思考の劇薬 〜 大人の絵本  『イデアの海をゆく宝船 〜ビジネスパーソンの価値探求と道徳航海録〜』 桜井ジン

ちいさなおなか
 
宝船のまんなかにある長いかいだんを、神さまたちは一歩ずつのぼっていた。
星砂がヒラヒラとまい、上のほうは、まだよく見えない。
「ねえ、まだ着かないの?」
ほていは、大きなおなかをゆらして、ゼーゼーと肩を上下させた。
びしゃんは、いちばん前で、重たいやりをつえにして、トントンとリズムをきざむ。
「だまってのぼれ。ここは修行の坂なんだよ」
そのとき、足もとを小さなネズミがチョロリと横切った。
ネズミは、だいちゃんが落とした大切なおそなえの、だんごを、一生けんめいにはこんでいる。
だいちゃんは、すすけたこづちをふり上げて止まった。
「こら、それはわしの……」
えびやんが、こづちをそっとおさえる。
「ねえ、どうする? おこる? ゆるす? それとも、いっしょに食べる?」
神さまたちは、長い坂のとちゅうで、ピタリと足を止めた。
足もとの星砂が、ユラユラと、まようようにゆれていた。
ネズミは、だんごを引きずって、コトコトと進む。
白い粉が、ポロポロ落ちた。
だいちゃんのまゆが、ギュッとよる。
こづちのかどで、かいだんをトン、とたたいた。
「きまりは、きまりだ。おそなえは、勝手にもっていってはならん」
ほていは、ひざに手をつき、ハァハァと息をした。
「まあまあ、ちいさい口だし、ちょっとくらい……」
びしゃんは、やりのさきで、ネズミの行く手をそっとさえぎる。
ネズミは、ピタリと止まった。
「おまえ、はらへってるのか」
ネズミのひげが、プルプルとゆれる。
べにたんは、びわをせなかからおろす。
ジャラン、と一音ならした。
「だれのだんごかで、こんなに空気がギシギシするの?」
ロクさんは、長い頭をポリポリかく。
「いつか、だんごも、わしらも、なくなるんじゃよ」
星砂が、ふわりと上にのぼった。
坂の上は、まだ見えない。
だいちゃんは、しゃがんだ。
ネズミと目を合わせた。
こづちは、まだ上がったままだ。
「もし、ここで見のがせば、つぎも、またもっていく」
トン、とこづちが空を切った。
でも、ふり下ろさなかった。
えびやんは、かいだんにこしをおろした。
「ねえ、だいちゃん。きまりって、だれのため?」
だいちゃんはこたえない。
ただ、だんごの粉を、指ですこしこすった。
ほていは、ポン、とおなかをたたく。
「はらがグゥってなると、きまりもグラグラするのです」
そのとき、ネズミが、だんごを落とした。
ころり、ところがって、かいだんのまんなかで止まった。
だんごは、少しつぶれていた。
びしゃんが、しゃがんだ。
やりをわきに置く。
「おれはな、なき声を聞くと、足が勝手に動く」
ネズミは、チョロ、とあとずさった。
べにたんが、ぽろん、とやわらかい音をならす。
音は、星砂の中をスルスルと進んだ。
おじいは、ずっとだまっていた。
坂の上を見上げて、それから、だんごを見た。
ゆっくり、ひとつ、うなずいた。
「……はんぶん」
それだけだった。
だいちゃんは、目をとじた。
こづちを、ゆっくり下ろした。
だんごを、パキ、とふたつにわった。
ひとつを、ネズミの前に置き、もうひとつを自分の手にのせた。
「きまりは、まもる。だが、はらも、まもる」
えびやんは、だまって立っていた。
鬼の面が、わずかに星砂をはじく。
面の内がわが、あたたかい。
えびやんは、ひとつ息をついた。
カチリ。
面は、ひざの上に落ちた。
笑いは、まだ戻らない。
ネズミは、そっと近づいた。
クンクン。
それから、かじった。
ほていが、にっこりした。
「まあまあ、まるくおさまったのです」
べにたんが、トントンと軽くリズムをきざむ。
びしゃんも、やりのえで、コツンと合わせた。
トン。
ポロン。
コツン。
坂の上から、光がキラリと落ちた。
えびやんは立ち上がった。
ふにゃりと笑った。
「ねえ、だいちゃん。きまりって、かたち、変わるね」
だいちゃんは、半分のだんごを口に入れた。
ゆっくり、もぐもぐした。
「順序は、のぼるものだ」
星砂が、すこしだけうすくなる。
坂の上が、ぼんやりと見えた。
神さまたちは、また一歩、のぼった。
ネズミは、もう半分をくわえて、チョロリと坂を下りていった。
トン。
トン。
トン。
びしゃんのやりが、リズムをきざむ。
おじいは最後尾で、しずかに坂を見上げた。
「……まだ、つづく」
星砂は、ヒラヒラと舞いながら、坂の上へゆっくり流れていった。
宝船は、とまっていなかった。
ほんの一段ぶんだけ、ちゃんと、のぼっていたのだった。