しずけさのなか
宝船の上は、ひどく静かだった。
空は燃えるようなオレンジ色で、星砂がキラキラと光りながら降っている。
おじいは、見張り台で分厚い辞書をひざに乗せていた。
「ねえ、幸せって、結局なんなの?」
えびやんが、ふにゃりと笑ってかいだんを登ってきた。
おじいは、辞書をめくって「し」のページを探した。
でも、指先で文字をなぞろうとすると、星砂がサラサラと文字を隠してしまう。
だいちゃんも、こづちを置いて横に座った。
「正義とか、義務とか。言葉にすると、なんだかニセモノみたいだ」
べにたんが、びわの弦をポロンと一回だけ鳴らした。
辞書のページが風に煽られて、バタバタと空へ飛んでいった。
おじいは、飛んでいく言葉を追わず、唇に指を当てた。
「……しーっ」
星砂の海に、本当の静寂がドロリと沈んでいった。
びしゃんは、やりを甲板に立てかけた。
やりの影が、長く伸びる。
ほていは、マストにもたれて、おなかをさすっていた。
グゥ、と小さな音がしたが、すぐに風に消えた。
ロクさんは、帳面に何か書こうとして、えんぴつの芯をポキリと折ってしまった。
だれも、新しいえんぴつを探さなかった。
ネズミが、かいだんのすみに座っていた。
だんごのかけらを、前足でくるくる回している。
だいちゃんは、それを見ていた。
何も言わない。
えびやんは、空を見上げた。
オレンジ色の雲が、ゆっくり流れていた。
「ねえ、おじい。幸せって、音がする?」
おじいは、耳をすませた。
星砂の落ちる音。
木材のきしむ音。
遠くの風の音。
「……しない」
そう言って、目を閉じた。
べにたんは、びわをひざに乗せたまま、弦に触れなかった。
音を出さない音楽が、そこにあった。
びしゃんは、甲板に座り、くつひもをほどいて、また結んだ。
トン。
トン。
規則正しい音だった。
おじいは、辞書の背表紙をなでた。
指先が、古い革のひび割れをなぞる。
おじいは、辞書をそっと閉じた。
えびやんが、首をかしげた。
「じゃあ、なにが長生きするの?」
おじいは、甲板に落ちた星砂を一粒つまんだ。
光の中で、キラリと光った。
「……しずけさ」
だいちゃんは、こづちを持ち上げた。
でも、振らなかった。
ただ、ひざの上に置いた。
「動かないと、船は止まる」
おじいは、うなずいた。
えびやんは、ふにゃりと笑った。
「じゃあ、止まるのも、幸せ?」
おじいは、答えなかった。
ただ、また「しーっ」と言った。
その時、風が止まった。
星砂は、落ちる速さを忘れたように、長いあいだ空にいた。
まるで、時間も止まったみたいだった。
ネズミが、だんごを落とした。
コトン、と甲板に小さな音がした。
その音だけが、世界にあった。
ほていは、その音を聞いて、目を閉じた。
べにたんは、弦に触れずに指を動かした。
びしゃんは、やりの影を見つめた。
ロクさんは、折れたえんぴつを見つめた。
だれも、何も言わない。
おじいは、ゆっくり立ち上がった。
見張り台から、一歩降りた。
かいだんを、トン、トン、と降りた。
神さまたちは、その音を聞いた。
おじいは、甲板の真ん中に座った。
甲板を、指でトントンたたいた。
えびやんが、しゃがんだ。
「なにが?」
おじいは、もう一度だけ、甲板をトントンたたいた。
木の感触。
船の重さ。
風の匂い。
「ここ」
だいちゃんは、目を閉じた。
こづちの重さを、ひざで感じた。
びしゃんは、やりを握り直した。
べにたんは、びわの木目をなでた。
ほていは、自分のおなかのあたたかさを感じた。
ネズミは、だんごをかじった。
星砂が、また落ち始めた。
キラキラと、光りながら。
おじいは、最後に小さく言った。
「……道だ」
えびやんは、ふにゃりと笑った。
「じゃあ、歩こうか」
神さまたちは、何も言わずに立ち上がった。
かいだんのほうを見た。
星砂の向こうに、かすかに頂上が見えた。
トン。
トン。
びしゃんの足音が、また始まった。
だれも、拍手しなかった。
だれも、歌わなかった。
ただ、宝船は、静かなまま、少しだけ前に進んだ。
宝船の上は、ひどく静かだった。
空は燃えるようなオレンジ色で、星砂がキラキラと光りながら降っている。
おじいは、見張り台で分厚い辞書をひざに乗せていた。
「ねえ、幸せって、結局なんなの?」
えびやんが、ふにゃりと笑ってかいだんを登ってきた。
おじいは、辞書をめくって「し」のページを探した。
でも、指先で文字をなぞろうとすると、星砂がサラサラと文字を隠してしまう。
だいちゃんも、こづちを置いて横に座った。
「正義とか、義務とか。言葉にすると、なんだかニセモノみたいだ」
べにたんが、びわの弦をポロンと一回だけ鳴らした。
辞書のページが風に煽られて、バタバタと空へ飛んでいった。
おじいは、飛んでいく言葉を追わず、唇に指を当てた。
「……しーっ」
星砂の海に、本当の静寂がドロリと沈んでいった。
びしゃんは、やりを甲板に立てかけた。
やりの影が、長く伸びる。
ほていは、マストにもたれて、おなかをさすっていた。
グゥ、と小さな音がしたが、すぐに風に消えた。
ロクさんは、帳面に何か書こうとして、えんぴつの芯をポキリと折ってしまった。
だれも、新しいえんぴつを探さなかった。
ネズミが、かいだんのすみに座っていた。
だんごのかけらを、前足でくるくる回している。
だいちゃんは、それを見ていた。
何も言わない。
えびやんは、空を見上げた。
オレンジ色の雲が、ゆっくり流れていた。
「ねえ、おじい。幸せって、音がする?」
おじいは、耳をすませた。
星砂の落ちる音。
木材のきしむ音。
遠くの風の音。
「……しない」
そう言って、目を閉じた。
べにたんは、びわをひざに乗せたまま、弦に触れなかった。
音を出さない音楽が、そこにあった。
びしゃんは、甲板に座り、くつひもをほどいて、また結んだ。
トン。
トン。
規則正しい音だった。
おじいは、辞書の背表紙をなでた。
指先が、古い革のひび割れをなぞる。
おじいは、辞書をそっと閉じた。
えびやんが、首をかしげた。
「じゃあ、なにが長生きするの?」
おじいは、甲板に落ちた星砂を一粒つまんだ。
光の中で、キラリと光った。
「……しずけさ」
だいちゃんは、こづちを持ち上げた。
でも、振らなかった。
ただ、ひざの上に置いた。
「動かないと、船は止まる」
おじいは、うなずいた。
えびやんは、ふにゃりと笑った。
「じゃあ、止まるのも、幸せ?」
おじいは、答えなかった。
ただ、また「しーっ」と言った。
その時、風が止まった。
星砂は、落ちる速さを忘れたように、長いあいだ空にいた。
まるで、時間も止まったみたいだった。
ネズミが、だんごを落とした。
コトン、と甲板に小さな音がした。
その音だけが、世界にあった。
ほていは、その音を聞いて、目を閉じた。
べにたんは、弦に触れずに指を動かした。
びしゃんは、やりの影を見つめた。
ロクさんは、折れたえんぴつを見つめた。
だれも、何も言わない。
おじいは、ゆっくり立ち上がった。
見張り台から、一歩降りた。
かいだんを、トン、トン、と降りた。
神さまたちは、その音を聞いた。
おじいは、甲板の真ん中に座った。
甲板を、指でトントンたたいた。
えびやんが、しゃがんだ。
「なにが?」
おじいは、もう一度だけ、甲板をトントンたたいた。
木の感触。
船の重さ。
風の匂い。
「ここ」
だいちゃんは、目を閉じた。
こづちの重さを、ひざで感じた。
びしゃんは、やりを握り直した。
べにたんは、びわの木目をなでた。
ほていは、自分のおなかのあたたかさを感じた。
ネズミは、だんごをかじった。
星砂が、また落ち始めた。
キラキラと、光りながら。
おじいは、最後に小さく言った。
「……道だ」
えびやんは、ふにゃりと笑った。
「じゃあ、歩こうか」
神さまたちは、何も言わずに立ち上がった。
かいだんのほうを見た。
星砂の向こうに、かすかに頂上が見えた。
トン。
トン。
びしゃんの足音が、また始まった。
だれも、拍手しなかった。
だれも、歌わなかった。
ただ、宝船は、静かなまま、少しだけ前に進んだ。


