旦那様が私を愛しているはずがない。完全無欠の公爵様が離縁しない理由

朝食を食べにダイニンングルームに入ると、旦那様のお姿があった。
(……今日もいる)
窓辺の一人がけソファに座り新聞を呼んでいた旦那様は、私に気づくと新聞から顔を上げた。
「おはようございます、旦那様」
「……おはよう」
ぎこちなく返ってきた朝の挨拶。前までは挨拶をしても頷かれるだけだったのに、今ではこうして挨拶を返してくれるようになった。
私が席につくと、旦那様は私の正面に腰を下ろす。すぐに料理が運ばれてきて、食事を始める。
ここ数日、旦那様は私と食事をしていた。前までは私がダイニングルームに来る前には、食事を始めていたが、今は私が来てから食事をしている。
とても変な感じだ。
「今日、いくつか用事を足しに、帝都に行こうと思っている」
「はい」
「君も一緒に来い」
「……えっ?」
思わず手を止める。
(私も一緒に……?)
驚いたのは私だけではない。周りにいた花江や蘭子、女中達は時が止まったかのように動きを止め、旦那様を見ている。嘘でしょ?とでも言いたげに。
何も言わない私に、旦那様は手を止め私を見る。
「何か用事でもあるのか」
「いえ、ありません」
「なら来い」
そう言うと、旦那様はまた手を動かし始める。
(私が一緒に帝都に行くなんて、何か必要性のある用事でもあるのかしら)
そうでなければ、私が一緒に行動する意味がない。
そこでふと、テーブルの上にお皿を出す美弥の手が視界に入った。
「美弥、あなた、あかぎれが良くなっているわね」
「あっ……はい。若奥様からいただいたクリームのおかげです。肌馴染みがよく、水仕事の時も気にせずつけられます」
美弥は嬉しそうに、自分の手をするりと撫でる。
「よかったわ。無くなったらまた言って」
「いえそんな……」
「私一人じゃ使いきれないから、あなたにも使ってほしいわ」
私がそう言うと、美弥は嬉しそうに小さく頷く。
「ありがとうございます……」
食事を済ませると、私は自室に戻りお出かけ用の着物を選んでいた。クローゼットの引き出しを開けた私は、椿柄の華やかな葡萄色の着物を手に取ったが、ふと手を止める。引き出しの下にしまっていた一枚の着物が視界に入ったのだ。丁寧に布に包まれたのは、菊の花が描かれた水色の着物。この着物は、お母様が若い頃に着ていたもので、お嫁に来る際にいただいた。若々しい印象を与える水色の着物は、幼い顔立ちをしている私が着ると締まりがなく着てこなかったが、本当はずっと着たかった。
(淡くて綺麗な色……)
そこで私は、旦那様に言われたことを思い出した。
__淡い色の方が似合っている。
(……別に旦那様のためじゃない。せっかくお母様から頂いたのに、着ないのは持ったないから着るだけよ)
いつも我慢していたから、今日は少しだけ自分を甘やかすだけだ。私は自分に言い聞かせるかのようにそう思うと、水色の着物を手に取りクローゼットを閉めた。
「見たさっきの?」
お気に入りの着物に身を包んだ私は、気分よく玄関に向かって廊下を歩いていると、女中達の話し声がして足を止める。
「美弥を使って、自分が慈悲深い女だってこと、旦那様にアピールしてわ」
この声は、花江だ。
「私は使用人にまで親切な、心温かい女なんですよって言っているようだったわ」
それに賛同するように、蘭子が言う。
「で、ですが、若奥様は本当に私のことを気遣ってくださって……」
ビクビクとそう言う、美弥の小さな声が聞こえる。
「美弥、若奥様はあんたのことなんてなんとも思ってないのよ。都合よく使われているだけ」
(アピールなんて。別にそんなつもりはないんだけどな……)
私はただ、美弥のあかぎれがよくなればと思って、あのクリームを渡しただけだ。
(私が何をしても、女中達の目には悪いように映る)
「……」
私は深く息を吸い込むと、ゆっくりと吐く。
(行こう……旦那様が待ってる)