旦那さま、ずっと私と生きてくれませんか?

「ひとまずアンタは後回し。まずはコッチを片付ける。契約違反だけど、まぁいいや。俺、本当にこの男が嫌いなんだ」
「なんだ、お前。俺に用か?」

 勝吾は傘をさしているせいで視界不良なのか、アスマの殺気に気付いていない。

 殺し屋に狙いを定められているというのに。まさに今、命のやりとりをしているというのに。

「しょ、勝吾様……っ」

 今にもアスマが勝吾を殺してしまうのではないかと、心結の全身が震える。

「逃げてください、勝吾様……っ」
「あ? 相変わらず声が小さいな。グズめ」

 鋭い視線を向けられながらも、勝吾を逃がそうと無我夢中で手を伸ばす。しかし「触るな!」と、はたき落されてしまった。

「皇は異能者だろ、汚らわしい。異能者と触れあった手で、俺に触ろうとするな。俺と会う時は必ず手袋をしろ」
「!」

 この言葉に反応したのは心結だけではない。会話を聞いていたアスマも同様に、眉間のシワを深めた。

「へぇ。言わせておけば、人間風情が」

 短い舌打ちを鳴らした後。アスマは両手に短刀を構える。光る獲物を見て、やっと勝吾はこの異常事態に気付いた。

「お、おい! どうして刀を持っている! 警察へ突き出すぞ!」
「怨恨ってもんがあんだよ」

 アスマの持つ短刀が震えている。それが武者震いではなく怒りからだと、彼の重たい口調が訴えている。

「十九年前、異能者は命をかけて人間を守った。それなのに、よくも好き勝手に言えたもんだ」
「まさかお前……異能者か⁉」

 今まで会った異能者とは何かが違う、本気で俺を殺そうとしている――絶体絶命だとやっと気づいた勝吾は、音を立てて腰を抜かす。心結と同じく、全身が泥だらけになった。

 しかしそんな事は二の次で、いつ襲われるか気が気ではないらしい。勝吾は、アスマから目をそらさない。

「や、やめろ……っ」

 願いも虚しく、アスマは勝吾に向かって歩き出す。静かに、だけど着実に、二人の距離はどんどん近づいた。

 ついに攻撃が当たる範囲まで来た時。長い三つ編みを揺らしながら、アスマが短刀を振りかぶる。

「久我勝吾。異能者への非礼を深く詫び、潔くあの世へ行っちまえ!」
「う、わあああ‼」

 為す術ない勝吾は、とっさに腕をかざして顔を守る。その光景を目の当たりにした心結は、すぐさま足を動かした。

「勝吾様!」

 心結にとって勝吾は憎い人だ。いつも自分を虐げるし、困っていても見て見ぬふりばかり。

 しかし目の前で斬られようとしている人が勝吾であれ、見過ごすわけにはいかなかった。こういう時、きっとナギなら助けると思ったからだ。

(まだ私は皇ナギの妻……ナギ様の恥にならぬよう動くだけ……!)

 あの人の妻であることを誇りに思っている。だから助ける。例え、憎い相手であっても。

「やめて……っ!」

 勝吾の前へ身を乗り出し、限界まで両手を広げる。これには襲い掛かったアスマも、後ろで尻餅をついた勝吾も動きを止めた。

 特に勝吾は不思議だった。散々に虐げた心結が、まさか自分を庇うなんて。

「お前、どうして……」
「勝吾様……私、私は……」

 伸ばした手が揺れる。それは恐怖と緊張から、体全体を揺らした。

 だけど心結は口を閉じなかった。諦めなかった。深呼吸し、後ろにいる勝吾に届くよう声を張る。

「あなたの愛人にはなりません。
 私は死ぬまで、皇ナギの妻です」
「!」

 初めて、自分の気持ちを勝吾に言えた。今まで諦めていたが、一番伝えたい言葉を口にできた。それだけで、分厚い殻を破れたような清々しい気持ちになる。

 (きっとナギ様が、私の心を取り返してくれたからだわ……)

 ナギから優しさを貰う度に、欠けた心が元通りになった。そして新たに形を成した心は、こうして自分を守るための盾となる。

(あなたのおかげで、私は強く変わることができました。ナギ様……)

 しかし、そんなナギともお別れかもしれない。自分の愚行が原因で――どうしようもない無念から、再び涙がこぼれる。

(どうして、死ぬのが私じゃないの。どうして、永遠にナギ様のそばにいることが出来ないの……っ)

 アスマと対峙しながら、心結は嗚咽を漏らす。虚無感で、胸が張り裂けそうだ。

「なぁアンタ」

 完璧に笑みを消したアスマが心結へ近づく。刀は構えたままだ。いつ振り下ろされてもおかしくない。しかし、心結は動じなかった。

 涙を流しながら、それでも逃げることなく、勝吾の前に立ち続ける。

「そこを退けよ。俺の刀が刺さっちゃうぞ?」
「……退きません」
「じゃあ、やっぱりアンタからやるか。どうせ片付けないといけないんだ」

 器用に刀を回しながら「俺って殺すの上手いから安心しな」と、再びアスマは笑った。しかし目が本気だ。いよいよ心結に緊張が走る。

 (だけど、逃げない)

 絶対に引かない。
 ここにきて命乞いなど、私はしない。

「私に触っていいのは、夫であるナギ様だけです。
 例え刀であれ、触れることは、許しません」
「……へぇ」

 面白いと言わんばかりのアスマの顔。後ろでは、勝吾が小さな声で「心結……」と呟いた。足に力が入らないのか、心結のように立つことはできない。

 対極の二人を見て、アスマは膝を叩く。

「はは! アンタのことは惜しいけど、でも報酬は欲しいからなぁ」

 不敵に笑った瞬間。アスマは、目にも止まらぬ速さで短刀を振り下ろした。

「悪いな、嬢ちゃん!」
「!」

 アスマが動くと同時に刀を見失う。速すぎて見えない。しかし同時に鋭い痛みが頬を刺す。まさか、もう切られた?

「……っ!」

 本当に、もうダメかもしれない――
 心結が死を覚悟した、その時だった。


「よく言ったな、心結」


 アスマと心結の間に現れる、聴きなれた声。

 色の薄い髪が心結の心を撫でるように、目の前で優しく揺れた。