思考の劇薬 〜 大人の絵本  『イデアの海をゆく宝船 〜ビジネスパーソンの価値探求と道徳航海録〜』 桜井ジン

みんな、同じ夢を見る
 
クジラは、夜明けになっても船べりを離れなかった。
びしゃんは、それを見て何も言わなかった。
ただ、毛布を一枚、船べりにかけておいた。
その朝、宝船に一通の封とうがとどいた。
差出人は、「神さま商会」。
金色の判が、ペタリと押されている。
中には、一まいの紙。
白くて、まっすぐで、折り目ひとつない。
ほていが、そっと読み上げた。
「――第六条。平和をまもるため、神さまたちは、そろった姿勢・そろった呼吸・そろった夢をともにすること」
紙の下に、小さな字。
「乱れは、不安を生む。差は、あらそいを生む。ゆえに、そろえよ」
星砂が、ヒラヒラと紙のはしをゆらす。
ほていは、ニコニコとうなずいた。
「なるほど。とても親切なおきてなのです」
ふところから、笛を取り出す。
ピィーッ。
宝船のまんなかで、おなかをポンとたたいた。
「さあ、みなさん。平和のために、今日から同じポーズで過ごしましょう」
笛が、もう一度。
ピィーッ。
神さまたちは、一列に並んだ。
甲板の上、足をそろえる。
星砂がヒラヒラ舞う中、
同じ右足を上げ、同じ左手をのばす。
「こうすれば、だれもまよいません。だれもぶつかりません。とても平和なのです」
ほていは、物さしでかくどをピシッと測りはじめた。
びしゃんのよろいが、ガチャリと鳴る。
えびやんのうでが、プルプルふるえる。
「ねえ、これ、いつまで続けるの?」
答えずに、笛。
ピィーッ。
おじいだけが、列のはしで、ひざをトントンとたたいている。
だいちゃんは、小さな帳面をひらいた。
「足は三十度。うでは四十五度。呼吸は三秒で吸って、三秒で吐く」
べにたんは、同じかくどでびわをかまえた。
「これ、音楽というより体そうね」
ロクさんの長いあたまも、決められたかくどにそろう。
あたまの先に、水平器がのせられた。
「かたむき注意です」
ほていは、ニコニコしながら紙をはった。
クジラも並ばされた。
尾びれのかくどまで、ピシッ。
「キュゥ……」
「鳴くときは、二拍子で」
小さな表がくばられる。
夜になった。
七人と一匹は、同じかくどでふとんに入る。
ふとんのはしも、ピシッとそろう。
「おやすみなさい。平和な夢を」
笛。
ピィーッ。
同時に目を閉じた。
夜中。
甲板に、カチ、カチ、と足音。
ほていが、ちょうちんを手に見回っている。
だれかの足が、すこしずれていた。
そっと直す。
「ちょっとだけ、そろっていませんでしたよ」
声は、やさしい。
ちょうちんの火が、ゆれた。
ほていは、それを見て、小さく、
「まあまあ、……」
とつぶやいた。
朝。
みんな、同じ夢を見た。
同じ朝日。
同じ雲。
同じ、ふにゃりとした波。
えびやんが、あくびをする。
かくどは、きちんと守られている。
「……なんか、息がつまるな」
びしゃんは、やりを持つ手がしびれた。
それでも、かくどを変えない。
「……なんか、ちがうな」
おじいが、そっと列から一歩外れた。
ひざをトントン。
すぐに、ほていが来る。
「列から出ると、まよいますよ」
おじいは、にこり。
「まようのも、平和かもしれぬよ」
ほていは、すこしだけこまった顔。
それでも、笛。
ピィーッ。
おじいは、列にもどった。
午後。
風がふいた。
星砂がヒラヒラと舞う。
けれど、だれも見ない。
見る向きが、決まっていなかったからだ。
クジラだけが、こっそり尾びれをパタリと動かした。
決まりから、ほんの少しだけ外れている。
だれも気づかない。
宝船は、まっすぐ進む。
曲がらない。
止まらない。
まよわない。
でも、どこへ行くのか、だれも知らない。
甲板の上。
七人と一匹は、同じポーズでユラユラゆれていた。
やわらかな光のながれ。
そして、すこしだけ、かたい光のながれ。
星砂の海に、同じ足あとがヒラヒラと続く。
その夜。
決まりから外れた尾びれが、そっと水面をパタリとたたいた。
ヒラヒラ。
霧の向こうへ、かげがひとつ、ゆらりとほどける。
だれも気づかない。
けれど、海のおくで、もうひとつの鼓動が重なった。
星砂は、なにもなかったように、ヒラヒラと舞い続ける。
そのとき。
どこからか、一まいの紙がふわりと舞い上がった。
折り目ひとつない、白い紙。
「平和のおきて」と、かすれた文字。
風が、ぺらりとめくる。
「そろった姿勢――」
そこまで読めた。
つぎのしゅんかん、紙はくるりと裏返り、
星砂の中へ吸いこまれていった。
だれも追いかけない。
笛の音も、鳴らない。
ただ、尾びれがもう一度、パタリと水を打つ。
ヒラヒラ。
紙は、砂と同じ速さで遠くへ流れていった。
宝船の上には、まだ同じポーズが並んでいる。
けれど。
どこかで、ほんのわずかに、水平器の泡が、ゆらりと動いた。
星砂は、なにも言わない。
ただ、ヒラヒラと舞い続けていた。