思わずかなりの声量で返してしまった。しかし高雅は落ち着いた様子で腰に手をあてる。
「……最近自分をコントロールできないことがある」
こんなの初めてだと言い、彼は肩を竦めて歩き出した。
「ちなみに全部お前に関わること」
「ひぇ……っ」
寒気で喉が鳴る。
全部俺に原因あるのか。全然心当たりがない。
俺はいつも通り接してるつもりだけど、何が高雅の心を掻き乱してるんだろう。
彼は自販機で水を買うと、それを俺に手渡した。
「顔赤いのはホントだけどね。ちょっと冷やしな」
「わっ」
めっちゃ冷たい。でも彼に言われるまま、ペットボトルを額にあてた。
俯き前髪で目元を隠す。次いで壁にもたれてる高雅を盗み見た。
……確かに、いつもの彼じゃない。どこか焦ってるように見える。
一体どうしたんだろう。彼と、……俺は。
「高雅、怒ってる?」
「何で?」
「さっき中許といた時も……何か、声が低くて怖かったから」
俺が好きな配信用の声とはいかなくても、普段の高雅はそれなりにトーンが高い。だからちょっとでも低いと異変に気付く。
彼の心の中に嵐が吹き荒んでる。それはとても巨大で、飲み込まれたら出てこられない。
不安になりながら見上げると、彼は気まずそうに瞼を伏せ、頬を搔いた。
「怖がらせたか。……悪い」
「いや、謝ることじゃないけど。俺が原因なら、申し訳ないと思って」
「お前は何も悪くない。俺がひとりで荒ぶってるだけ」
高雅は腕を組み、ため息をついた。
「やっぱ、苦行だな」
「?」
辛そうな声音と横顔。その理由がわからず、首を傾げる。もらった水を飲んで、彼の隣に移動した。
「やっぱ、熱あるのは高雅の方じゃない?」
「ふっ……」
今なんて小さい頃の延長だと思ってたのに。俺達はいつからか、気が狂いそうな熱の中で暮らしていた。
「……そうだな。お前に会ってからずっと、熱出してんのかも」
高雅は可笑しそうに笑った。
結局俺が原因か、と思ったけど。それが嫌とは思わなかった。
高雅が本当に嬉しそうに笑っていたからだ。
( しょうがない奴 )
自由奔放で、思考が全然読めないけど……ボンボンだから多少は仕方ないな。
持っていたペットボトルを彼の手にしっかり握らせ、階段に続く廊下を曲がる。
嘘でも一回保健室に行ってやろう。そんで何もないと言われて教室に戻ればいい。
ポケットに手を入れて歩き出すと、高雅はペットボトルのキャップを開けた。
「日色、これくれるの?」
「うん」
「サンキュー。あ、てかこれ間接キスじゃん」
「やっぱ返せ」
「やだ」
伸ばした手は空振りした。高雅は翻り、一気に水をあおる。
プラスチックの透明が、光に反射した。まるで宝石のようにきらめき、彼の喉を動かす。
わざとか、ってぐらい高雅は長いこと水を飲んでいた。
半分以上飲み干したところでキャップを閉め、俺に差し出す。
「はーっ、ごちそうさま! はい、お前の番」
「何でだよっ!」
「水分補給は大事だぞ。ていうか、何照れてんだ」
昔は散々間接キスしただろ、と心底不思議そうに首を傾げている。
「それとも、何か意識することでもあった?」
「……ない。とにかく、それはもういいよ。ありかと!」
顔が熱い。怒りなのか羞恥なのか分からないけど、これ以上見られたくなくて足早に歩いた。
特別とか、守るとか。今まで言われたことが、何故か突然フラッシュバックした。
昔の約束。
『────三千人。僕達結婚するんじゃないの?』
夢から目を覚まし、“現実”が見え始めた頃……彼に投げかけた問い。
遥か昔の記憶も逆流する。目が眩みそうな過去から逃げ出そうと、足早に歩いた。
……本当だ。熱い。
子どもの頃に溢れた想いが蘇る。
『大好きなのに……』
『……っ』
涙をこぼす俺に、幼い高雅も瞳を揺らしていた。
何で今、それを思い出す。
「はぁ……っ」
さっきから変だ。一刻も早く彼から離れないと。
でも、そう焦るほどに足がもつれる。踊り場から階段を降りようとしたが、見事に踏み外した。
やばっ。
「日色っ!!」
気持ち悪い浮遊感と、体に加わる衝撃。
けどそれ以上に、彼の張り裂けそうな声で頭が真っ白になった。
十年も一緒にいながら、初めて聞く声……。それは階段から落ちたことよりびっくりした。
視界が反転した後、聞こえてきたのは苦しげな呻き。
「いつつ……大丈夫か?」
「う……ん」
何度もまばたきして、状況を確かめる。心臓のバクバクが止まらない。
本当なら全身を打ちつけていたはずだけど、痛みは少ない。高雅が俺を抱き寄せて、下敷きになってくれたからだ。
「……って」
俺の代わりに。
どうして、……そこまで。
疑問と罪悪感が土石流のように押し寄せ、ようやく頭が回りだす。体を起こして高雅を抱き起こした。
「高っ……み、三千人! ごめん、大丈夫!?」
最悪だ。最悪過ぎる。……俺。
パニックになりながら彼の名を呼んだ。彼は俺の取り乱し方に驚いた様子だったが、笑いながらかぶりを振った。
「あはは。心配しなくて大丈夫だよっ。お前が無事なら」
「……っ!」
そういう問題じゃない。とツッコむ資格は、今の俺にはない。
彼を傷つけてしまった、その事実に押し潰されそうだった。互いのスマホが下の踊り場に落っこちているのが見えたが、そんなことを気にする余裕はなくて。
ちょうどやってきた生徒に、先生を呼んでほしいと必死に頼んだ。すぐに保健室の先生がやってきて、高雅を運んでくれた。
その後の記憶はない。
次に目が覚めたときは、自分の部屋にいた。
「………………」
あれ。何がどうなったんだっけ。
暗い天井を見つめながら、ひとまず深呼吸した。
学校の階段から落ちて、高雅が庇ってくれて。……そうだ。
高雅を保健室に運んで、保健医の先生に診てもらったところまでは覚えてる。
軽い捻挫だから大丈夫と言っていたけど、緊張が抜けたら目眩がして、倒れたんだ。
情けな過ぎる。怪我の軽い人間がショックで失神なんて。
明日、どんな顔して高雅と会えばいいんだ。
頭を抱えながら上体を起こし、深いため息をつく。
「最低だ……俺」
俺の感情なんてどうでもいい。高雅の無事を確認する方が先だ。
保健室では大丈夫と言われていたけど、その後なにかあった可能性もある。一度確認しないと。
何時間眠ってたんだろう。周りを見回すと、サイドテーブルにスマホが置いてあった。
でも、液晶パネルに大きな亀裂が入っている。
あちゃあ……。
やっぱり割れたか。あの高さから落としたし、仕方ない。それでも画面はちゃんと表示されて、二十時二十一分の文字が見えた。
随分寝てたみたいだ。……けど。
「ん?」
ロックが解除できない。指紋認証も顔認証もエラーだ。
イカれたかなぁ。仕方ない、強制終了だ。
音量大ボタンと電源ボタンを押し続けると無事にオフにできたので、再起動した。これでリセットされるかと思ったが、パスコードを入れても開かなかった。
間違ってないのに、おかしいな。
慎重にもう一度入力してみたものの、やはり失敗。
……。
うん。落ち着け、俺。こういうときこそ焦りは禁物だ。
確かパスコードを六回失敗したら永久にロックされる設定になってる。だが二回目は間違いなくちゃんと入れた。でも開かなかった。……つまり。
迂闊な真似はしない方がいい!
ベッドから出て、パソコンの電源を入れた。パスコード解除ツールを使えばデータ損失なしでIDのロック解除ができる。
セキュリティは一時的に弱くなるけど、すぐ再設定すれば問題ない。
セキュリティ質問を全て突破し、完了の文言が画面に表示された。
ふー、何とかなった。
マウスから手を離し、傍のスマホを手に取る。これでホームを開けるはず。……が。
「嘘っ」
またしても、画面に映るのは『解除失敗』の文字。
パソコンに映し出された表示と異なりロックが解除できてないことに、凄まじい量の汗が流れた。



