「げっ……」
浠が指をさしながら問いかけた、"ある物"に対して俺は露骨な嫌悪を吐き出した。
「蛇ちゃんだよ。あれ、きょーちゃんどこ行くの」
「帰る。お前が言いたいことは全部予想がついた」
「帰んないでよ!これからなのに!」
「ソイツを見りゃ、否が応でも分かるっつーの」
踵を返す俺を、浠は鬱陶しく腰にまとわりつきながら必死に引き止める。
離脱を図ったのは、コイツが俺の小学生時代を好き勝手脚色して語り出す、お決まりの未来を回避する為だった。
加えて残念ながら俺は、浠の語る俺の話には全く興味がない。
だから、早く帰らせてもらうべく、コイツを引き剥がそうとしていたのだ。
「ほら、あの絆創膏!」
「わァってるっつの、もう死ぬほどその導入聴いたんだよこっちは飽きてんだ本殿帰るぞボケナス」
「罵倒の語彙がちょっと増してる」
浠の指差すそれは、岬ノ神社が奉っている蛇神を模した石物だった。
この蛇の御神体は、俺達の関係を色濃く染み渡らせた、忘れたくとも忘れない程、記憶に刻み付けられている代物なのである。
その証拠の一つが、蛇の右目に貼られた絆創膏だ。
つーかなんでまだ残ってんだよ。
俺がガキの時に貼ったやつ!
「とっとと御扉閉めてこい!このバカ!!」
雁字搦めにされた腕を解き、距離を取る俺に対して、浠は恥も外聞もなく駄々をこねる。
俺は、その哀れな様を冷ややかに見下ろした。
そうしながら、蛇神が先手を取って、こいつの頭に雷の一つや二つ落ちるかもしれないと、少し淡い期待も抱く。
管理人でもないのに、昔からバカスカ御神体を晒して、神が怒らないはずがないのだから。
「ったく……罰当たってもしらねえからな」
しかし、俺がそう呟くと、浠がぴたりと動きを止めた。
「罰なんて当たんないよ」
「はぁ?」
コイツのあたかもそれを確信しているかのような口ぶりに、俺は呆れ混じりの声を漏らす。
浠は俺に背を向け、今一度社に近寄ると、その中の蛇を取り出したのである。
「ねえきょーちゃん。あの絆創膏さ、怪我していて可哀想だからって、貼ったんだよね」
「オイ、幾らなんでも──」
「剥がしてみよっか。傷、治ってるかもしれないよ」
いやいや、それはねえだろ。
途端に突飛なことを言い出すものだから、俺は唖然とした。
御神体を手に取る浠の口角は、柔らかな弧を描き、期待と喜びを噛み締めているように笑っている。
コイツの意図が全くと言っていいほど読めず、俺は少しばかりたじろいだ。
「はっ、暑さでおかしくなっちまったか?だいいち、治るわけねえだろ。石でできてんだから」
振り返れば、御神体の罅を、人間に出来るような生傷と同じだと勘違いしていた、無知故の行為。
さしずめ、「痛そう」「可哀想」という感情を抱き、あたかも人と同じように投影して、手当をしたのだろう。
思い出したら、過去の自分の行いに羞恥心が湧いて仕方がない。
浠が調子に乗る前に、とっとと退散する必要があった。
「確認するまでもねえよ。お前がそれ好きなのもよく分かったから、ほら、戻しとけ」
「悪いこと言わねえから」
しかし歳をとればその小さな幻想は消える。
元はただの石。
割れようが削られようが、生き物のように治癒能力はない。
子供騙しの、たかが絆創膏ごときで治るわけがないのだ。
俺の忠告も聞かず、ゆっくりと、浠の指が絆創膏を剥がしていく。
あれ、なんだ。
なんか、見てはいけないものを見てしまいそうな気がする。
というか、あの絆創膏。
もう何年も前に貼ったはずなのに、なんで貼ったばっかみてえな真新しさなんだ?
「おい、みず──」
ぺり。
呼び止める前に、完全に剥がされた絆創膏が、浠の指先で潮風に靡く。
「あははっ、!」
俺は己の目を疑うことに精一杯で、浠の笑い声にも反応してやることができなかった。
「凄いね、きょーちゃん。……魔法でも使ったの?」
突き出された蛇神の右目に、かつてあったはずの大きな割れ目が、綺麗さっぱり無くなっていたのだ。
「は?」
人為的にくっ付けた形跡すら残っておらず、仮に職人が修復して研磨した後だとしても、不自然なくらいに。
形も大きさも散々見てきている当時のままだ。
俺は恐る恐る、御神体の右目に触れる。
どれほど指の腹でなぞっても、凹凸や、修復痕、細かな傷も感じ取れない。
作り立てのようだった。
「な、わけねぇだろ。消えるはず──」
「きょーちゃんの優しさが神様に届いたんだねきっと。オレが怪我した時に、おまじないしてくれたみたいにさ」
「……?」
おまじない?
その言葉が、心に栓が生まれたような違和感を作った。ラムネ瓶の中にあるびいどろみたいな。
浠は御神体を優しい手つきで撫でながら、甘く乾いた声音でそう語った。
けれど、それはどれだけ追憶しても覚えのない話で。
唯一無二の友人で、家族よりも多くの時間を共にして来ている分、記憶の密度も濃いのだから、そう完全に忘れるわけもない。
浠との思い出と言われれば、大抵の事は心覚えがあるというのに。
俺が覚えていないだけなのか?
「お前におまじないなんて、そんな事、した覚えねえよ。お前が怪我したことなんて何回もあるけど」
「ンなことより、なんでそんな冷静なんだよ。驚くだろ普通!傷が消えてんだぞ……?!」
摩訶不思議な現象に脳がついていかず、俺は異質だと感じた部分を、脊髄反射の如く指摘した。
けれど、浠は困惑する俺を見ても、静かに微笑んでいる。それは、コイツが昔の話を引っ張り出す時の、表情に酷似していた。
その眦に、懐かしさが滲んでいる。
「傷だけじゃねえ。十年近く前の絆創膏が、新品同様って変だろ」
「十年って長いのかな短いのかな……オレは昨日のことみたいだから、あんま分かんないや。きょーちゃんとここで出会ったことも、絆創膏のことも」
浠の爪先がこちらを向く。
砂利の混ざる岩場を踏みしめているのに、靴音はしない。
「ねえきょーちゃん」
この寒気はなんだ。
汗が海風に晒されて、身体が冷えたせいか。
はたまた、浠の笑みに、例えがたい畏怖の念を感じているせいか。
「オレはさ。こんなちっぽけな石ころも大事にしてくれる優しいきょーちゃんが傷ついて欲しくない。……穢されたくない」
浠の影が徐々に覆い被さり、視界を暗くする。
その、俺は温度とも取れない、得体の知れない寒さにぶるりと身震いした。
「だから、そういう大切なものは、誰にも触れさせないようにしておかなきゃって……思うんだ」
小さな石物に頬を擦り寄せながら、浠は俺を見つめている。
その瞳には、あの紅が浮かんでいた。
前に見た時よりも、その色は次第に濃さを増して、爛々(らんらん)としている。
また俺は、コイツの変なスイッチを押してしまったんだろうか。
薮を突いてしまったのだろうか。
「……お前が管理してるわけでもねえのに、なんだよ、触れさせないようにって」
「……」
体を強ばらせながら俺は、まるで自分事のような浠の口ぶりに、疑問を呈した。
この胸に蟠る不透明感への抵抗が、考えるより先に漏れてしまったのだ。
このひりついた空気に流されるままでいてはいけない気がして。
身体を少しずつ締め付けていく感覚が、頭を上手く回してくれない。思考が滞りそうだ。
それからは兎に角、早くコイツを正気にさせようという一心になった。
「っそれより、この場所と俺が思い出した事件とは何の関連もないだろ!なんで連れてきたんだよ。とっとと帰んぞ」
「関係あるもん……」
「あ?聞こえねーよ、早くそれ戻して来い」
俺は浠が何かを語ろうとするのを無視して、帰宅を催促した。
態と地団駄を踏んで、何時ものように「ごめん」と呑気に笑うアイツに戻そうと繕ったのだ。
けれど。
「……あの五人には─────だよ」
一瞬、一際大きな波が岸壁に打ち付ける。
そのせいで、俺は浠が何を零したのか分からなかった。
改めて聞き返したけれど、浠は首を振る。
名残惜しそうに御神体を戻し、こちらに駆けてくる浠からは、もう毒の気配はしなかった。
***
獣道も参道、五人が行方不明になった付近の駄菓子屋の前を横切っても、俺達は平然と、くだらない話に花を咲かせる。
「その絆創膏、捨てとけよ。気味悪ぃし」
烏が乾いた声で淋しく鳴く帰り道を歩いている最中、浠は握りしめている物をさも大事そうに愛でていた。
たかが絆創膏一枚を。
俺はそれがどうにも薄気味悪くて、浠にそう命令したのである。
「やだ。きょーちゃんのだもん」
しかしこのザマだ。
「意味わかんねぇ。お前はあの蛇神かっつーの」
「……。へへ、そうかもね」
そうかもねじゃねえ。
照れくさそうに笑う浠の脇腹を、苛立ちを込めた肘で小突くと、コイツは大袈裟に痛がった。
そのまま田圃にでも突っ込んでしまえと願ったが、心底大切そうに手元を見ているものだから、少し良心が傷んだ。
いや、それも気のせいだ、気のせい。
「ね、きょーちゃん」
「ンだよ」
茜さす畦道を歩きながら、浠はいつも通り俺のを呼んだ。
じりじりと夕陽に焼かれて、汗を流しているコイツを、俺は影に覆われながら見上げる。
「きょーちゃんは、神様信じる?」
「新手の宗教勧誘かよ」
また随分、唐突なことを言う。
しかし、それには頷かざるを得なかった。
浠の右手に握られた絆創膏へ視線を落とし、あの御神体を思い浮かべた。
遡れば、浠と出会う前の話だ。
そんな昔に傷付いた物が、ああも完璧に戻っているとなると、奇妙で仕方がない。
「でもまぁ……あんなん見たら信じるしかねえだろ。修復されたにしろ、俺の貼ったそれを貼り直すとも思わねえしな」
「いんじゃねぇの」
浠はそれを聞いて、「オレもそう思うよ」と頬を緩ませる。
「オレがもし神様だったら、きょーちゃんのこと神社に閉じ込めちゃうかもなー」
「煩悩だらけの神なんざお呼びじゃねえよ。しっしっ」
「それでずーーっと、幸せにしてあげる。一生」
跳ね除けるような仕草をしていた俺の腕を取って、浠はそう言った。
小さな雛鳥を見るように、花の群れと戯れるように、楽園を夢見る子供のように。
その真っ直ぐな眼差しは、耳元で愛を囁かれているくらいの、面映ゆさを思わせる。
純粋に、幸せを願われる事が嬉しかったのだ。それを素直に認められないだけで。
「……出来るもんならしてみろ、バーカ」
「!!──うん!!」
後日、駄菓子屋の老夫婦に御神体の話を聞きに行った。
本殿の移転以降、修復は愚か、管理人でさえ手をつけていないのだという。
俺が貼った絆創膏の真新しさや、傷が治った蛇神の奇妙さは間違いではなかったのだ。
あの場所に、一体何があるというのだろう。
俺はそんな疑念を心の奥にそっとしまった。
浠が指をさしながら問いかけた、"ある物"に対して俺は露骨な嫌悪を吐き出した。
「蛇ちゃんだよ。あれ、きょーちゃんどこ行くの」
「帰る。お前が言いたいことは全部予想がついた」
「帰んないでよ!これからなのに!」
「ソイツを見りゃ、否が応でも分かるっつーの」
踵を返す俺を、浠は鬱陶しく腰にまとわりつきながら必死に引き止める。
離脱を図ったのは、コイツが俺の小学生時代を好き勝手脚色して語り出す、お決まりの未来を回避する為だった。
加えて残念ながら俺は、浠の語る俺の話には全く興味がない。
だから、早く帰らせてもらうべく、コイツを引き剥がそうとしていたのだ。
「ほら、あの絆創膏!」
「わァってるっつの、もう死ぬほどその導入聴いたんだよこっちは飽きてんだ本殿帰るぞボケナス」
「罵倒の語彙がちょっと増してる」
浠の指差すそれは、岬ノ神社が奉っている蛇神を模した石物だった。
この蛇の御神体は、俺達の関係を色濃く染み渡らせた、忘れたくとも忘れない程、記憶に刻み付けられている代物なのである。
その証拠の一つが、蛇の右目に貼られた絆創膏だ。
つーかなんでまだ残ってんだよ。
俺がガキの時に貼ったやつ!
「とっとと御扉閉めてこい!このバカ!!」
雁字搦めにされた腕を解き、距離を取る俺に対して、浠は恥も外聞もなく駄々をこねる。
俺は、その哀れな様を冷ややかに見下ろした。
そうしながら、蛇神が先手を取って、こいつの頭に雷の一つや二つ落ちるかもしれないと、少し淡い期待も抱く。
管理人でもないのに、昔からバカスカ御神体を晒して、神が怒らないはずがないのだから。
「ったく……罰当たってもしらねえからな」
しかし、俺がそう呟くと、浠がぴたりと動きを止めた。
「罰なんて当たんないよ」
「はぁ?」
コイツのあたかもそれを確信しているかのような口ぶりに、俺は呆れ混じりの声を漏らす。
浠は俺に背を向け、今一度社に近寄ると、その中の蛇を取り出したのである。
「ねえきょーちゃん。あの絆創膏さ、怪我していて可哀想だからって、貼ったんだよね」
「オイ、幾らなんでも──」
「剥がしてみよっか。傷、治ってるかもしれないよ」
いやいや、それはねえだろ。
途端に突飛なことを言い出すものだから、俺は唖然とした。
御神体を手に取る浠の口角は、柔らかな弧を描き、期待と喜びを噛み締めているように笑っている。
コイツの意図が全くと言っていいほど読めず、俺は少しばかりたじろいだ。
「はっ、暑さでおかしくなっちまったか?だいいち、治るわけねえだろ。石でできてんだから」
振り返れば、御神体の罅を、人間に出来るような生傷と同じだと勘違いしていた、無知故の行為。
さしずめ、「痛そう」「可哀想」という感情を抱き、あたかも人と同じように投影して、手当をしたのだろう。
思い出したら、過去の自分の行いに羞恥心が湧いて仕方がない。
浠が調子に乗る前に、とっとと退散する必要があった。
「確認するまでもねえよ。お前がそれ好きなのもよく分かったから、ほら、戻しとけ」
「悪いこと言わねえから」
しかし歳をとればその小さな幻想は消える。
元はただの石。
割れようが削られようが、生き物のように治癒能力はない。
子供騙しの、たかが絆創膏ごときで治るわけがないのだ。
俺の忠告も聞かず、ゆっくりと、浠の指が絆創膏を剥がしていく。
あれ、なんだ。
なんか、見てはいけないものを見てしまいそうな気がする。
というか、あの絆創膏。
もう何年も前に貼ったはずなのに、なんで貼ったばっかみてえな真新しさなんだ?
「おい、みず──」
ぺり。
呼び止める前に、完全に剥がされた絆創膏が、浠の指先で潮風に靡く。
「あははっ、!」
俺は己の目を疑うことに精一杯で、浠の笑い声にも反応してやることができなかった。
「凄いね、きょーちゃん。……魔法でも使ったの?」
突き出された蛇神の右目に、かつてあったはずの大きな割れ目が、綺麗さっぱり無くなっていたのだ。
「は?」
人為的にくっ付けた形跡すら残っておらず、仮に職人が修復して研磨した後だとしても、不自然なくらいに。
形も大きさも散々見てきている当時のままだ。
俺は恐る恐る、御神体の右目に触れる。
どれほど指の腹でなぞっても、凹凸や、修復痕、細かな傷も感じ取れない。
作り立てのようだった。
「な、わけねぇだろ。消えるはず──」
「きょーちゃんの優しさが神様に届いたんだねきっと。オレが怪我した時に、おまじないしてくれたみたいにさ」
「……?」
おまじない?
その言葉が、心に栓が生まれたような違和感を作った。ラムネ瓶の中にあるびいどろみたいな。
浠は御神体を優しい手つきで撫でながら、甘く乾いた声音でそう語った。
けれど、それはどれだけ追憶しても覚えのない話で。
唯一無二の友人で、家族よりも多くの時間を共にして来ている分、記憶の密度も濃いのだから、そう完全に忘れるわけもない。
浠との思い出と言われれば、大抵の事は心覚えがあるというのに。
俺が覚えていないだけなのか?
「お前におまじないなんて、そんな事、した覚えねえよ。お前が怪我したことなんて何回もあるけど」
「ンなことより、なんでそんな冷静なんだよ。驚くだろ普通!傷が消えてんだぞ……?!」
摩訶不思議な現象に脳がついていかず、俺は異質だと感じた部分を、脊髄反射の如く指摘した。
けれど、浠は困惑する俺を見ても、静かに微笑んでいる。それは、コイツが昔の話を引っ張り出す時の、表情に酷似していた。
その眦に、懐かしさが滲んでいる。
「傷だけじゃねえ。十年近く前の絆創膏が、新品同様って変だろ」
「十年って長いのかな短いのかな……オレは昨日のことみたいだから、あんま分かんないや。きょーちゃんとここで出会ったことも、絆創膏のことも」
浠の爪先がこちらを向く。
砂利の混ざる岩場を踏みしめているのに、靴音はしない。
「ねえきょーちゃん」
この寒気はなんだ。
汗が海風に晒されて、身体が冷えたせいか。
はたまた、浠の笑みに、例えがたい畏怖の念を感じているせいか。
「オレはさ。こんなちっぽけな石ころも大事にしてくれる優しいきょーちゃんが傷ついて欲しくない。……穢されたくない」
浠の影が徐々に覆い被さり、視界を暗くする。
その、俺は温度とも取れない、得体の知れない寒さにぶるりと身震いした。
「だから、そういう大切なものは、誰にも触れさせないようにしておかなきゃって……思うんだ」
小さな石物に頬を擦り寄せながら、浠は俺を見つめている。
その瞳には、あの紅が浮かんでいた。
前に見た時よりも、その色は次第に濃さを増して、爛々(らんらん)としている。
また俺は、コイツの変なスイッチを押してしまったんだろうか。
薮を突いてしまったのだろうか。
「……お前が管理してるわけでもねえのに、なんだよ、触れさせないようにって」
「……」
体を強ばらせながら俺は、まるで自分事のような浠の口ぶりに、疑問を呈した。
この胸に蟠る不透明感への抵抗が、考えるより先に漏れてしまったのだ。
このひりついた空気に流されるままでいてはいけない気がして。
身体を少しずつ締め付けていく感覚が、頭を上手く回してくれない。思考が滞りそうだ。
それからは兎に角、早くコイツを正気にさせようという一心になった。
「っそれより、この場所と俺が思い出した事件とは何の関連もないだろ!なんで連れてきたんだよ。とっとと帰んぞ」
「関係あるもん……」
「あ?聞こえねーよ、早くそれ戻して来い」
俺は浠が何かを語ろうとするのを無視して、帰宅を催促した。
態と地団駄を踏んで、何時ものように「ごめん」と呑気に笑うアイツに戻そうと繕ったのだ。
けれど。
「……あの五人には─────だよ」
一瞬、一際大きな波が岸壁に打ち付ける。
そのせいで、俺は浠が何を零したのか分からなかった。
改めて聞き返したけれど、浠は首を振る。
名残惜しそうに御神体を戻し、こちらに駆けてくる浠からは、もう毒の気配はしなかった。
***
獣道も参道、五人が行方不明になった付近の駄菓子屋の前を横切っても、俺達は平然と、くだらない話に花を咲かせる。
「その絆創膏、捨てとけよ。気味悪ぃし」
烏が乾いた声で淋しく鳴く帰り道を歩いている最中、浠は握りしめている物をさも大事そうに愛でていた。
たかが絆創膏一枚を。
俺はそれがどうにも薄気味悪くて、浠にそう命令したのである。
「やだ。きょーちゃんのだもん」
しかしこのザマだ。
「意味わかんねぇ。お前はあの蛇神かっつーの」
「……。へへ、そうかもね」
そうかもねじゃねえ。
照れくさそうに笑う浠の脇腹を、苛立ちを込めた肘で小突くと、コイツは大袈裟に痛がった。
そのまま田圃にでも突っ込んでしまえと願ったが、心底大切そうに手元を見ているものだから、少し良心が傷んだ。
いや、それも気のせいだ、気のせい。
「ね、きょーちゃん」
「ンだよ」
茜さす畦道を歩きながら、浠はいつも通り俺のを呼んだ。
じりじりと夕陽に焼かれて、汗を流しているコイツを、俺は影に覆われながら見上げる。
「きょーちゃんは、神様信じる?」
「新手の宗教勧誘かよ」
また随分、唐突なことを言う。
しかし、それには頷かざるを得なかった。
浠の右手に握られた絆創膏へ視線を落とし、あの御神体を思い浮かべた。
遡れば、浠と出会う前の話だ。
そんな昔に傷付いた物が、ああも完璧に戻っているとなると、奇妙で仕方がない。
「でもまぁ……あんなん見たら信じるしかねえだろ。修復されたにしろ、俺の貼ったそれを貼り直すとも思わねえしな」
「いんじゃねぇの」
浠はそれを聞いて、「オレもそう思うよ」と頬を緩ませる。
「オレがもし神様だったら、きょーちゃんのこと神社に閉じ込めちゃうかもなー」
「煩悩だらけの神なんざお呼びじゃねえよ。しっしっ」
「それでずーーっと、幸せにしてあげる。一生」
跳ね除けるような仕草をしていた俺の腕を取って、浠はそう言った。
小さな雛鳥を見るように、花の群れと戯れるように、楽園を夢見る子供のように。
その真っ直ぐな眼差しは、耳元で愛を囁かれているくらいの、面映ゆさを思わせる。
純粋に、幸せを願われる事が嬉しかったのだ。それを素直に認められないだけで。
「……出来るもんならしてみろ、バーカ」
「!!──うん!!」
後日、駄菓子屋の老夫婦に御神体の話を聞きに行った。
本殿の移転以降、修復は愚か、管理人でさえ手をつけていないのだという。
俺が貼った絆創膏の真新しさや、傷が治った蛇神の奇妙さは間違いではなかったのだ。
あの場所に、一体何があるというのだろう。
俺はそんな疑念を心の奥にそっとしまった。
