旦那さま、ずっと私と生きてくれませんか?

 
「……目を閉じろ」
「はい」

 瞼の裏で、ナギの手を感じる。冷たくて気持ちがいい手だ。すると眩しい光に包まれる。それは数秒で消え、ナギの手も離れていく。

「開けてみろ」
「……あ」

 瞬きをするだけで傷んでいた目は完全に回復した。ナギの瞳がさっきよりもきれいで、どこまでも澄んで見える。

「治してくださり……本当に、ありがとうございました」
「……」
「あの……?」

 不思議に思って顔を上げる。目に写ったのは、ナギの歪んだ顔。

「なぜ火傷を負った?」
「え」

 突然の質問に、言葉を失う。勝吾に顔を上げろと言われたら作り立ての味噌汁を掛けられた、なんて。とても恥ずかしくて答えられなかった。妻でありながら使用人以下の扱いを受けていたなんて……。自分の存在が、限りなく惨めだ。

「す、炊事中に、お湯が跳ねて……」
「炊事? なぜお前が作る。使用人がいるだろう」
「私が作りたいと……そう、望みました」
「……そうか」

 ナギは立ち上がる。いくつかのしこりを、心に残したまま。

「お前の両親に結婚のことを伝えた」
「え……両親は、なんと」
「……お前が幸せになるのであればと、結婚を喜んでいた」
「そう、ですか……」

 心結の声が低くなる。何か悪いことを悟ったように。

「ご迷惑をおかけしました。改めて……これから、よろしくお願いします」
「……あぁ」

 ナギが部屋を後にすると、お盆を持った響丸が廊下の向こうから歩いて来た。白米から湯気が立っている。新米の甘い香りが、優しく辺りへ漂う。

「おやナギ様。もう治療を終わられたのですか?」
「……」
「終わったんですよね? その割には浮かない顔ですが」
「……気のせいだ」

 響丸は「そうですか」と言い、心結の部屋へ入っていく。中から「ありがとうございます」と、心結の声が聞こえた。瞬間、ナギの頭へさっき聞いた心結の声が反駁する。

――そう、ですか

 あの返事は、ナギのウソを見抜いていた声だ。ナギはため息を漏らす。

「ウソなど、つかなければ良かったな」



 実は心結が起きる前、花本家へ出した使いが返って来た。

『手紙を届けてまいりました』
『両親はなんと?』
『あの皇家と縁を結べるとは、と驚いている様子でした。あとは、あんな娘ですが末永くよろしくお願いいたします、とも。興奮していましたよ』
『……そうか』

 案の定、心結の両親は久我家からさっさと鞍替えした。我が娘よりも、金が大事だからだ。虐げられた心結が離婚をしなかったのは、きっと実家のためだ。離婚すると支援金が途切れ、花本家は名家ではなく一般家庭へ戻る。それを両親が望んでいないと知っているからこそ、心結は逃げなかった。

 地獄の日々を我慢した苦労は相当だったはずだ。しかし両親は心結へ礼の一つも言わず、心結ではなくナギへお礼を言う始末。心結を、金のなる木にしか見ていない。

 しかし、そんなことを心結本人に言えるわけがない。
 だからナギはウソをついたのだ。両親が心結の門出を喜んでいた、と。

「柄にもないことをしなければ良かったな」

 ため息を吐くと、鈍い痛みが体を走る。体中の関節に、重りをつけられたようだ。

「……またか」

 結界を張り直したり、心結の治療をしたり。そう言えば術を連発してしまった――痛みを体の外へ逃がすようにナギは呼吸を整え、目を伏せた。空に広がる曇空。先ほどまでの暖かさはどこかへ行き、足袋を通り抜けた木材の冷たさが、ナギの足裏を刺していた。