旦那さま、ずっと私と生きてくれませんか?

 それから数日が経った。

 天下をとった振る舞いをしていた久我家は、冴が殺し屋を雇ったと公になり、世間からの信用が失墜。肩書きが命の久我家は、勝吾と冴の離婚を決めた。

 全ての責任を冴一人になすりつけ、清廉潔白を証明した久我家。首の皮一枚で、なんとか名家を名乗っていた。

 しかし信用を失った名家の末路は一つしかない。案の定、金回りが悪くなった久我家は、すぐに資産が枯渇した。今は小さな家で、一家全員、細々と暮らしているという。

 久我家を追い出された冴は、街を離れた。久我家を恨んでいるのでは?ともっぱらの噂だ。きっと復讐に来るに違いないと、久我勝吾は震えて過ごしているらしい。

 一方――
 心結とナギは、今日も二人揃ってだまり屋で働いていた。これまでと、少し違ったやり方で。

「ナギ様、さきほど能力を使われたでしょう? だから交代です。今度は、私が接客しますね」
「……いや、俺がやる」
「えぇっ」

 今まで客の相手は、全てナギが行っていた。しかし「自分にも治癒の力があるのだから」と、たまに心結はこうやって接客を申し出る。

 といっても力を使わせたがらないナギにより、店に出られたのは数回程度。ナギの反応を見るに、今日も受付を任されそうだ。

 心結は口を尖らせ、不満をあらわにする。

「ナギ様、もっと私を信用してください。この前もその前も、お客様の前で治癒をしましたが何もありませんでした」
「心結のことは、とっくに信用している」

 だが能力については――と言いかけたところで、ナギは口を閉じる。

 心結の能力が開花して以来、何度となくアスマは情報収集を行ったが成果はない。ナギ自身も改めて異能者について調べているが、これといって心結のような「最強」の前例はなかった。

 だからこそ警戒を続けている。
 こんなこと、心結本人には言えないが。

 幸い、ナギが言葉を飲んだことを気にしていないようだ。桜色の着物を身にまとう心結は、不思議そうに首を傾げている。

 ナギは咳払いを一つした後。話を変えるため、舵を切る。

「そろそろ次の客が来る。受付を頼んだぞ」
「うぅ……」

 それ以上は強く言えない心結は渋々、受付の椅子に腰を沈める。同時に、暖簾が揺れて客が顔を出した。

「おや、あんたが店主の奥さんかい?」
「初めまして、心結と申します」
「噂には聞いていたが、随分美人な……旦那、いい嫁をもらったねぇ~」

 白髪の客は、口に手を当てほくそ笑む。心結は恥ずかしくなり、俯きながら「こちらです」とナギの元へ案内した。

 すると文机で待つナギの姿。口には綺麗な孤が浮かんでおり、それは心結に向けられていた。

「いい嫁か、確かにな」
「な、ナギ様……っ」

 心結と過ごすうちに、ナギの表情はどんどん柔らかくなっていった。今も、道を行き交う女性がわざわざ暖簾をくぐってでも見るような、慈愛に満ちた顔をしている。

 客は「若いっていいねぇ」と扇子を開く。どの箇所も綺麗に磨かれており、いかに客が扇子を大事に扱っているかよく分かる。

 その扇子に、一つの穴。客は、これを直すために来たのだ。さっそくナギは取引を始める。

「一番大事な物を直す代わりに、二番目に大事な物をもらおう」

 以前だまり屋に来ていた客は、ナギに嘘をついてゴミ同然の物を持ってきたりと、正常な取引が行えていなかった。しかし心結を受付に置くことにより、そういった客を門前払いすることが出来ている。

 正常な取引であれば、ナギは治癒で失った力を取り戻すことができる。客からの報酬、二番目に大切な物――そこに込められた思いが、そのままナギの力になるのだ。

 そのため、ココ最近ナギの体調は安定していた。顔色も良く、隙あらば眠ることもない。薬を要求することもなくなり、ヒスイも喜んでいる。

「ありがとうございました」

 客が帰り、心結は下げていた頭を上げる。すると背後に人の気配。いつの間にか、ナギが土間に降りていた。

「心結、体は大丈夫か?」
「ふふ。今回治癒をされたのは、ナギ様でしょう?」

 自分のことを棚において、人の心配をするなんて――おかしくなった心結だが、同時に嬉しくなった。それほど自分のことを大切に思ってくれるなんて、と。

 だからこそ自分も守りたい。
 大切な人を、この手で――

「ナギ様」

 名前を呼ぶと、隣にたつナギがやや顔を下げる。心結と目の高さを合わせようとしているのだ。そのちょっとした優しさが、心結の心を明るく灯す。

「ナギ様。体調が悪くなった時は、遠慮せず私へお申し付けください。心を込めて治します」
「心結……」

 意表を突かれたナギだが、すぐに口角を上げる。

「俺の妻は心強いな」
「ふふっ」

 だけど、と。
 ナギは自然な流れで、心結の手をさらった。

「治癒の力を使わずとも、心結とこうしているだけで俺は充分に元気になれる。よく覚えておくことだ」
「は、はい……っ」

 心結の体温が上がる。向かいでナギが「まだ慣れないか」と爽やかに笑うものだから、余計に。


 あの一件以来、ナギは心結へ触れることが多くなった。そのことに心結も気づいている。これが夫婦にとって当たり前の交流なのだと、今日も今日とて勉強中だ。

 火照った顔を冷やしていると、ナギと目が合った。さっきとうって変わって真剣な目つきだ。

「いつも言っているが、無理して能力を使わないこと。約束だ。いいな?」
「……はいっ」

 真剣な顔で言ってくれればくれるほど、自分のことを心配してくれていると分かって……だらしなく顔が緩んでしまう。

 すると「こら」と、ナギに頬をつままれた。それさえも嬉しくて、幸せで……夫婦とは素敵な関係だと、改めて理解する。

 すると暖簾の向こうで賑やかな声が響く。見知った顔が、次々に暖簾から顔を出した。

「みーゆちゃん、遊びにきたで~」
「あらナギったら! まだ日が高いのに大胆!」

 ヒスイとリリーに見つかり、二人は光の速さで体を離す。しかし表情までは誤魔化しきれず、すぐ矢面に立たされた。

「ええんよ。君らは夫婦なんやから」
「そうよ、そうよー!」
「……面白がっているだろ」

 半目のナギが、呆れて息を吐く。
 すると更に、賑やかな声が加わった。

「お嬢~腹へったー! 昼飯にしよー!」
「アスマさん、お疲れ様です」

 忍者のような黒い服は変わらないが、心結の護衛を任されたアスマは、殺し屋から足を洗った。

 心結が店にいる時はだまり屋の手伝いをすることになり、今も、客が置いて行った「二番目に大切な宝物」を蔵へ運んでいたのだ。

 今回の「二番目に大切な物」は艶のある美しい壺だった。キレイに手入れされた「大切な物」を見る度、心結はあの日を回顧する。

 冴を治す報酬として自分が差し出された時、ナギはどう思っただろうか。

 ……もちろん、そんなこと聞けないが。出会った時の自分は本当にみすぼらしかったから、ナギに良く思われているわけがない。

 響丸に持って来てもらったお茶を、アスマが豪快に口へ運ぶ。その様子をナギと二人で見た。

 すると突然、ナギが思い出したように呟く。

「心結を差し出された時は、驚いた」
「え」

 それは二人が出会った日のこと。ついさっき心結が憂いていたことだ。

 心結は耳を塞ぎたくなった。出会った時、ナギにどう思われていたか……聞くのが怖い。

 だけど手に温もりが加わる。見ると、ナギの手に覆われていた。まるで「心配するな」と言われているようで、心結は逃げずに耳を傾ける。

「人を報酬として差し出されたのは初めてだったから、久我勝吾をなんて客だと思ったが……今となっては、アイツに感謝している。おかげで俺たちは、こうして一緒にいられるのだから」
「はいっ」
「……ん」

 言っているうちに恥ずかしくなったのか、それきりナギは口を閉じた。心結も同じく、泣いてしまいそうになるのを必死にこらえる。

(出会って良かったと、そう思ってくれていた。これ以上ないほど幸せだ)

 賑やかな一行は、昼食を食べに屋敷へ移動したらしい。ここにいるのは二人きり。またとない機会に、心結は体中から溢れ出しそうになる愛しさを、全てナギへぶつける。

「お願いが、あるのです」
「お願い?」

 ナギの大きな手を、強く握り返す。

 これは、ずっと思っていたこと。
 そして、これからも変わらない願い。

「ナギ様、ずっと私と生きてくれませんか?」
「!」

 昔、生きることに対してどこか投げやりだったナギに、その言葉は深く響いた。同じく心結にも。


 心結もナギも、生きる意味が分からないまま生きていた。

 自分のいるべき居場所が見つからず、死に場所さえも見つからず、ただ毎日に怯えていた心結。

 自分の異能に寿命を食われ、ただ死を待っていたナギ。

 生きる意味を見失っていた二人が、今こうして手を取り合っている。共に生きたいと願っている。それは奇跡に近いことだと、心結は気づいたのだ。

(私がいるべき場所はナギ様の隣で、私が生きる意味はナギ様にある)

 もう迷わない。
 愛を見つけることが出来た私たちなら、きっと。

「……もちろんだ」

 面食らったナギの耳が、すごい速さで熱を帯びる。だけど、すぐに姿勢を正した。真っすぐ心結を見つめながら。

「どんな時も心結と生きる。約束だ。
 末永く、夫婦でい続けよう」
「はい、ナギ様っ」

 互いが顔を見合わせた時。外から入った風が、暖簾をくぐる。

 それは二人を包みこんで優しく渦を巻いた後。踊るように廊下へ吹き抜けていった。
 

【 完 】