旦那様が私を愛しているはずがない。完全無欠の公爵様が離縁しない理由

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お茶会も終盤に差し掛かった頃、私は一人庭園を散歩していた。すると、坂の上に桜の大木があるのが見えた。
(綺麗……)
もっと近くで見たいと、桜の木を目掛けて歩いていると、坂の上から由香子さんの取り巻き達が下りてきた。私に気づいた取り巻き達は、あっとした顔をすると、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、私の横を通り過ぎようとする。
「ご愁傷様」
一人の取り巻きが蔑んだ笑みを浮かべ、私にそう言う。クスクスと笑いながら去っていく取り巻き達に、私は思わず足を止める。
(……どういう意味……?)
だが、坂を上ったところで、その意味がすぐに分かった。桜の木の下に、旦那様の姿があった。その隣には、由香子さんがいた。
(そういうことね……席を外して戻ってこないと思っていたら、由香子さんといたのね)
二人は寄り添うようにして話をしている。華やかな由香子さんが楽しそうに笑うだけで、桜の花に負けないくらいにその場は輝く。こうしてみると、二人はお似合いのカップルに見えた。
(……きっと旦那様も、由香子さんのことがお好きなんだわ)
そう思うと、胸がチクリと痛んだ。
その場から消えてしまいたくなり、私は静かに踵を返すが。
「どこへ行く?」
その声に、ピタッと動きを止める。
(……気がつかれた)
振り向かなくとも分かる。旦那様がこちらを見ている。背中に注がれ視線に、私は気持ちを落ちつかせるように息を吐くと、振り向く。
「……」
振り向いた私を、旦那様は無言でじっと見る。私は視線を横に逸らすと、頭を下げる。
「申し訳ありません、お邪魔するつもりはなかったのですが」
どうしてこんな場面で声をかけてくるのか。
はやり旦那様は、誰よりも私を惨めにする。
「由香子さん、今日はこの辺で」
「ええ、そうですわね、湊さん」
由香子さんは顔を俯ける私を横目に、機嫌良く坂を下りていく。
私がそのままじっとしていると、旦那様は言う。
「何をしている。こっちへ来い」
「……はい」
私は俯いたまま、旦那様の後ろに立つ。
「……」
「……」
先ほどまではあんなに華やかな空間が広がっていたというのに、今はしんみりとしている。静かな時間が流れる中、私は桜の木を見上げた。
(近くで見ると、もっと綺麗……)
穏やかな風に頬を撫でられ、桜の木はゆっくりと時間をかけながらも、その花びらを散らせてゆく。いつもなら、美しい日本の春に穏やかな気持ちになるが、今は心が重い。スーツのポケットに両手を入れ佇む旦那様は、遠くを見つめながら、ぼーっとしている様子だった。その横顔は、何を考えているのか見当もつかない。
(旦那様でも、こんな風に考えに耽ることがあるのね)
何も会話がないのも気まずい。私が先に失礼しようかと頭を捻らせている時だった。旦那様がこの沈黙を破ったのは。
「君と離縁はしない」
「……えっ?」
(今、離縁しないと言ったの……??)
私へ振り向いた旦那様は、ゆっくりと私との距離を詰めてくる。私は反射的に後ろに下がると、桜の大木まで追い詰められてしまう。旦那様はそっと大木に片手をつくと、私に顔を近づけてくる。心臓が急速に鼓動を速め、自分でも分かるくらいに音が大きくなる。
「……だ、旦那様」
小さな声で呟きながら、顔を下に背ける。
「目を逸らすな。俺を見ろ」
「っ……」
こんな至近距離で見られるはずがない。
「__文乃」
いきなり名前で呼ばれ、心臓がドクンっと大きく波打つ。私はその声に吸い寄せられるように、旦那様を見上げた。
(えっ……)
驚いた。私を見つめる旦那様の瞳が、熱く揺れていたのだ。どうしてそんな瞳で見るのか。いつもは目を逸らしてしまいたくなるほどに冷たいのに。
「ど、どうして。旦那様は私のことがお嫌いのはずでは?」
思わずそう問いかけてしまった私に、旦那様は眉間にシワを寄せ訝しげにする。
「俺がいつ、君のことが嫌いだと言った?」
「え、や……それは……」
(確かに、言葉で言われたことはないけど……)
好きじゃないから、だから私に関心もなく、お世継ぎを作らず、放置していたのではないのか。
「旦那様はいつも、私の存在自体を無視しているように思えたので、お嫌いなのかとばかり」
私の言葉に、旦那様のブルー色の瞳が、僅かに見開かれたような気がした。
「……そうか。だから君はいつも、俺から目を逸らしていたんだな」
旦那様はそう言い、私から視線を外すと、なぜか落胆したような顔をする。
(……どうしてそんな顔をしているのよ)
「俺は君を嫌ってない」
「……えっ?」
私を真っ直ぐに見た旦那様は言う。
「俺は、君を手放す気はない」