旦那さま、ずっと私と生きてくれませんか?

 
 だまり屋は、学校の教室より一、二回りほど小さい普通の店だ。

 暖簾をくぐると、土足で歩ける土間がある。土間の先には靴を脱いで上がる床があり、壁にそって置かれた文机がある。そこでナギは客から依頼を聞いたり、異能を使ったりしている(冴の時は土間にて治療を行ったが、あれは例外だ)。

 店の床は高さがあるため、土間と床間に、式台という板がある。それを階段のように使い、楽に床へ上がるのだ。

 その式台に座る一人の男、ヒスイ。濃い紫色の髪は床へ垂れるほど長いが、絡まることはなく、尚且つ艶がある。加えてすれ違う女性が振り向くほどの整った顔の持ち主。そう。ナギと同じく、ヒスイもまた異能者なのである。

「顔色わるすぎや、どれほど無茶したんか聞かんでも分かる」
「……いいから、薬」

 要件だけ伝えると、ヒスイは爬虫類のように鋭い目を光らせた。

「万能薬やない。ただの着付け薬や。これに頼るようになったら終わりやで」
「分かっている。あと……風邪薬はあるか」

 ヒスイは「あるけど」と、うっとうしそうに長髪を背中へ回す。

 さっきナギへ渡した薬は、異能者の力を回復させる治療薬。といっても軽度のもので、数時間経つと効果は切れてしまう。

 その点、ナギの異能は怪我や病気を完治することが出来る。しかし自分への治癒は行えないため、こうしてヒスイから薬をもらうのだ。いつもヒスイから「難儀な能力やなぁ」と憐みの視線を向けられながら。

「しかし風邪をひかん君が、薬? 珍しいなぁ」
「俺ではない。妻だ」
「妻?」

 寝耳に水の事実に、ヒスイの目が落ちそうになる。

「やっと結婚してくれたんか! 最高の気分や、嬉しいわ~!」

 ナギは結婚すべきだと、ずっとヒスイは思っていた。圧倒的に高い治癒能力、それに加えて結界など種類の違う基本的な異能も全て使うことができる。それほど強力な力を持つナギのことを、ヒスイは高く買っている。


 十九年前に妖怪を全滅させた際、異能者の数は激減した。生き残った異能者の力も、年々弱くなっている。そのことがヒスイは気になっていた。

 全滅させたといっても、相手は妖怪だ。いつまた何の脈絡もなく復活するか分からない。そのため異能者の力を、なんとしてでも維持させておきたかったのだ。

 だから強力な異能を持つナギと女性の異能者が結婚してくれればいいのにと願っていた。これからの異能者の繁栄を願いながら、妖怪復活という最悪の事態に備えておきたかったのだ。

 しかしナギは頑なな男だった。迫って来る女性異能者(令嬢も含む)の相手が面倒だからと、まずは見た目を悪くした。落ち武者のように、乱雑に髪を伸ばしたのだ。しかし、それでも顔目当て・権力目当てに皇家の門を叩く者は多かった。だから今度は屋敷を見えなくした。結界を使って、世間から姿を消したのだ。

 これが「皇家は風の噂では?」と言われてきた所以である。

 今まで何十人もの令嬢を突っぱねてきたナギだからこそ、結婚はもう諦めていた。異能者は廃れるしかないと、ヒスイは腹をくくったのだ。しかし、ここにきてまさかの朗報。ヒスイの目が爛々と輝く。

「それで相手は? どんな能力者なん?」
「人間だ」
「……は?」

 ヒスイの顔から笑みが消える。見た者が凍えるような恐ろしい表情を見るに、どうやら気に食わないらしい。ヒスイにしては珍しく低い声が出る。

「惚れてんの?」
「違う」
「じゃあ何なん?」
「……利害が一致しただけだ」

 本来、利害の一致というのは互いに利益があって初めて成立するものだ。しかしナギの話だと、どうにもしっくりこない。

「君の利は? 聞く限り何もないやん」
「……そうでもない。俺のいらない物を、心結に引き取ってもらうだけだ」

 それだけ言うと、ナギはもらった薬を豪快に口へ入れた。初めてではないから苦いことは重々に承知していたが、今日は殊さら苦く感じる。刺すような視線をヒスイから受けているからだろうか。

 気まずい時間が流れていると、奥から廊下をかける音がする。顔を出したのは心結。

「あの、先ほどはありがとうございました。響丸くんから、こちらへ来るよう言われまして……」

 温かなお風呂に入ったからだろう。心結の頬は、蒸気して赤くなっていた。青白かった肌が、熟れた桃色に染まっている。

 するとヒスイが音もなく立ちあがった。草履を豪快に脱ぎ捨て、床へ上がる。そして酔っ払いのような足取りで、ふらりと心結へ近づいた。