平助君は膝から崩れ落ち、そのまま倒れてしまう。
「平助君ッ……」
いてもたってもいられなくなった私は駆け寄って、平助君の体を抱き起こす。
傷はかなり深く、口から血が垂れている。
着物の裾や羽織が汚れるのなんて、もはや気にしなかった。
目の前で人が斬られるのを初めて目にした私は、頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなっていた。
「名前……やっと呼んだな」
今まで聞いてきていた明るい声とは打って変わって、平助君から出る声はすごく弱々しかった。
ずっと名前で呼んで欲しいと言われていて、今になって初めて名前を呼んだ。
名前だけでこんなに嬉しそうに微笑むなら、立場とか関係なしでもっと呼んであげればよかった。
平助君の顔に、次々と涙がこぼれ落ちていく。
平助君が伸ばしてきた手は私の頬に触れ、それに縋るように優しくかつしっかりと手を重ねる。
「澪、聞いてもいい……?」
「……はい」
「総司のこと……好きだろ」
思いもよらない言葉に固まると、平助君は小さく笑った。
池田屋事件の日に自覚して以来、自分の気持ちを押さえ込んでいたつもりだったのに、平助君はいつから気づいていたのだろう。
というか、平助君が気づいているなら他の人も気づいているのではないかと一瞬過ぎったが、今はそんなことはどうでもよかった。
「はい。私は……沖田さんが、好きです」
伝えたいのはもっと他あるのに、涙で平助君の顔がよく見えない。
ゆっくりでいいと言ってくれた平助君の声に答えるように、震えながらも小さく深呼吸をする。
「私にとって……平助君は、太陽でお兄ちゃんみたいな人だったの。明るくて、優しくて、強くて、頼りになって。平助君から大切なことを学べたのに……私、何もお礼……できなくて」
遠くで金属同士がぶつかる音が聞こえるが、私たちの周りだけはすごく静かな空気が流れていた。
その静けさを途切れさすかのように、平助君は小さく声を漏らして笑った。
「なんだよ、それ。兄貴扱いかよ……」
不満を垂らしながらも、その顔は八木邸でずっと見てきた平助君らしい笑顔だった。
「そりゃあ、総司に勝てねぇわけだわ……」
掠れた声で笑いながら「総司なら安心だけどな」と続けた平助君は、それからしばらく夜空を見上げたまま何も言わなかった。
何を勝負していたのかは分からないけれど、ずっと見たかった笑顔を見た瞬間、ずっと空いていた穴が埋まるような感じがした。
土方さんは平助君は助けると言っていたけれど、幹部以外の隊士にはそれを知らせていなかったようだ。
でなければ、新撰組の隊士が音もなく忍び寄るはずがない。
血はずっと流れ続けていて、もう気力もほとんどないはずなのに、平助君はずっと夜空を見続けている。
そして、静かに口を開く。
「澪、兄貴分として最後のお願いだ」
最後という言葉に、胸が強く締め付けられる。
お願いだから最後だなんて言わないで。そう声に出したいのに、泣き続ける私の口は震えて言えず、代わりに重ねている手を強く握る。
「笑え。笑って、幸せになれ……澪」
「待って……。ダメだよ、待ってよ……」
ずっと話しかけてくれる度に浮かべていた笑顔のまま、平助君の目は静かに閉じていき、私の手と頬の間から平助君の手がゆっくりと滑り落ちた。
「平助君……?平助君ッ……!!」
滑り落ちた手を再び握り、返ってくることのない声を期待しながら、何度も平助君の名前を呼び続けた。
「まだ、ありがとうも言えてないよ………」
慶応三年十一月十八日。
この日は新撰組最後の内部抗争が起き、伊東甲子太郎、藤堂平助含む数名の隊士が命を落とした。
これが後に、油小路事件として歴史に残る日となった。
