快晴の空が広がる午後、私は母校の女学院でバザーを開いていた。本館の一階にある一室に場所をお借りし、並べたテーブルに婦人会のみんなで持ち寄った手作りの品々を置き接客をする。来られる方は、華族のご夫人から、この女学院に通う女学生、学校関係者などとさまざまだ。祝日ということもあり、バザー会場は多くの人で賑わっていた。
そんな中、主催者である私の頭の中はぐるぐると回っていた。
(どうして離縁してくれないのかしら、旦那様は私のことなんて、どうでもいいはずでしょ)
「……どういうことよ」
「はい?」
思わず、口に出てしまった心の声に、隣にいた明菜さんが反応する。
「どうかされましたか?」
ボケッとしてしまっていた私に、明菜さんは不思議そうに聞いてくる。
「あっ、いえ! なんでもありません。あはははっ……」
笑みを浮かべそう言った私だったが、明菜さんは真意を確かめるように、まじまじと見てくる。
「公爵様と、何かありましたか?」
「え」
鋭く感の良い明菜さんに、私はドキッとする。
「な、何かって?」
「喧嘩したとか……いいえ、違いますね。良いことがあったのでは??」
(良いこと……あれは、良いことなのかしら……)
顎に片手を置いた私は、うーんと頭を捻る。
(離縁をしてもらおうと思っていたのに、断られた。旦那様は一度決めたことを簡単に変えるような方には思えない。このままでは、離縁してもらえそうにない。それは困る。だけど……)
嫌われてはなかった。それが分かって、どこか嬉しく思っている自分がいる。
「ふふふっ」
無意識に笑みが浮かんでいたようで、明菜さんは私を見て、微笑ましそうにしている。
「違いますよ明菜さん! 別にいいことなんてありませんからね!」
私が必死にそう言うも、明菜さんは微笑ましそうにするのをやめない。
すると突然、会場の外から女性達の黄色い悲鳴が聞こえた。顔を見合わせた私と明菜さんは、会場の外に出て驚いた。玄関ホールに、女性達の囲いができていたのだ。女性達の黄色い悲鳴が、一喜一憂するように上がる。
「文乃さん、これは、なんの騒ぎでしょうか……」
「さあ……私にもさっぱり……」
女性達の勢いに唖然としていると、囲いの中心に、背の高い、体格の良い男性がいるのが見えた。男性は女性達に囲まれ、身動きが取れなくなっているようだ。
「えっ」
見えた男性の顔に、私は更に驚く。そこにいたのは旦那様だったのだ。
(どうして旦那様がここに!?)
女性達と当たり障りのない会話をしていた旦那様が、ふと、こちらを見て、私に気づく。旦那様は女性達に断りを入れると、人ごみをかき分け、こちらに向かって来る。
「……そんなに驚くことないだろ。君の助けになりたいと言ったはずだ」
顔に出ていたのか、旦那様は私の前に来るなり言う。
(あれは社交の場だから、そう言っただけかと)
まさか、この場に旦那様が来るなんて、思いもしなかった。
「だが、俺の助けがなくとも、バザーは順調のようだな」
旦那様は人で賑わう辺りを見回しそう言う。
(今はそこにあなたがいるから賑わっているんですよ……)
そうは言えなかったが、旦那様の言う通り、バザーの売り上げは上々だった。
「こんにちは公爵様」
明菜さんは旦那様に丁寧に腰を折り曲げ一礼する。
「伯爵夫人。こんにちは」
旦那様はそう言い、明菜さんに会釈をする。
「少し、散歩をしないか」
「申し訳ありません、今はここにいないとなりません」
婦人会の会長で、このバザーの顔でもある私が、ここを離れるわけにはいかない。
(それに、今は旦那様といてもどうしていいか分からない。正直、そっちの方が本音ではあるけど……)
「公爵夫人、ここは私にお任せください」
そんな私たちを見ていた明菜さんが、気を遣ってそう言ってくれる。
「ですが」
「少しくらい大丈夫ですよ。何かあれば、お呼びいたしますので」
そう言うと、明菜さんは私の耳元に顔を近づけ、旦那様に聞こえぬよう小声で話す。
「公爵様は、文乃さんと一緒にいたいのですよ」
(私と一緒にいたい?? 旦那様が……?)
そんなはずはない。
「それに……」
明菜さんの視線は、周りの女性達に向く。先ほどから旦那様に注がれる女性達の熱い眼差し。その中には、婦人会の方の姿もある。忘れていたが、旦那様は婦人会の方達からも絶大な人気があるのだ。今日は紺色のスーツに身を包んだ旦那様。シルバーのベストが、ブルー色の瞳を更に際立たせ、その美しさが増す。女性達は周りにも目もくれず、旦那様に夢中だ。既婚者であろうが、公爵家の当主である旦那様を狙っている女性は多い。旦那様ご本人は、その眼差しにすらも気づいていないのか、後ろを振り向くこともせず、じっと私を見ている。
(行くしかなさそうね)
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
そう言った私に、明菜さんは明るい笑みを見せ頷く。
「行こうか」
腕を差し出されるのかと思いきや、旦那様は私の肩を掴み、自分に引き寄せた。私は思わず旦那様を見上げる。
(今まで、必要以上に私に触れることなんてしなかったのに……)
女性達のうっとりとした声や、残念に思うような声が入り混じる中、私は旦那様に連れられ、本館を出た。
長い足で優雅に女学院の敷地内を歩く旦那様。その姿は映画のワンシーンのようだ。
「旦那様」
言いながら、私は足を止めた。旦那様もそれに倣うように、足を止める。
「今日はどうして、こちらにいらしたのですか」
旦那様が婦人会行事に顔を出されるのは、初めてのことだった。
「君の様子が気になったから来た。ダメだったか?」
「いえ、ダメとかではないのですが……」
(今まで私がどこで何をしてても、気にもしなかったのに)
「たまにはこうして、君と過ごしたいと思ってな」
今日はバザーだから、他の華族達も来ている。体裁を気にして、私との時間を取っているのだろうか。
(……旦那様のお考えが、全く分からない)
「あの、この間のことですが、私を嫌っていないというのは、本当ですか??」
「ああ、本当だ」
「で、では、離縁しないと言うのも、本気、なんですか……?」
私を見下ろした旦那様は訝しげにする。
「本気だ。……なぜ信じない?」
旦那様はそう言うが、信じられるはずがなかった。向けられた冷たい視線は視界にすら入れたくないと言われているようで、ベッドで一人目が覚めるたびに、隣に旦那様がいないことで、私は女とすらも思われていないのだと痛感し、他の令嬢や使用人からの嘲笑いが、自分はただのお飾りの妻なのだということを思い知らされた。こんな三年を送っていて、夫に嫌われていないと思う妻がどこにいるだろうか。
(嫌っていなかったとしても、どうして今更、私に構うの)
「俺も聞くが、君が俺と離縁したい理由は、俺に嫌われていると思っていたからなのか? それとも……」
後ろで腕を組んだ旦那様は、私との距離を詰めてくる。
「他に好きな男でもいるのか」
ブルー色の瞳を光らせ、じっと私を見下ろす旦那様。真意を知るまで、逃さないと言われているようだ。
旦那様を見上げた私は、ハッキリと口にする。
「好きな方なんていません。私はこれ以上、愛のない結婚生活を続けるのが嫌なんです」
(言ってやった……)
「……そうか」
(納得してもらえた……?)
そう思ったが。
(えっ)
旦那様の長い指先が、私の顎を掬い取る。
「俺は少し、君に遠慮しすぎていたようだ。君が俺から離れていくくらいなら、もう遠慮しない」
何を思ったのか、旦那様は私の腰に腕を回しグイッと自分に引き寄せると、人目も気にせず私に顔を近づけてきた。周りの女学生達は、頬を赤く染めながら、小さく黄色い悲鳴を上げ、私と旦那様を見ている。
「だ、旦那様、みなさんに見られていますっ……!」
私は恥ずかしくて、旦那様の胸を両手で押し退ける。しかし、鍛えられた逞しい胸はびくともしない。
「構わない」
(私は構うんですって……!)
私の体には自然と力が入り、その場から動けなくなってしまう。
(胸の音が、うるさい……)
頬を優しく撫でられると、親指で弧を描くようにするりと唇をなぞられる。
(まただ……旦那様が、熱い眼差しで私を見ている……)
この方は、ずっと私を放置していた。だから、こんな瞳で見てくるのはおかしい。そう思うも、この瞳が演技しているようには思えなかった。
私は囚われたかのように、そのブルー色の瞳から目を逸らせなかった。
しばらく見つめ合っていると、額に触れるだけの優しいキスが落とされた。
「今はこのくらいで勘弁してやる」
そう言うと、旦那様は私の手を取ると歩き出す。ゴツゴツとした大きな手が、私の手をぎゅっと握る。私はその手を、振りほどくことが出来なかった。
(もう……どうして私の心をかき乱すのよ……)
そんな中、主催者である私の頭の中はぐるぐると回っていた。
(どうして離縁してくれないのかしら、旦那様は私のことなんて、どうでもいいはずでしょ)
「……どういうことよ」
「はい?」
思わず、口に出てしまった心の声に、隣にいた明菜さんが反応する。
「どうかされましたか?」
ボケッとしてしまっていた私に、明菜さんは不思議そうに聞いてくる。
「あっ、いえ! なんでもありません。あはははっ……」
笑みを浮かべそう言った私だったが、明菜さんは真意を確かめるように、まじまじと見てくる。
「公爵様と、何かありましたか?」
「え」
鋭く感の良い明菜さんに、私はドキッとする。
「な、何かって?」
「喧嘩したとか……いいえ、違いますね。良いことがあったのでは??」
(良いこと……あれは、良いことなのかしら……)
顎に片手を置いた私は、うーんと頭を捻る。
(離縁をしてもらおうと思っていたのに、断られた。旦那様は一度決めたことを簡単に変えるような方には思えない。このままでは、離縁してもらえそうにない。それは困る。だけど……)
嫌われてはなかった。それが分かって、どこか嬉しく思っている自分がいる。
「ふふふっ」
無意識に笑みが浮かんでいたようで、明菜さんは私を見て、微笑ましそうにしている。
「違いますよ明菜さん! 別にいいことなんてありませんからね!」
私が必死にそう言うも、明菜さんは微笑ましそうにするのをやめない。
すると突然、会場の外から女性達の黄色い悲鳴が聞こえた。顔を見合わせた私と明菜さんは、会場の外に出て驚いた。玄関ホールに、女性達の囲いができていたのだ。女性達の黄色い悲鳴が、一喜一憂するように上がる。
「文乃さん、これは、なんの騒ぎでしょうか……」
「さあ……私にもさっぱり……」
女性達の勢いに唖然としていると、囲いの中心に、背の高い、体格の良い男性がいるのが見えた。男性は女性達に囲まれ、身動きが取れなくなっているようだ。
「えっ」
見えた男性の顔に、私は更に驚く。そこにいたのは旦那様だったのだ。
(どうして旦那様がここに!?)
女性達と当たり障りのない会話をしていた旦那様が、ふと、こちらを見て、私に気づく。旦那様は女性達に断りを入れると、人ごみをかき分け、こちらに向かって来る。
「……そんなに驚くことないだろ。君の助けになりたいと言ったはずだ」
顔に出ていたのか、旦那様は私の前に来るなり言う。
(あれは社交の場だから、そう言っただけかと)
まさか、この場に旦那様が来るなんて、思いもしなかった。
「だが、俺の助けがなくとも、バザーは順調のようだな」
旦那様は人で賑わう辺りを見回しそう言う。
(今はそこにあなたがいるから賑わっているんですよ……)
そうは言えなかったが、旦那様の言う通り、バザーの売り上げは上々だった。
「こんにちは公爵様」
明菜さんは旦那様に丁寧に腰を折り曲げ一礼する。
「伯爵夫人。こんにちは」
旦那様はそう言い、明菜さんに会釈をする。
「少し、散歩をしないか」
「申し訳ありません、今はここにいないとなりません」
婦人会の会長で、このバザーの顔でもある私が、ここを離れるわけにはいかない。
(それに、今は旦那様といてもどうしていいか分からない。正直、そっちの方が本音ではあるけど……)
「公爵夫人、ここは私にお任せください」
そんな私たちを見ていた明菜さんが、気を遣ってそう言ってくれる。
「ですが」
「少しくらい大丈夫ですよ。何かあれば、お呼びいたしますので」
そう言うと、明菜さんは私の耳元に顔を近づけ、旦那様に聞こえぬよう小声で話す。
「公爵様は、文乃さんと一緒にいたいのですよ」
(私と一緒にいたい?? 旦那様が……?)
そんなはずはない。
「それに……」
明菜さんの視線は、周りの女性達に向く。先ほどから旦那様に注がれる女性達の熱い眼差し。その中には、婦人会の方の姿もある。忘れていたが、旦那様は婦人会の方達からも絶大な人気があるのだ。今日は紺色のスーツに身を包んだ旦那様。シルバーのベストが、ブルー色の瞳を更に際立たせ、その美しさが増す。女性達は周りにも目もくれず、旦那様に夢中だ。既婚者であろうが、公爵家の当主である旦那様を狙っている女性は多い。旦那様ご本人は、その眼差しにすらも気づいていないのか、後ろを振り向くこともせず、じっと私を見ている。
(行くしかなさそうね)
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
そう言った私に、明菜さんは明るい笑みを見せ頷く。
「行こうか」
腕を差し出されるのかと思いきや、旦那様は私の肩を掴み、自分に引き寄せた。私は思わず旦那様を見上げる。
(今まで、必要以上に私に触れることなんてしなかったのに……)
女性達のうっとりとした声や、残念に思うような声が入り混じる中、私は旦那様に連れられ、本館を出た。
長い足で優雅に女学院の敷地内を歩く旦那様。その姿は映画のワンシーンのようだ。
「旦那様」
言いながら、私は足を止めた。旦那様もそれに倣うように、足を止める。
「今日はどうして、こちらにいらしたのですか」
旦那様が婦人会行事に顔を出されるのは、初めてのことだった。
「君の様子が気になったから来た。ダメだったか?」
「いえ、ダメとかではないのですが……」
(今まで私がどこで何をしてても、気にもしなかったのに)
「たまにはこうして、君と過ごしたいと思ってな」
今日はバザーだから、他の華族達も来ている。体裁を気にして、私との時間を取っているのだろうか。
(……旦那様のお考えが、全く分からない)
「あの、この間のことですが、私を嫌っていないというのは、本当ですか??」
「ああ、本当だ」
「で、では、離縁しないと言うのも、本気、なんですか……?」
私を見下ろした旦那様は訝しげにする。
「本気だ。……なぜ信じない?」
旦那様はそう言うが、信じられるはずがなかった。向けられた冷たい視線は視界にすら入れたくないと言われているようで、ベッドで一人目が覚めるたびに、隣に旦那様がいないことで、私は女とすらも思われていないのだと痛感し、他の令嬢や使用人からの嘲笑いが、自分はただのお飾りの妻なのだということを思い知らされた。こんな三年を送っていて、夫に嫌われていないと思う妻がどこにいるだろうか。
(嫌っていなかったとしても、どうして今更、私に構うの)
「俺も聞くが、君が俺と離縁したい理由は、俺に嫌われていると思っていたからなのか? それとも……」
後ろで腕を組んだ旦那様は、私との距離を詰めてくる。
「他に好きな男でもいるのか」
ブルー色の瞳を光らせ、じっと私を見下ろす旦那様。真意を知るまで、逃さないと言われているようだ。
旦那様を見上げた私は、ハッキリと口にする。
「好きな方なんていません。私はこれ以上、愛のない結婚生活を続けるのが嫌なんです」
(言ってやった……)
「……そうか」
(納得してもらえた……?)
そう思ったが。
(えっ)
旦那様の長い指先が、私の顎を掬い取る。
「俺は少し、君に遠慮しすぎていたようだ。君が俺から離れていくくらいなら、もう遠慮しない」
何を思ったのか、旦那様は私の腰に腕を回しグイッと自分に引き寄せると、人目も気にせず私に顔を近づけてきた。周りの女学生達は、頬を赤く染めながら、小さく黄色い悲鳴を上げ、私と旦那様を見ている。
「だ、旦那様、みなさんに見られていますっ……!」
私は恥ずかしくて、旦那様の胸を両手で押し退ける。しかし、鍛えられた逞しい胸はびくともしない。
「構わない」
(私は構うんですって……!)
私の体には自然と力が入り、その場から動けなくなってしまう。
(胸の音が、うるさい……)
頬を優しく撫でられると、親指で弧を描くようにするりと唇をなぞられる。
(まただ……旦那様が、熱い眼差しで私を見ている……)
この方は、ずっと私を放置していた。だから、こんな瞳で見てくるのはおかしい。そう思うも、この瞳が演技しているようには思えなかった。
私は囚われたかのように、そのブルー色の瞳から目を逸らせなかった。
しばらく見つめ合っていると、額に触れるだけの優しいキスが落とされた。
「今はこのくらいで勘弁してやる」
そう言うと、旦那様は私の手を取ると歩き出す。ゴツゴツとした大きな手が、私の手をぎゅっと握る。私はその手を、振りほどくことが出来なかった。
(もう……どうして私の心をかき乱すのよ……)


