毎月恒例の婦人会を終え、屋敷に戻ったときのことだった。自室に向かおうと屋敷の廊下を歩いていると、前から大きな洗濯籠を抱え走ってきたおさげの少女とぶつかったのは。
「きゃあ……!」
少女は悲鳴を上げながらドテッと尻餅をつく。
「大丈夫!?」
言いながらかがみ込んだ私は、少女に片手を差し出す。
「あっ……」
少女は私を見ると、しまったというような顔をする。
「も、申し訳ありません……!!」
正座をしたかと思えば、額を床につけ謝る少女。とても焦っている。
「いいから頭を上げて」
私はそう言うが、少女はこの世の終わりかのように頭を下げ続けている。私はぷるぷると震える少女の肩をそっと掴むと、えいっと頭を上げさせた。
「怪我は……ないわね。一体、何をそんなに慌てているの?」
少女は視線を彷徨わせると、ゆっくりと口を開く。
「お姉様方に、仕事が遅いと怒られてしまって……お洗濯を早くしないとと思って……」
私は少女の後ろにひっくり返っている洗濯籠を見て、ああと思う。立ち上がった私は洗濯籠を起こすと、辺りに落ちている着物やらの洗濯物を拾い籠の中に入れ、再び少女の前にかがみ込んだ。
「はいどうぞ」
差し出された洗濯籠を少女は控えめな手つきで受け取る。
「急いでいるとはいえ、廊下を走っては危ないからダメよ」
小柄な少女の体では、この洗濯籠は大きすぎて、前が見えていない。
心配する私に、少女はなぜか驚いたような顔をしている。
「……どうしたの??」
私がそう問いかけた時だった。
「__美弥!!」
廊下の奥から甲高い叫び声が聞こえ、少女はビクッと身をすくめる。姿を見せたのは、女中頭の花江だ。後ろには、体格の良いふくよかな女がいる。同じく女中の蘭子だ。足音を響かせこちらに歩いてくる花江、何やら怒っている様子だ。少女をちらりと見ると、みるみる顔が強張っていく。
「そんなところで油を売っていないで早く洗濯物を……」
私に気づいた花江は、ハッとした顔をする。怒りを鎮めるように深呼吸をした花江は背筋を伸ばし、目の前にやって来る。
「……若奥様、お戻りでしたか」
「ええ……」
眉間にシワを寄せ、険しい顔をする花江に、私と少女は立ち上がる。
「若奥様、こちらは新人女中の美弥でございます」
美弥という少女は私に向かって会釈をする。
「美弥、この方は、若奥様の文乃様です」
美弥はやっぱりと言うように顔を青ざめさせると、私に向かって深々と頭を下げる。
(女中だったのね)
和洋折衷のこの広いお屋敷には、五十人近い使用人が住み込みで働いているが、どの使用人も雇用が決まった際には、お屋敷の女主人である私に話を通すようになっている。だが、私はこの美弥という少女を紹介されていない。それは忙しさのあまり忘れていたというわけではなく、女中達が私を女主人として認めていないから。
「うちの女中が大変失礼をいたしました」
言いながら、花江も私に頭を下げる。うちの女中なんて、随分とまあ他人行儀な言い方するものだと思う。
袖と裾に牡丹が描かれた深い緑色を着る、いつもより着飾った私を見た花江の釣り上がった一重の目には、嘲笑いの笑みが浮かんだように見えた。そんな着飾ったところで無駄よ。そう言われているような気がした。
女中である彼女が隠すことなく私にこんな目を向けてくるのにも、ある‘理由‘がある。
「では」
そう言った花江は、スッと私に背を向け歩き去る。それに蘭子も続く。洗濯籠を抱えた美弥は、私に深々と一礼をすると、急足に花江と蘭子の後を追う。
「あっ……待ってこれ……!」
廊下の隅に落ちていタオルに気づき拾い上げそう言うも、三人の姿はすでになかった。すぐに廊下を一人の使用人が通りかかるも、彼は止まって私に頭を下げると、足早にいなくなってしまう。今日は一年に一度の特別な日。使用人たちは慌ただしく屋敷内を歩き回っている。
(私にとっては、悪夢のような日の始まりだけど……)
使用人達にとっては、自分たちの主人を出迎える大事な日なのだ。
(……仕方がない。届けに行こう)
私がタオルを手に中庭に行くと、花江、蘭子、そして美弥がいた。花江と蘭子が洗濯物を物干しスタンドに干す中、美弥は遅れを巻き返そうと、盥につけた洗濯物をせっせかせっせかと洗濯板でこすり洗いをしている。
「にしても花江、さっきのあんたの若奥様への態度、あんまり良くなかったんじゃないの?」
自分の話が出て驚いた私は、咄嗟に屋敷の影に身を隠す。花江は物干しスタンドに干したシーツの皺を伸ばしながら、冷たい顔をして言う。
「関係ないわよ。だってあの人、ただのお飾りなんだから」
洗濯板の上で必死に手を動かしていた美弥の手が、思わず止まる。花江の言葉に、蘭子は同意するようにクスクスと笑うと、演劇でもするかのように両手を広げながら言う。
「ああ、旦那様に愛されない哀れな若奥様」
「ちょっと蘭子、やめて。笑わせないで」
そう言うも、花江はお腹を抱えて笑い、目に浮かんだ涙を指先で払う。
「私が若奥様だったら、惨めすぎて耐えられないわ。よくまぁ、平然とこのお屋敷にいるものよね」
そう言い、蘭子は私を馬鹿にするようにキャハキャハと笑い、花江も「フッ」と鼻で笑う。
「……」
ある‘理由‘それは、彼女達の言う通り、私が夫に愛されない__お飾りの妻だということ。
「だいたい、あの人は旦那様に不釣り合いなのよ。華族らしいけど、それだけじゃない」
十三歳という若さで爵位を継ぎ公爵となった旦那様は、家業と両立しながら、帝国一の名門校である帝国学院を主席で卒業し、海軍兵学校に入学。卒業後は海軍将校に任命されたエリートで、先代一条院家当主であるお父様がイギリス人である彼の容姿はとても神秘的で美しい。類まれな美貌に頭脳。地位に権力、財力を持つ彼は、名実ともに完全無欠の公爵なのだ。一方の私は、容姿も勉強も秀でていない、爵位以外に何も持たない凡人。釣り合っていないのは、よく分かっている。
「家柄と血筋が良くても、媚びの一つも売れない愛想のない女なんか、旦那様は相手にしないのよ。おかげでいまだにお世継ぎだっていないじゃないの」
そう、呆れたようにため息をつく花江。
「これじゃあ……旦那様と妾の間に子が生まれるのも、時間の問題よ」
(妾……)
「まったくそうね」
花江の言葉に同意し肩をすくめた蘭子は、手が止まっている美弥を見てピシャリと言う。
「美弥! 早くしなさい!! そんなんだからあんたはいつまで経っても仕事が覚えられないのよ!!」
「も、申し訳ありません……」
美弥は止まっていた手を必死に動ごかす。花江はそんな美弥を横目に見ると、ボソっと言う。
「……ほんと、あんな人なら、いてもいなくても変わらないわ」
使用人から浴びせられる心無い言葉に私は耐えられず、近くにある井戸のふちにタオルを置くと、静かにその場を立ち去った。
「きゃあ……!」
少女は悲鳴を上げながらドテッと尻餅をつく。
「大丈夫!?」
言いながらかがみ込んだ私は、少女に片手を差し出す。
「あっ……」
少女は私を見ると、しまったというような顔をする。
「も、申し訳ありません……!!」
正座をしたかと思えば、額を床につけ謝る少女。とても焦っている。
「いいから頭を上げて」
私はそう言うが、少女はこの世の終わりかのように頭を下げ続けている。私はぷるぷると震える少女の肩をそっと掴むと、えいっと頭を上げさせた。
「怪我は……ないわね。一体、何をそんなに慌てているの?」
少女は視線を彷徨わせると、ゆっくりと口を開く。
「お姉様方に、仕事が遅いと怒られてしまって……お洗濯を早くしないとと思って……」
私は少女の後ろにひっくり返っている洗濯籠を見て、ああと思う。立ち上がった私は洗濯籠を起こすと、辺りに落ちている着物やらの洗濯物を拾い籠の中に入れ、再び少女の前にかがみ込んだ。
「はいどうぞ」
差し出された洗濯籠を少女は控えめな手つきで受け取る。
「急いでいるとはいえ、廊下を走っては危ないからダメよ」
小柄な少女の体では、この洗濯籠は大きすぎて、前が見えていない。
心配する私に、少女はなぜか驚いたような顔をしている。
「……どうしたの??」
私がそう問いかけた時だった。
「__美弥!!」
廊下の奥から甲高い叫び声が聞こえ、少女はビクッと身をすくめる。姿を見せたのは、女中頭の花江だ。後ろには、体格の良いふくよかな女がいる。同じく女中の蘭子だ。足音を響かせこちらに歩いてくる花江、何やら怒っている様子だ。少女をちらりと見ると、みるみる顔が強張っていく。
「そんなところで油を売っていないで早く洗濯物を……」
私に気づいた花江は、ハッとした顔をする。怒りを鎮めるように深呼吸をした花江は背筋を伸ばし、目の前にやって来る。
「……若奥様、お戻りでしたか」
「ええ……」
眉間にシワを寄せ、険しい顔をする花江に、私と少女は立ち上がる。
「若奥様、こちらは新人女中の美弥でございます」
美弥という少女は私に向かって会釈をする。
「美弥、この方は、若奥様の文乃様です」
美弥はやっぱりと言うように顔を青ざめさせると、私に向かって深々と頭を下げる。
(女中だったのね)
和洋折衷のこの広いお屋敷には、五十人近い使用人が住み込みで働いているが、どの使用人も雇用が決まった際には、お屋敷の女主人である私に話を通すようになっている。だが、私はこの美弥という少女を紹介されていない。それは忙しさのあまり忘れていたというわけではなく、女中達が私を女主人として認めていないから。
「うちの女中が大変失礼をいたしました」
言いながら、花江も私に頭を下げる。うちの女中なんて、随分とまあ他人行儀な言い方するものだと思う。
袖と裾に牡丹が描かれた深い緑色を着る、いつもより着飾った私を見た花江の釣り上がった一重の目には、嘲笑いの笑みが浮かんだように見えた。そんな着飾ったところで無駄よ。そう言われているような気がした。
女中である彼女が隠すことなく私にこんな目を向けてくるのにも、ある‘理由‘がある。
「では」
そう言った花江は、スッと私に背を向け歩き去る。それに蘭子も続く。洗濯籠を抱えた美弥は、私に深々と一礼をすると、急足に花江と蘭子の後を追う。
「あっ……待ってこれ……!」
廊下の隅に落ちていタオルに気づき拾い上げそう言うも、三人の姿はすでになかった。すぐに廊下を一人の使用人が通りかかるも、彼は止まって私に頭を下げると、足早にいなくなってしまう。今日は一年に一度の特別な日。使用人たちは慌ただしく屋敷内を歩き回っている。
(私にとっては、悪夢のような日の始まりだけど……)
使用人達にとっては、自分たちの主人を出迎える大事な日なのだ。
(……仕方がない。届けに行こう)
私がタオルを手に中庭に行くと、花江、蘭子、そして美弥がいた。花江と蘭子が洗濯物を物干しスタンドに干す中、美弥は遅れを巻き返そうと、盥につけた洗濯物をせっせかせっせかと洗濯板でこすり洗いをしている。
「にしても花江、さっきのあんたの若奥様への態度、あんまり良くなかったんじゃないの?」
自分の話が出て驚いた私は、咄嗟に屋敷の影に身を隠す。花江は物干しスタンドに干したシーツの皺を伸ばしながら、冷たい顔をして言う。
「関係ないわよ。だってあの人、ただのお飾りなんだから」
洗濯板の上で必死に手を動かしていた美弥の手が、思わず止まる。花江の言葉に、蘭子は同意するようにクスクスと笑うと、演劇でもするかのように両手を広げながら言う。
「ああ、旦那様に愛されない哀れな若奥様」
「ちょっと蘭子、やめて。笑わせないで」
そう言うも、花江はお腹を抱えて笑い、目に浮かんだ涙を指先で払う。
「私が若奥様だったら、惨めすぎて耐えられないわ。よくまぁ、平然とこのお屋敷にいるものよね」
そう言い、蘭子は私を馬鹿にするようにキャハキャハと笑い、花江も「フッ」と鼻で笑う。
「……」
ある‘理由‘それは、彼女達の言う通り、私が夫に愛されない__お飾りの妻だということ。
「だいたい、あの人は旦那様に不釣り合いなのよ。華族らしいけど、それだけじゃない」
十三歳という若さで爵位を継ぎ公爵となった旦那様は、家業と両立しながら、帝国一の名門校である帝国学院を主席で卒業し、海軍兵学校に入学。卒業後は海軍将校に任命されたエリートで、先代一条院家当主であるお父様がイギリス人である彼の容姿はとても神秘的で美しい。類まれな美貌に頭脳。地位に権力、財力を持つ彼は、名実ともに完全無欠の公爵なのだ。一方の私は、容姿も勉強も秀でていない、爵位以外に何も持たない凡人。釣り合っていないのは、よく分かっている。
「家柄と血筋が良くても、媚びの一つも売れない愛想のない女なんか、旦那様は相手にしないのよ。おかげでいまだにお世継ぎだっていないじゃないの」
そう、呆れたようにため息をつく花江。
「これじゃあ……旦那様と妾の間に子が生まれるのも、時間の問題よ」
(妾……)
「まったくそうね」
花江の言葉に同意し肩をすくめた蘭子は、手が止まっている美弥を見てピシャリと言う。
「美弥! 早くしなさい!! そんなんだからあんたはいつまで経っても仕事が覚えられないのよ!!」
「も、申し訳ありません……」
美弥は止まっていた手を必死に動ごかす。花江はそんな美弥を横目に見ると、ボソっと言う。
「……ほんと、あんな人なら、いてもいなくても変わらないわ」
使用人から浴びせられる心無い言葉に私は耐えられず、近くにある井戸のふちにタオルを置くと、静かにその場を立ち去った。


