気温は少しずつ上がり、蒸し暑い日が増えるようになった五月三十日。
この日はちょうど、五年前に私が京の路地で目を覚ました日だ。
あれからもう五年も経っているのだと思うと、こんなに濃い五年間は二度と味わえないだろうという気がしていた。
沖田さんは相変わらず庭で木刀を振っており、みつさんに注意されても辞めはしなかった。
今日もいつもみたいに洗濯物を干そうと、桶を持って歩いていると、庭の方で木刀の落ちる音がした。
嫌な予感がした私は桶を持ったまま庭の方へ走った。
すると、さっきまで問題なさそうに素振りをしていた沖田さんが倒れており、その近くには木刀が転がっていた。
「沖田さん!!!」
ゆっくり桶を置く暇なんかなく、私は足袋のまま庭へ駆け出し、沖田さんを抱き起した。
沖田さんの口からは血が垂れており、呼吸もすごく浅く、顔も真っ青だった。
顔を上げてみつさんを呼ぼうとすると、それを断るかのように沖田さんが弱く首を振った。
「そんな顔……しないでください。まだ、生きてますから……」
沖田さんの病気が分かってから何度も喀血は見てきたし、苦しそうに咳込む姿も見てきた。
なのに、今に限って何かが終わるような感じがして、すごく怖くなる。
零れ落ちそうな涙を堪えるために唇を嚙んでいると、沖田さんが微笑みながら私の頬に手を伸ばしてきた。
縋るようにその手に触れると、沖田さんは静かに口を開いた。
「五年前……、京で出会った日のこと、覚えていますか?」
声を出すと泣いてしまいそうな私は、ゆっくりと頷く。
「最初はほんの、興味というか好奇心からでした……。ですが、いつからか、貴女を目で追うようになっていた」
掠れてはいるけど、ずっとそばで聞いてきた穏やかな声で、沖田さんは続けた。
「貴女が笑うと嬉しくて……貴女が傷つくと、自分でも驚く程に腹が立って……」
私も同じだった。沖田さんが笑っていると嬉しくて、沖田さんがだんだらを着て出ていく度に胸が張り裂けそうなくらい苦しかった。
何度も言ってはいけないと、心に言い聞かして押さえ込んできた。離れたくなくなってしまうから。
でも、沖田さんの優しさに触れるたび、手を重ねたり抱きしめられたりするたびに、想いはどんどん膨らんで大きくなっていた。
「だから……その簪を贈ったんです。私がいなくなる時が来ても、ずっとそばに居られるように……って」
沖田さんは私の頬に伸ばしていた手を、後ろの簪へと伸ばした。
触れやすいように少し顔を前にしたことで、堪えていた涙が少しずつ沖田さんの頬へと落ちていく。
「こんなことになるなら……、早く言っておけばよかった」
「え……?」
独り言のように漏れた小さな声を聞き返すように、震える声で反応する。
簪を触っていた手は前へと戻ってきて、私の頬を優しく撫でる。
「澪、私は貴女のことが……愛おしくて仕方がないのです」
「………っ、」
その瞬間、ずっと張っていた一本の糸がちぎれるように、私の涙は一気に溢れ出した。
沖田さんがそんなことを思っているなんて、一ミリも気づかなかった。まさか……同じ思いだったなんて。
私は涙を流しながら精一杯の笑顔を作った。
「……私もです。私も……貴方のことが大好きです」
初めて名前を呼んだからか、総司さんは目を見開いて驚いていた。
けれど、すぐに私の大好きな微笑を浮かべた。
「もし、来世というものが本当にあるのなら………貴女と、結ばれたい」
静かに話し続ける総司さんの声に反応できず、ただひたすら泣くことしかできなかった。
泣き続ける私を見た総司さんは、親指で私の涙を優しく拭い、困ったように笑った。
「本当は来世ではなく、今世でそうしたかったのですが……」
「神様は意地悪ですね」と総司さんは続けた。
総司さんの言う通り、叶う叶わないとか立場とか余計なことを考えずに想いを伝えていればよかった。
自分のことばかり考えて……。でも、想いを伝えたことに後悔はない。
大好きな人に好きと伝えることは、こんなにも幸せなことなんだと初めて知れた。
「まだ……話足りないですが、そろそろ時間のようです」
私だって全然話足りないのに、出そうと思っても喉の奥で引っかかって声が出てこない。
総司さんの手を強く握り、首を横に振り続ける。
「ねぇ、澪。来世で会えたとして、名前や姿が変わっていたとしても……沖田総司としての記憶を持っていたら、また……僕を愛してくれる……?」
総司さんの目からは一粒の綺麗な涙が零れ落ちる。
総司さんの泣く顔もそうだけど、こんなに震える声は初めて聞いたかもしれない。
「……当たり前じゃないですか。たとえ、私たちが私たちじゃなくなる時が来ても、私は総司さんを選び続けます……」
やっとの思いで出た声は、今にも消えていきそうなくらい震えていた。
「……総司さん。その来世で、待ってるね」
私は再び、精一杯の笑顔を作って総司さんに向ける。
まるでその言葉を待っていたかのように、沖田さんは幸せそうに微笑みながら静かに眠りについた。
結局、最後の最後までタイムスリップのことは明かせなかったけれど、想いを伝えられたからそれ以外は何もいらない。
どうか、総司さんや新撰組の方たちが安心して笑って休めていますように。
慶応四年、五月三十日。
私が京で目覚めた五年前のこの日に、沖田総司は静かに永遠の眠りについた。
この逝去は後に、歴史に刻まれることになる。
私に物語をくれた人は、静かにその生涯を終えた。
総司さんが亡くなったと同時に、私の視界に霧がかかり始め、総司さんを抱えた状態で私は意識を手放した。
