寝ても冷めても彼ばかり




端的に言うと、腐れ縁というやつ。
小学校に上がってすぐ、父はひとりの男の人を家に連れてきた。
その人は優しくて、かっこよくて、珍しいお菓子や流行りの玩具をくれるから大好きだった。しばらくしてから父とは“仕事”の関係で、父より“偉い人”ということを知った。

その偉い人が、ある日小さな男の子を連れてきたんだ。

『日色。この子は専務の息子の三千人君だ。お前と同い年だから、仲良くな』

高雅さんの隣にいた父は前に屈み、俺に笑いかけた。

柔らかそうな黒髪。くっきりした目鼻立ち。同い年と思えないほど、高雅は大人びていた。
知らない相手なら圧倒されて終わりだったかもしれない。でも、いつも優しい高雅さんの子だから、幼かった俺は仲良くなろうと必死だった。
『よ、よろしく』
おずおずと手を差し出すと、強い力で握り返された。

『よろしく。日色って、名前まで可愛いんだな。大人になったら俺と結婚しちゃう?』
『結婚?』
『そ。夫婦になるってこと!』
『……??』

今思えば、初対面から男を口説くとんでもない奴だった。
でも彼は小さなことにもすぐ気が付く。俺が好きそうなゲームや本を持ってきて、おかしいぐらい気を引こうとしてきた。
俺にとっても、海外慣れした彼の土産話は魅惑的で、あっという間に虜になった。

父さん達が仕事の話をしてる間、俺と高雅は別室で喋り続けた。欲しい玩具や好きなアニメ。いつか行ってみたい場所。
夢は無限に膨らんで、小さな紙に書ききれないほどだった。高雅も遠慮なくやりたいことリストに書き込んでいくものだから、もうどっちの願望なのかも分からず。
最終的に、“結婚”は俺達二人が叶えたい夢になったんだ。

『……前に夫婦になろうって言ってたよね。それって、僕のお父さんとお母さんみたいな関係ってこと?』
『そうだよ。一緒にいるのが当たり前の家族になるんだ』

彼は俺の手を引き、自分の膝に座らせた。

『俺、今までほんとにたくさんの子と会ってきたけど、日色といるときが一番楽しい。素直だし、可愛いし、……顔見るとホッとする』

高雅はいつもしっかりしてる。だから不意に見せた寂しそうな顔と弱音が印象的だった。

『俺が守る。だから、これからもずっと一緒にいよう』

彼は微笑んでいたけど、声は間違いなく泣いていた。

俺も両親が共働きで、ひとりで過ごすことが多かった。孤独を分かち合える……心の隙間を埋め合う存在を見つけて、確かに誓ったんだ。

『結婚しよう! で、家族になろう。同じ家に住んで、ご飯食べて、一緒に寝る。そしたらもう寂しくないよ。ね!』
『日色……』

だからこそ、俺は人生を捧げる約束をした。
子どもだったから、男同士ということに何の不安もなかった。

彼はしばらく固まったあと、嬉しそうに微笑んだ。
『……そうだな』
俺の額にキスして、指切りのために小指を差し出して。

『決めた。俺が絶対幸せにするよ』




「…………ッ!」

アラームが耳元で鳴っている。でも音楽のメロディじゃない。
少し前から俺を現実に呼び戻すのは、“彼”の声。
甘くて、柔らかくて、鼓膜の奥の奥まで心を揺すぶる。

『おはよう、朝だよ。今日も一緒に頑張ろ。夜に会えるのが楽しみだね』

鳴動するスマホに手を伸ばし、布団の中に引き込んだ。アラームを止め、瞼を擦る。仰向けに転がった後、ロック画面に表示された写真を見つめた。
そこに映っているのは、幼い頃の高雅。

「…………」

くそ。可愛い。
時の流れは残酷だが、スマホ画面にキスをした。
まだ耳に彼の声が反響している。
俺の今のアラームは、高雅が配信した目覚ましボイスだ。
彼には「興味ない」と言ったけど、あれは嘘。俺は高雅の“つくった”イケボを聴き、一瞬で心を奪われた。

高雅の配信活動よりヤバい秘密だ。もし知られたら死ぬ。もれなく人生が強制終了する。
でも、俺が好きなのはあくまで声。
今は義務感と責任感で彼の世話を焼いてるだけだ。連日女の子を口説いてる高雅を恋愛対象にするのは辛すぎる。

結婚とか何とかアホなことを抜かしてた、あの頃の俺達は死んだんだ。
じめじめした気持ちを吹き飛ばす為に布団を押しのけ、今日もシャツに腕を通した。

「あ、箱崎! 高雅に現社の教科書返せって言っといて」
「あぁ」

学校に着くと、すぐ高雅のことで名前を呼ばれる。
彼は女子とどこかに消えることが多いから、授業が始まらないと中々捕まらない。
俺も基本、放課後までは自由に行動していた。
「箱崎、何か目の下にクマできてない? 大丈夫か?」
「ふあぁ……大丈夫」
昼休み直前、前の席に座る中許が振り返った。俺がよく高雅に連れ回されてるのを知ってるから、心配そうに眉を下げている。

「昨日も高雅達と遊びに行ってたけど。……仲良いんだな」
「はは。仲良いっていうか、幼馴染なだけ」

しどろもどろに答えると、彼は腑に落ちない様子で呟いた。
「幼馴染でも、全然タイプ違うじゃんか。無理して付き合ってんだったら、俺から言おうか?」
中許は声を潜め、真剣な表情で覗き込んできた。
彼の優しさに感謝しつつ、笑顔でかぶりを振る。

「サンキュ。でも無理はしてないから、大丈夫」

土下座したいほどの罪悪感に苛まれながら教室を出た。

嘘をついた。ほんとは全然大丈夫じゃない。
本気で心配してくれる友人に嘘をつくなんて、自己嫌悪でおかしくなりそうだ。

でも本当のことを言ったらもっと心配させてしまう。仕方ないと言い聞かせて、一階の自販機まで飲み物を買いに行った。

高雅に振り回されることが辛いんじゃない。高雅が女の子とイチャついてるのを見るのが苦痛なんだ。理由は分からないけど、漠然とした焦りを覚える。

同じ高校に入ったときは嬉しかったけど、学校での高雅は俺が知ってる姿とまるで違った。これまで彼と一対一でしか関わったことがないから、それなりにショックを受けた。

異性に対して、あんな顔を向けるんだ、とか。あんな優しい声を出すんだ、とか。自分だけが知らなかった彼の姿を一気に知って、疎外感に押し潰されたんだ。

……なんて。冷静になると笑える。

別にいいじゃんか。彼がモテモテだろうと、可愛い彼女をつくろうと。俺には何の関係もないし、好きにしたらいい。そもそもあの家柄とスペックでフリーなことがおかしいんだ。

彼の父親に義理があるから最低限のフォローはするけど。女の子と遊んで痛い目に遭っても自業自得。
そう皮肉に考えてペットボトルを取ると、前から凄まじい怒声が聞こえた。

「最っ低! もう二度と連絡してこないで!」

バチン、という渇いた音が聞こえ、廊下の角からひとりの女子が歩いてきた。
怒りの形相だったから壁にぴったり背を預ける。邪魔にならないよう避けた後、彼女が歩いてきた方に曲がった。

そっと窺うと、そこには左頬を真っ赤に染めた高雅が立っていた。
「……今度は何したんた」
遠いところから控えめに尋ねると、彼は一瞬目を見開き、肩を竦めた。
「誰にでもベタベタしてんのが許せない、と」
「あー、わかる」
「おいっ。お前、俺の味方じゃないのか」
「味方だよ」
即答すると、彼は怪訝な表情で隣にやってきた。
「味方なら同意するとこじゃないだろ。俺は全女子を平等に甘やかしたいだけで、そこに深い意味はない」
「……」
窓の外を眺めて水を飲む。別に無視してるわけじゃないんだけど、高雅は目を細め、額を押さえた。
俺の頬を指で押し、掠れた声で「悪い」と呟く。

「女の子は全員平等。でも、それ以上の存在はお前だけ」
「どゆこと?」
「だから……。お前は単体で、全女子生徒と同等の重みがあるんだ」
「……」
「思考を放棄すんなよ。言っとくけど顔見ればわかるからな」

やばい。何言ってるのか本気でわからんぞ。
それも今さらだけど。彼という存在は、もうずっと理解不能だ。
十年一緒にいて、今までで一番近くにいる。なのに分からないことばかり日増しに増えていく。

解けば解くほど訳わからなくなる数式と同じだ。
キャップを強く閉め、彼の赤く染まった左頬にペットボトルをあてた。