畳に座り込むのは、片目を幾つもの文で覆い隠した艶姿の女の妖怪――文車妖妃だ。
見えている方の瞳孔が窄まった瞳は、不満げに俺を見上げる。
俺は文車妖妃に真白の書状を差し出してふっと微笑む。
「御者の真似事もしているのだろう?これを東の東伊家に届けろ。婚姻の書状だ」
「この住所は東の……”呪印の巫女”様宛ですのね」
「ああ。その女が俺の花嫁だ。俺の花嫁と、こっちを東の家の者に届けろ」
月の光を受けて金色に輝く目を細めて、俺は嗜虐的な笑みを浮かべた。
文車妖妃は十二単の裾で口元を隠すと、二通の書簡を受け取った。
「うふふっ、承りましたわぁ。――北の鬼神様」
恭しく一礼すると、文車妖妃は影に溶けるように姿を消した。
俺は漆仕上げ文机に飾られた深紅の芍薬を手に持ってその花びらにそっと口づけを落とした。
「16歳の誕生日おめでとう、鹿条 香耶乃」
深紅の芍薬が窓から降り注ぐ月の光を浴びて艶を帯びる。
俺は満足げにそれを見つめ、花びらを包み込むように手を添えた。
「――これで、お前は正式に俺のものだ」
◇
side:香耶乃
「龍神様、どうか東の地へご加護をお授け下さい」
東の領地、壬生領。
淀んだ空気が夕暮れの社殿にじっとりと満ちる。
私は合わせていた両手を解いて瞼を開けた。
4月23日。今日は私が生まれた日。……でも、そんな事に意味は無いの。
「ここに居たのですか、香耶乃」
ギシリと音がして社殿に上品な低音が響く。
その声に、私は身体を強張らせた。
「礼拝なんていつまでしているのです?貴女の役目はそんな事ではありません」
「……そ、宗珠様」
私は慌てて振り返ると、地に手を付いて深々と頭を下げた。
そこに立っていたのは、東伊神社の一人息子の宗珠様。
巫女巫覡の由緒ある家系、東伊家の正式な跡取りだ。
深みのある黒髪に底の見えない暗い漆黒の瞳。
宗珠様はにこやかな笑みを張り付けたまま私の元に歩み寄り、ガッと私の頭を掴んだ。
「何を呆けているのです?早く霊花を生成しなさい」
「……ほ、本日は、もう生成出来るだけの霊力が残っていません」
「そうですか」
グイッと髪を引っ張られて強引に顔を上向かされる。
眼前で光を写さない漆黒の瞳が見開かれる。宗珠様の空いている方の手が、私の首筋にかかる。
「貴女は私に逆らうというのですか?――汚らわしい呪印の巫女の分際で」
「……っ」
私の首には黒い芍薬の呪印が刻まれている。
首筋に刻まれる花印は、妖が自身の嫁に求婚の証として刻む物。
北の地は赤の芍薬、東の地は青い百合。西の地は紫のダリア、南の地は金色の薔薇。そう決まっている。
……それなのに、私に首には”黒い芍薬”が咲いている。
求婚されるはずだった妖に見放された出来損ないの女。不吉な黒い印。その意味を込めて、私は”呪印の巫女”と呼ばれている。
幼い時から私にはこの呪印が刻まれている。でも、誰に刻まれたのかは、ぼんやりとした記憶しか残っていない。
「霊力の高さしか取り柄の無い貴女を巫女として雇って差し上げているという事実に、もっと感謝して励みなさい」
「すみ……ません……っ」
私は俯いて、ぐっと唇を噛みしめる。
大丈夫。好きな様にさせておけば、宗珠様は私を殺しはしないはずだから。
ここを追い出されたら身寄りのない私は孤立無援になってしまう。だから、抵抗する訳にはいかない。……耐えるのは、もう慣れているから。
その時、社殿の障子越しに声がかかった。
「宗珠様、夕餉のお時間に御座います」
「ああ、今行く」
ふっと声が明るく切り替わり、宗珠様の手が私の首から離された。
私は急に入って来た酸素にえずいて、木の床に両手を付いて肩で息を繰り返した。
障子が開かれて使用人達が入室する。
宗珠様の手がすっと私の前に降ろされる。
「ほら、貴女もご一緒に。本日もお勤めご苦労様でした」
夕日に照らされて、不気味なほどにこやかな笑みを浮かべる宗珠様にヒュっと息を呑む。
私は、力なく首を振った。
「い、いえ……。私は、まだお役目が残っておりますので」
「本当に仕事熱心な方ですね、貴女は。夜通し霊花の生成をしたいだなんて」
「……っ」
宗珠様が立ちあがって私に冷たい眼差しを送る。やれ、と言外にそう言われたるみたい。
呼びに来た使用人達も、一斉に私に向かって侮蔑の目を向ける。
「なんなのあの人は。お優しい宗珠様のお誘いを断るだなんて」
「図々しいにも程があるわ」
「身の程を弁えているのよ。あの人霊力はずば抜けているけれど、ほら、”呪印”じゃない?」
「それもそうね」
宗珠様と使用人の人達が立ち去るまで、私は起き上がれないでいた。
……これが、私の日常。
霊力が高い私は、花に霊力を込めて霊花と呼ばれる花を生み出す事が出来る。
霊花は生命の源であり、人間や妖の傷口に当てると回復させることが出来るから、様々な土地で必要になる。私はそれを、昼夜問わずにずっと作り続けている。
私はうっ血した首筋をさすりながら立ち上がって、社殿を後にした。
◇
「……ただいま」
壁には穴が開いて、床の木は腐って抜け落ちている。そんな離れが、私に当てられた宿舎。
私はそこに帰って、うず高く積み上げられた生花に手をかざす。
生花が光を帯びてガラスの様な透明な水色に染まり、霊花へと姿を変える。
「っ……!」
頭がズキズキと痛む。
毎日運び込まれる花々は、どれだけ霊花に染め上げても尽きる事を知らない。
これは本当に人々の為に使われているの?毎日部屋を埋め尽くすほどの霊花を、どうしてこんなに求められるの?……私には、何も知らされていない。
「この地に妖は、ほとんど出ないのに……」
この東伊神社に、妖は奇妙な程立ち寄らない。
霊力の高さのせいで幼い頃は妖に襲われることが絶えなかった私にとっては、この上ない場所ではあるけれど。
そんな事を考えながら、震える手で花に霊力を注ぎ続けた。
やがて頭の痛みに耐えられなくて、使い古されたわらの寝床に倒れ込んだ。
割れた窓ガラスからは、冷たい夜風が容赦なく吹き込んでくる。
私はそれを、擦り切れた布一枚を身に纏って耐える。
私が虚ろな目で月を眺めていると、煌々と照っていた月が何者かの影に隠れた。
「夜分遅くに失礼致しまぁす。呪印の巫女様」
「え?」
思わず身体を起こした。
驚きで目を見開く。――妖が、私の目の前に居る。
片目を幾つもの文で覆い隠した艶姿の女の妖が、窓をする抜けるように宿舎に入って来た。
妖はうっそりと目を細めると、私に一通の封筒を差し出した。
「わたくしは文車妖妃。こちら、北の鬼神様より貴女様にお届けですわ」
「私、に……?」
北の鬼神といえば、北の国を治める華族、暁家の当主だ。
「ええ。貴女の旦那様からですよ」
「……私の、旦那様?」
手紙を開けて中を見る。そこには高級な和紙の文が入っていた。
『16の誕生日誠におめでとうございます。お約束通り、貴女様との婚姻をしたく文をしたためました。今宵、北の地にお越し下さい。 暁 志皇』
目を通した瞬間、首筋の呪印がチリ、と熱を帯びる。
不意に、遠い日の記憶が頭をよぎる。
さらりとした風が吹く東伊神社の境内。薄桃色の桜の花びらが、誰かの顔を淑やかに覆う。
『忘れるな、香耶乃』
幼い私は誰かに優しく抱き寄せられる。深紅の髪と、純金を閉じ込めたような瞳と視線が重なる。
『俺と正式に婚姻を結ぶまでは……この印がお前を守るだろう』
「香耶乃様ぁ?」
艶然と微笑む文車妖妃に私ははっとした。この記憶は、なに?
「北に行かれますか?……ご案内、致しますよぉ」
「……」
こんなお誘い、本来は乗るべきでは無いのだと思う。
頭ではそう思うのに、私は妖に向かって無意識に手を伸ばしていた。
ここから逃げ出したい。でもそれよりも、何よりも――。
「……お願い、致します」
逢いたい。私の――旦那様に。
「はい。謹んでお連れ致しますわぁ」
文車妖妃は私の手をしっかりと握りしめ、もう一通の封筒を私の粗末な文机に放った。
開け放たれた扉から冷たい夜風が吹き荒び、私の長い黒髪を舞い上げる。
私はそれに目を細め、文車妖妃に促されるまま外に一歩踏み出した。
「旦那、様……」
冷たい空気とは裏腹に、私の鼓動は高鳴り、頬にはじんわりと熱が灯り始めた。
北の領地、暁領。
月が煌々と輝き、夜風が吹き込む自室で俺は目の前の妖に告げた。
「……わたくし、文の配達専門の妖怪ですが」
俺の背後で畳に座り込むのは、片目を幾つもの文で覆い隠した艶姿の女の妖怪――文車妖妃だ。
見えている方の瞳孔が窄まった瞳は、不満げに俺を見上げる。
俺は文車妖妃に真白の書状を差し出してふっと微笑む。
「御者の真似事もしているのだろう?これを東の東伊家に届けろ。婚姻の書状だ」
「この住所は東の……”呪印の巫女”様宛ですのね」
「ああ。その女が俺の花嫁だ。俺の花嫁と、こっちを東の家の者に届けろ」
月の光を受けて金色に輝く目を細めて、俺は嗜虐的な笑みを浮かべた。
文車妖妃は十二単の裾で口元を隠すと、二通の書簡を受け取った。
「うふふっ、承りましたわぁ。――北の鬼神様」
恭しく一礼すると、文車妖妃は影に溶けるように姿を消した。
俺は漆仕上げ文机に飾られた深紅の芍薬を手に持ってその花びらにそっと口づけを落とした。
「16歳の誕生日おめでとう、鹿条 香耶乃」
深紅の芍薬が窓から降り注ぐ月の光を浴びて艶を帯びる。
俺は満足げにそれを見つめ、花びらを包み込むように手を添えた。
「――これで、お前は正式に俺のものだ」
◇
side:香耶乃
「龍神様、どうか東の地へご加護をお授け下さい」
東の領地、壬生領。
淀んだ空気が夕暮れの社殿にじっとりと満ちる。
私は合わせていた両手を解いて瞼を開けた。
4月23日。今日は私が生まれた日。……でも、そんな事に意味は無いの。
「ここに居たのですか、香耶乃」
ギシリと音がして社殿に上品な低音が響く。
その声に、私は身体を強張らせた。
「礼拝なんていつまでしているのです?貴女の役目はそんな事ではありません」
「……そ、宗珠様」
私は慌てて振り返ると、地に手を付いて深々と頭を下げた。
そこに立っていたのは、東伊神社の一人息子の宗珠様。
巫女巫覡の由緒ある家系、東伊家の正式な跡取りだ。
深みのある黒髪に底の見えない暗い漆黒の瞳。
宗珠様はにこやかな笑みを張り付けたまま私の元に歩み寄り、ガッと私の頭を掴んだ。
「何を呆けているのです?早く霊花を生成しなさい」
「……ほ、本日は、もう生成出来るだけの霊力が残っていません」
「そうですか」
グイッと髪を引っ張られて強引に顔を上向かされる。
眼前で光を写さない漆黒の瞳が見開かれる。宗珠様の空いている方の手が、私の首筋にかかる。
「貴女は私に逆らうというのですか?――汚らわしい呪印の巫女の分際で」
「……っ」
私の首には黒い芍薬の呪印が刻まれている。
首筋に刻まれる花印は、妖が自身の嫁に求婚の証として刻む物。
北の地は赤の芍薬、東の地は青い百合。西の地は紫のダリア、南の地は金色の薔薇。そう決まっている。
……それなのに、私に首には”黒い芍薬”が咲いている。
求婚されるはずだった妖に見放された出来損ないの女。不吉な黒い印。その意味を込めて、私は”呪印の巫女”と呼ばれている。
幼い時から私にはこの呪印が刻まれている。でも、誰に刻まれたのかは、ぼんやりとした記憶しか残っていない。
「霊力の高さしか取り柄の無い貴女を巫女として雇って差し上げているという事実に、もっと感謝して励みなさい」
「すみ……ません……っ」
私は俯いて、ぐっと唇を噛みしめる。
大丈夫。好きな様にさせておけば、宗珠様は私を殺しはしないはずだから。
ここを追い出されたら身寄りのない私は孤立無援になってしまう。だから、抵抗する訳にはいかない。……耐えるのは、もう慣れているから。
その時、社殿の障子越しに声がかかった。
「宗珠様、夕餉のお時間に御座います」
「ああ、今行く」
ふっと声が明るく切り替わり、宗珠様の手が私の首から離された。
私は急に入って来た酸素にえずいて、木の床に両手を付いて肩で息を繰り返した。
障子が開かれて使用人達が入室する。
宗珠様の手がすっと私の前に降ろされる。
「ほら、貴女もご一緒に。本日もお勤めご苦労様でした」
夕日に照らされて、不気味なほどにこやかな笑みを浮かべる宗珠様にヒュっと息を呑む。
私は、力なく首を振った。
「い、いえ……。私は、まだお役目が残っておりますので」
「本当に仕事熱心な方ですね、貴女は。夜通し霊花の生成をしたいだなんて」
「……っ」
宗珠様が立ちあがって私に冷たい眼差しを送る。やれ、と言外にそう言われたるみたい。
呼びに来た使用人達も、一斉に私に向かって侮蔑の目を向ける。
「なんなのあの人は。お優しい宗珠様のお誘いを断るだなんて」
「図々しいにも程があるわ」
「身の程を弁えているのよ。あの人霊力はずば抜けているけれど、ほら、”呪印”じゃない?」
「それもそうね」
宗珠様と使用人の人達が立ち去るまで、私は起き上がれないでいた。
……これが、私の日常。
霊力が高い私は、花に霊力を込めて霊花と呼ばれる花を生み出す事が出来る。
霊花は生命の源であり、人間や妖の傷口に当てると回復させることが出来るから、様々な土地で必要になる。私はそれを、昼夜問わずにずっと作り続けている。
私はうっ血した首筋をさすりながら立ち上がって、社殿を後にした。
◇
「……ただいま」
壁には穴が開いて、床の木は腐って抜け落ちている。そんな離れが、私に当てられた宿舎。
私はそこに帰って、うず高く積み上げられた生花に手をかざす。
生花が光を帯びてガラスの様な透明な水色に染まり、霊花へと姿を変える。
「っ……!」
頭がズキズキと痛む。
毎日運び込まれる花々は、どれだけ霊花に染め上げても尽きる事を知らない。
これは本当に人々の為に使われているの?毎日部屋を埋め尽くすほどの霊花を、どうしてこんなに求められるの?……私には、何も知らされていない。
「この地に妖は、ほとんど出ないのに……」
この東伊神社に、妖は奇妙な程立ち寄らない。
霊力の高さのせいで幼い頃は妖に襲われることが絶えなかった私にとっては、この上ない場所ではあるけれど。
そんな事を考えながら、震える手で花に霊力を注ぎ続けた。
やがて頭の痛みに耐えられなくて、使い古されたわらの寝床に倒れ込んだ。
割れた窓ガラスからは、冷たい夜風が容赦なく吹き込んでくる。
私はそれを、擦り切れた布一枚を身に纏って耐える。
私が虚ろな目で月を眺めていると、煌々と照っていた月が何者かの影に隠れた。
「夜分遅くに失礼致しまぁす。呪印の巫女様」
「え?」
思わず身体を起こした。
驚きで目を見開く。――妖が、私の目の前に居る。
片目を幾つもの文で覆い隠した艶姿の女の妖が、窓をする抜けるように宿舎に入って来た。
妖はうっそりと目を細めると、私に一通の封筒を差し出した。
「わたくしは文車妖妃。こちら、北の鬼神様より貴女様にお届けですわ」
「私、に……?」
北の鬼神といえば、北の国を治める華族、暁家の当主だ。
「ええ。貴女の旦那様からですよ」
「……私の、旦那様?」
手紙を開けて中を見る。そこには高級な和紙の文が入っていた。
『16の誕生日誠におめでとうございます。お約束通り、貴女様との婚姻をしたく文をしたためました。今宵、北の地にお越し下さい。 暁 志皇』
目を通した瞬間、首筋の呪印がチリ、と熱を帯びる。
不意に、遠い日の記憶が頭をよぎる。
さらりとした風が吹く東伊神社の境内。薄桃色の桜の花びらが、誰かの顔を淑やかに覆う。
『忘れるな、香耶乃』
幼い私は誰かに優しく抱き寄せられる。深紅の髪と、純金を閉じ込めたような瞳と視線が重なる。
『俺と正式に婚姻を結ぶまでは……この印がお前を守るだろう』
「香耶乃様ぁ?」
艶然と微笑む文車妖妃に私ははっとした。この記憶は、なに?
「北に行かれますか?……ご案内、致しますよぉ」
「……」
こんなお誘い、本来は乗るべきでは無いのだと思う。
頭ではそう思うのに、私は妖に向かって無意識に手を伸ばしていた。
ここから逃げ出したい。でもそれよりも、何よりも――。
「……お願い、致します」
逢いたい。私の――旦那様に。
「はい。謹んでお連れ致しますわぁ」
文車妖妃は私の手をしっかりと握りしめ、もう一通の封筒を私の粗末な文机に放った。
開け放たれた扉から冷たい夜風が吹き荒び、私の長い黒髪を舞い上げる。
私はそれに目を細め、文車妖妃に促されるまま外に一歩踏み出した。
「旦那、様……」
冷たい空気とは裏腹に、私の鼓動は高鳴り、頬にはじんわりと熱が灯り始めた。



