旦那さま、ずっと私と生きてくれませんか?

 皇ナギは軽すぎる自分の妻を抱いて、店の奥へ引っ込んだ。後ろで勝吾と冴が何やら怒号を飛ばしてくるが、傷は治したし報酬はもらった。もう取引は終わっている。相手にすることはない。しかし……と、顔色の悪い心結を一瞥する。

(思ったよりも事態は深刻だったか)

 久我勝吾の話は聞いていた。久我勝吾が妻を虐げ愛人を作った、という驚愕の事実はこの辺りで知らない者はいない。皆が心結を不憫に思ったが、相手は暴虐武人の久我家。逆らうとろくなことがないと知っているため、人々は見て見ぬふりをした。愛人との買い物を楽しむ勝吾を見ても然り、その後ろを歩く久我心結を見ても然り。

 能力者であるナギは、そもそも人間に興味がない……はずだった。

 今まで久我家の話を聞いても何も思わなかったのが、興味がない証拠だ。しかし実際の光景を目にすると、さすがに気分を悪くした。勝吾と冴が手を組み心結を虐げている様を、黙認するわけにはいかなかった。故に、心結へ手をさしのべた。同情心から、結婚という手段を使って心結を助けたのだ。

(助けた……というと聞こえはいいが)

 ナギは考える。心結のことを、それ以上に、己のことを。

(彼女に、してもらいたいこともある)

 心結は久我家から逃げられる。そして心結が皇家にいればナギにも利がある。いわゆる利害の一致だ。政略結婚といっていい。

 つまりナギも久我家と同じ。結婚を申し込んだが愛があるわけではない。久我家のようなヒドイ生活を送らなくても済む、というくらいだ。

(ココへ嫁いだからといって、期待を膨らませていなければいいが)

 しかしナギの憂いは簡単に晴れる。いまだ心結が怯えているからだ。ナギの腕の中で、小刻みに震えている。心結はこの結婚に、期待ではなく恐怖していると分かった。

「さ、先ほどは……旦那さまと冴さまが、申し訳ありませんでした」

 勝吾たちが見えなくなり二人きりになった時。いきなり心結が謝った。

「失礼なことを、言いました……お許しください」
「行ったのは久我家であってお前ではない。それに」

 ナギは長い前髪を垂らしたまま、心結を見下ろす。

「あの男を旦那さまと呼ぶな。今の主人は、俺だ」
「……は、はい」

 やや強く言ってしまったせいか、心結が縮みあがる。腕の中で更に小さくなる彼女に、思いのほかナギの居心地が悪くなる。もしかして自分も久我勝吾と同じことをしているだろうかと。

「……はぁ」

 気持ちを落ち着け、ゆっくりと心結を降ろす。体に残った心結の体温は、彼女が離れた瞬間。風に攫われ逃げて行く。

「これから屋敷を案内する」
「お屋敷……?」
「この先だ」

 心結が不思議そうにするのも無理はない。なぜならどこを探しても屋敷など見えないからだ。

 率先して「こっちだ」と歩くも、ナギが空中散歩しているようにしか見えないらしい。心結は「あっ」と悲鳴に似た声を漏らす。踏んでいるのは空気ではなく、確かに固い木だが……。やっぱり落ち着かないのか、心結の歩みが遅い。

「……はぁ」

 再びため息を一つ。ナギは細い指をこすり合わせ、高い音で指を鳴らした。

「 ≪ 解放 ≫ 」

 すると何もなかった目の前が、まるで蜃気楼を前にしたように左右へ歪む。そして長い廊下は現れた。その先に、見上げるほど大きな屋敷がドンと構えてある。どうやらこの廊下が、屋敷と店を繋いでいるらしい。

「皇家の屋敷だ。訳あって結界で隠している。一度でも屋敷を目にすると、後に結界しても屋敷を認識できるようになる」

 つまり、今その目に焼き付けておけ、ということだ。

「わ、わかりました……」

 返事をした心結が、鶏のように機敏に首を動かしている。素直な反応に、ナギは呆気にとられた。

(随分と素直だな……いや。虐げられてきたからこそ、か)

 従わないと恐ろしい目に遭うと知っていれば、素直に従うしかない。どうやら心結の従順さは恐怖心から作られているらしい。まるで操り人形だなと、ナギは何度目になるか分からないため息を漏らした。