“ “が満ちるまで待っててね

 蝉が命を枯らして鳴きじゃくる休日の午後、海沿いに建つ岬ノ神社に俺達はいた。

 道中の駄菓子屋で買ったソーダ味のアイスは、とっくに水気を帯びて見る影も無くなってしまっていたけれど。

 十中八九、くだらない話に花を咲かせて、失われる手中の冷気を気にも留めず、のろのろと参道の階段を昇ったうえ、要らぬ道草ばかり食ったせいに違いない。

 漸く辿り着いた先、だらしの無い声を上げる浠を無視して木陰のベンチに腰掛ける。

 神の歓迎とも取れない生温(なまぬる)い風と、漣の音を風鈴がわりに、形を保てなくなった氷菓子を口へ運んだ。

 俺たちだけの夏の恒例行事である。

「あ"〜、暑いよぉ……きょーちゃぁん……」

「暑いって言うな、余計暑ぃだろうが」

「そんな無茶なぁ……ほらもうアイスがお水になってるよ、気持ちシャリシャリするくらいの代物になってる」

「水分補給と思って食え」

「飲ませてきょーちゃん」

「誰がするかアホ」

 そう、こんな会話を繰り広げていたら氷菓子はあっという間に溶けてしまう。

 隣で溶ける浠を差し置き、既に食し終えた俺は空袋を持ったまま、背もたれに身を委ねた。

 眩い木漏れ日の隙間から見える、幼少より変わらない快晴に気が落ち着く。

 俺は呑気に天を仰いでいる内、先日の遅刻騒動から、かつての記憶を引っ張り起こしたのである。

 そうして浠に問いかけた。

「なぁ。小学生の時の喧嘩、覚えてるか。あだ名云々で、ごたついた時の」

「小学三年生の時かぁ。きょーちゃんが人参嫌いで夜ご飯食べる時、オレのお皿へ移動してたあの頃だね、懐かしーい」

「余計な記憶も織り交ぜてんじゃねぇよ、普通に懐かしいで良いだろ」

 本当に全部を覚えられている事実は、矢張り気味が悪いと思わざるを得ない。

 しかしここで揚げ足を取られては堪らないと、全て語らんばかりの勢いを適当にあしらいつつ、何事もないように話を進めた。

 元を辿れば、それは心の弁に引っかかるような小さな疑念であり、当時は特段熟考することも無かったような事。

 時を経て、歳を重ねるごとに、思い出として昇華出来ないまま、遺物となった謎。

 けれどもその謎も、浠となら共有できる気がしたのだ。

 きっかけは、そんな具合の、案外単純なものだった。

「あの喧嘩の後、学校で五人行方不明になっただろ。警察も分からずじまいで、今じゃ時効扱いっぽくなってるけど……考えてみれば変じゃねえかって」

 浠は殆ど水と化したアイスを吸いながら、「何が変なのか」と疑問符を連ねる。

「俺に嫌がらせをした奴らが、綺麗に全員いなくなるんだぜ。俺が被害に遭ってから日も浅いし、誘拐事件にしたって、五人まとめてなんて事ありえねぇと思う」

「大々的な報道も、貼り紙もされてない。噂じゃ保護者まで気がおかしくなっちまったって話だ。……結局神隠し程度で片付けられて」

「なんつーか……偶然にしては出来すぎているっつーか。報復みたいで、ずっと引っかかってる」

「お前もそう思うだろ」

 そう投げかけると、浠は手の内に残った一点を見つめたまま、二呼吸ほどの間黙っていた。
 それなりの相槌を打たれるだろうと予想していた俺からすれば、浠の閉口は不自然だった。

「……浠?」

俺の呼び掛けに、浠はぴくりとも反応しない。

ただ、コイツに握られたアイスのゴミが、一層ひしゃげていた。

 他のことに気を取られていたのか、はたまた暑さにやられていたのかは定かでないが、珍しく茫然としている浠の姿に、俺は面食らってしまった。

「おい」

「─っあぁ、いや。懐かしくてさ。きょーちゃん泣かせちゃったから、オレ的には割としまっておきたい過去っていうか……」

「すっげー可愛かったけどね、オレじゃなきゃヤダって─いででで!!」

 しかしそれも、どうやら最高に杞憂だったようだ。

 心配していたのは、こちらの都合に過ぎないが、自分の気持ちを無碍にされたような被害者意識が湧き上がる。

 それに、何も妄想に浸れとは言っていない。論点がずれているどころか、話の的を狙えてすらいない返答に、青筋が浮かぶ。

 俺は浠の頬を(つね)りあげ、牽制した。

「ひょ、ひょーちゃん!いら、いらいっへ!」

「余計な記憶を掘り起こすなって言ってんだろ、捨てろ今すぐ……!」

「んなむひゃな、おへにほっへは、はいへんひひょうな、い"ぃ"いひゃいいひゃい!!」

 無茶なものか、何が大変貴重だ。

 こちらとしては、幼少期特有の純心さが無ければ、前言撤回したいくらいの過去だというのに。呑気なものだ。

 目に薄ら涙を浮かべながら、懇願する浠を見て、少しばかりせいせいした俺は、力を込めていた指を離した。

 赤くなった頬を、情けない声を上げて(さす)る浠の姿は、風格の割に幼稚に映る。

 しかし、話をすり違えられた所で、胸のしこりは消えない。

 どうでもいいようなフリをして、学校生活を平凡で繕いながら暮らしてきたけれども、端の見えない世界を縫合し続けるのは、(いささ)か苦痛であった。

 繋ぎ合わせられる物があれば、終着点で結び目を作ることができれば、この異物感も簡単に取りされるだろうに。

でも。

コイツはあまり、事件のことを気に留めていなかったと思うと、少しだけ、

心に穴が空いたような気分がした。

「きょーちゃんは、その事件の事ずっと気にしてるの?」

「ずっとって程じゃないが、時折な。生きてるのか死んでるのかも分からねえんじゃ、俺にとっても複雑なんだよ」

「いじめてきた奴らなのに?」

「それとこれとは別だ」

 浠は俺の言い分を聞いても尚、腑に落ちていないのか、小首を傾げる。

「別?」

 誰しも、自身に嫌悪を差し向ける人間に対して寛容になれるとは限らないだろう。
 これは決して、自分が心の広い人間だと(おご)りたいわけではない。

 純粋に、数年経った今でも、事件が起きた現実を受け止めきれない精神が、口を借りて、聞こえの良い言葉を語っているだけである。

「自分に屈辱的なことをした奴らのこと、憎んでないの?きょーちゃんが嫌な思いをしたことなんて忘れて、ヘラヘラ笑って幸せに生きるかもしれないんだよ」

「憎んではいる。許してやるつもりも最初(ハナ)からねぇよ。……けど」

 裏で糸を引く存在が居るという、確証のない過信が、厄介な同情を誘っている。

 惨たらしい結末を与えろなどとは、神に願ってなどいなかったから。

「俺は別に、アイツらに幸せになって欲しいとも、不幸になって欲しいとも思ってはいないから」

「勝手に生きて、俺の知らない所で、俺の見えない所で、普通に生涯を終えてりゃァ、なんだっていいんだよ。どうでも」

 浠は不服そうに眉をひそめながら、声をあげる。
 期待通りの反応だった。

 奴らの行動は、言ってしまえば、加減を知らない子供の邪心。

 俺も、俺を虐げていた五人も、他者と共生している世界知らなかっただけだ。

 それは幼さ故の愚かさであり、残酷さでもある。

 与えられた環境を只々(ただただ)受容して泳ぐ金魚のような俺は、その無関心さから、絶望せずに済んだのだ。それは今も変わらない。

 隣にあの時被害を受けた俺以上に、堪忍袋の緒が切れていた唯一無二の幼馴染がいる。

 それだけで、充分だと思えた。

 だから、自分に狼藉を働いたという事実は、とうの昔に薄れたのである。圧倒的他者として、線引きをした結果だ。

「それに、アイツらのせいで、今の俺が何か支障を抱えて生きてるわけじゃねえしな。気を病んじまったとか、後遺症がどうとかってなっちまったら、感化してもやれねえけど」

「俺はいいんだよ。もう気にしてねえからさ」

 浠はそれを聞いて、「ふーん」と小さく鼻を鳴らした。

 世の中には、取り返しのつかない結末になってしまう世界線だってある。

 そのようなわけで、不幸を願う者や、憎悪から呪いに走る者を、一概に罰することは出来ないのだ。

 俺は、その審判でも光と闇の選択者でもない。

「きょーちゃん……」

 浠は名前を小さくぼやいて、描き途中の油彩画のように曖昧な表情のまま、暫し額縁に収まった。

「きょーちゃんは、やっぱり優しいね」

「あ?ンなことねえと思うけど」

 浠から放たれた言葉が、自尊心を僅かに擽ったけれど、これを直ぐさま否定する。

 コイツが突拍子もなく言わない限り、褒めれる経験などは滅多に、否、皆無に等しい。

 だからか、条件反射で突っぱねてしまうのだ。

 俺が無愛想に受け流すと、浠は「優しいよ。ちょっと笑っちゃうくらい」と肩を竦めて苦笑する。

「褒めてんのか貶してんのか、どっちだそれ」

「強いて言うなら、オレが妬けちゃう所がマイナスポイント」

「勝手に減点すんな」

 やけに(こな)れた掛け合いも、昔から何一つ変わらない。初めて会った時から、俺達はこんな会話ばかりしていた。

 身体だけが大きくなって、心の中にある時はまるで止まっているような、そんな感覚がする。

 けれども、その安心感に依存してしまう。

 コイツもコイツだが、俺も俺だ。

「……なんか話してたら思い出した。ね、きょーちゃん。着いてきて欲しい所があるんだけど」

 不意に浠が俺の手を引いて、そう言った。
 俺は何処へ行くかの目星も立たないまま、為すがままに足を動かす。

 本殿の裏手へ進めば、人の手も行き届かぬ、鬱蒼と生い茂った木々や草花が咲き乱れており、前進する度に肌を所々掠めていった。

 名の通り、岬に位置するこの神社は、剥き出しの荒い岩肌と、打ち付ける波の音が轟く、断崖絶壁に囲まれている。

 大蛇が腹這いに切り開いたが如く獣道が、其処彼処(そこかしこ)に在り、方位磁石がなければ、きっと迷うに違い無い。

 それでも浠は、一切の躊躇いもなしに前進する。先導者でもいるのだろうか、と錯覚するほどに。

 そうして数多(あまた)にも別れる道を歩き続けると、少々拓けた岩場に出る。

 そこで浠の足も止まった。

「なんだよ、ここに来たかったのか?」

 眼前には、ぽつんと佇む苔の生えた石鳥居と、小さな社がある。

 潮の匂いが一帯に薫り、疾風が吹き過ぎる、この場所は、俺たちにとっての特別であった。

「うん。オレは本殿よりもこっちの方が落ち着くからさ。久しぶりにきょーちゃんとって」

「……まあ、俺もこっちの方が好きだけど」

「オレと一緒のこと感じてたんだ。それすっげー嬉しい」

浠はそう言って、自前の犬歯を見せて、にかりと笑った。
それに釣られて、俺の口元も綻ぶ。

 かつてここには、旧本殿があったとされている。

 近くで駄菓子屋を経営する老夫婦の話からすれば、彼らが子供の時は、この大海原を背に構えた優美な社が建っていたらしい。

 けれども、歳月が流れるに連れ、海が岬の岩々を侵食し、崩落の危険性が高まったそうだ。

 それ故に、移動を余儀なくされ、本殿は山中へ建て直された。

 この目の前にある祠は、当時の名残を忘れない為、祀る神を人間が慮り、末社を残したのだと言う。

 しかしながら、今やここは遺跡で、管理する人間も老齢化に伴って、そう何度も来れはしない。

 いずれは、この大自然と共に風化してしまうだろう。

「……懐かしいな」

「でしょ〜?ここ数年はずっと向こうの本殿に行ってたからさ。忘れちゃってた?」

「いや、流石にここは忘れねえよ。お前と初めてあった場所だし、よく遊んでたからな」

 小学生の頃、俺達はこの旧本殿を遊ぶ時の根城にしていた。

 思えば、忘れ去られてしまいそうな孤独さを子供心ながらに感じたからかもしれない。

 俺と浠の特別を失わないためにも。

 こうして考えると、小学生時代の思い出があまりに多すぎる気もする。

 それなりに、楽しんでいたという証でもあるが。

「ね、きょーちゃん。じゃあこれは覚えてる?」