旦那さま、ずっと私と生きてくれませんか?

「ナギ、様……?」

 ナギが助けに来てくれた。布団の上で青白い顔をしていたナギが、自分のために、わざわざ――心結は泣きそうになった。嬉しくて仕方がないのだ。

 妻でありながら夫の寿命を縮める愚行を犯した自分を、またナギは助けてくれた。本当に、この人はどこまで優しいのだろう。

「大丈夫か、心結」
「ナギ様……ごめんなさいっ」

 膝をつき、その場で頭を下げる。そして謝った。何度でも謝った。謝りきれないと分かっていても。

「ごめんなさい……っ」

 こんなことをしても意味はない。削れたナギの命は戻らない。唯一できることが謝罪なんて――自分の無力さに打ちひしがれる。

 しかし、ナギは心結を責めなかった。

「顔を上げろ。お前は何も悪くない」
「あ……」

 久しぶりに「お前」と呼ばれた。そういえば最近は名前で呼ばれることの方が多かった。

「名前と呼んでいい」と言われた時から、ナギも心結を名前で呼んだ。足並みをそろえてくれたのだ。

(やっぱり優しい人……)

 ナギのそういうところが、心地よくて好きだ。もう心結は、ナギのいない人生など考えられないほどに、ナギを想っている。

「へー、あんたがナギか。異能者の中でも高い能力を持つって有名な」

 ナギの急な登場にも驚かなかったアスマは、刀を構えたまま一歩下がる。警戒しているが、去るつもりはないらしい。ナギから鋭い視線を向けられても、好戦的な態度を変えない。

「妻を傷つけたのは、お前か?」
「傷つけるなんて、ハハ! 全力で殺すつもりだったさ」
「……そうか」

 まるで自分が切られたように傷ついた目で、血が流れる心結の頬をナギは触った。

 ナギの手はやはり冷たかったが、何よりも安心できた。すがるように頬を寄せる。やっぱり、この場所がどこよりも落ち着く。

「心結、怖いなら目を瞑っていろ」
「え……?」

 言うや否や、ナギは腕を横に振る。すると降り続く雨が一か所に集結し、氷柱(つらら)のように鋭い剣になった。

 ナギの手の動きに合わせて、剣が左右に揺れる。それを見たアスマの口が、苦虫を嚙み潰したように歪む。

「天候を味方につける能力……初めて見た! 治癒だけと聞いていたが、他にも使えるのか!」
「能力……っ」

 心結は身震いした。ナギが能力を使うと、もっと寿命が削れるからだ。

 ヒスイは「今夜が山だ」と言った。そうだとしたら、今ここでナギが死んでもおかしくない。

 だめ、すぐに止めなければ!

「ナギ様!」

 制止するように、ナギの手を強くを握る。もともと白かった顔は、更に顔色を悪くして心結へ向く。やはり無理をしていたのだ。

「おやめください、どうか……っ」
「……ん」

 声を震わせながら懇願すると、納得してくれたらしい。ナギは、剣を操る手を腿の横へ戻す。そうかと思えば目に留まらない速さで移動し、アスマの首に手刀を落とす。

「は? ふざけ、んな……」

 隙を突かれたアスマが、悔しそうに意識を手放す。

 地面へ突っ伏した様子を見て、剣だった氷柱を再び雨へ戻す。それは一列に並び、一気にアスマへ降り注いだ。

「ぐ……っ」

 重圧に唸ったアスマの上で、雨雲が引いて太陽が顔を出す。光のカーテンが、闇を払うように辺りを照らした。

「こうなりたくなければお前も去れ、久我勝吾」
「……ちっ」

 ナギに言われると、勝吾は悔しそうに立ち上がる。そのまま逃げるのかと思いきや、直前で心結を見た。名残惜しそうに視線を送る。

「心結……」
「……っ」

 しかし心結は目をそらした。まるで久我家と区切りをつけるように。

 それを見たナギは、安心して口角を上げる。

 だけど……おかしい。
 ナギの視界がどんどん霞んでいく。
 秒刻みで、両目が視力を失っていく。

 この時、ナギは悟った。
 自分の寿命が尽きたのだと。

「――っ」

 立っていることが出来なくなり、その場へ膝をつく。駆け寄った心結が、支えるようにナギを抱きしめた。

「ナギ様……!」
「すまない、心結」
「謝るのは私です、ごめんなさい……っ」

 再会してからというもの、心結は謝ってばかりだ。こんな風に最期の時間を過ごしたくはないのに――ナギは屋敷へ置いて来た友を思い出す。

「ヒスイめ、喋るなと言ったのに……」
「どうしたら私の命を、ナギ様へ渡せますか?」
「……必要ない」

 たまに心結は驚く発言をする。広告を作ると言ったり、命を渡すと言ったり。いつも控えめなのに、ここぞという時に現れる心結の強さ。さすが皇家の嫁だと、誇らしくなる。

「心結、自分を責めるな」
「え……」
「これは俺が選んだ道であり……俺が、望んだことだ」

 途切れ途切れに呟く声が、ナギの終焉を知らせる。

 一音を発するだけでも口が重たい。瞼が降りて来る。

(もう、時間か)

 そう認識した途端、ナギの頭に走馬灯が流れた。


 出会った当初は、操り人形と化していた心結。少しずつ距離を縮めたが、いつもどこか壁を作られていた。初めはそれでもいいと思っていた。所詮は政略結婚なのだから。

 しかし心結が笑ってくれるようになって、その壁がもどかしくなった。壁を、剥がしてやりたいと思ったのだ。

 ついに壁がとれたのは、心結が「広告を作りたい」と言った時。壁を挟まず仕事をする二人だけの時間は、悪くなかった。声を弾ませる心結を見ては、こんな毎日を繰り返したいと願った。

 だからこそ言えなかった。

 客の相手をすると寿命が削れると言えば、心結は店を開けなくなるだろう。二人で仕事ができなくなる。それが、どうしても嫌だった。

(だから心結は悪くない)

 しいて言えば、あの時間を壊したくなかった自分の弱い心が悪いのだ。生き生きとしてほしい、ずっと笑っていてほしいと、そう願ったから。

「笑え、心結」

 もっと心結が羽ばたけるように、笑えるように。
 自分のいない世界で、毎日を楽しめるように。
 そんな最適な言葉を、今こそ――

「お前は、自由だ」
「……っ」

 頬に温かいものが落ちる。霞んで見えないが、心結の涙だろうか。

 温かい。冷たい肌に熱を加えてくれる、優しい温もり。

「もっと……ナギ様と一緒にいたい。ナギ様の優しさに何度も救われたのに、何も返せないなんて……っ」
「……言ったはずだ」

 目を伏せたまま、ナギは笑う。

「〝夫婦の間に商売など持ち掛けん〟。夫婦が助け合うのは当たり前だ。恩返しも必要ない。俺たちは、夫婦なのだから」
「……っ、はい」

 濡れた何かに手が当たる。きっと心結の頬だ。

「ナギ様と結婚できてよかった。
 ナギ様と夫婦になれてよかった。
 私は今、この世で一番幸せです」
「……そうか」

 ナギは、空色の瞳を隙間なく閉じる。

「もう、満足だ」

 皇家の遺産を渡すためだけに結婚したが、悪くなかった。一人の女性を、幸せにすることが出来たのだから――

 すると胸の奥に流れる、温かい感情に気付く。
 もしかして、これを愛と呼ぶのだろうか?

(この俺が、愛? まさかな)

 しかし目の前で泣きじゃくる心結を抱きしめたいのに、叶わない。この悔しさこそが、きっと答えなのだろう。

 まさか最後に愛を知るなんて――
 ナギは、とびきり穏やかな声を出す。

「愛してる、心結」
「私もです、ナギ様。ずっとずっと……っ」

 意識を手放す途中で、何かが唇に触れる。反射的に、ナギも力をこめた。最後に残った力を、すべて振り絞って。

 すると不思議なことが起きた。体が発光を始めたのだ。さっきまで見えなかった視力が、急速に回復する。

(これは……)

 体が軽くなる感覚を覚えながら、自分へしがみつく心結へ手を伸ばす。すると涙をこぼす心結の目が、落ちんばかりに見開かれた。