山南さんの逝去から数週間後。
寒い冬の空気は、少しずつ春の暖かな空気へと変わり始めていた。
元治二年三月十日、新撰組は屯所を西本願寺へと移すことになった。
私もついていくことになり、隊士よりも早くに起床し、お雅さんとご主人に挨拶をして壬生寺と光縁寺に訪れていた。
壬生寺は奥沢栄助さんが眠っており、光縁寺には山南さんが眠っている。
奥沢さんとは挨拶を交わした程度で、会話という会話はなかった。
一方で山南さんは話したことがあり、私にとって叔父のような存在だった。
山南さんの介錯は山南さんの希望で沖田さんが勤め、私は初めて人の首が斬り落とされる音を聞いた。
その時は呼吸も上手くできず、ひどい吐き気に襲われたのを覚えている。
"局ヲ脱スルヲ不許(局を脱するを許さず)"
それは局中法度の中の一節であり、一番最後には右条々相背候者切腹申付ベク候也(右条々に相背く者、切腹申し付くべく候也)と壁に掛けられていた局中法度の書付を目にしたことがある。
最初は意味が分からなかったけど、局ヲ脱スルヲ不許だけはすぐに意味が分かった。
なんて厳しいルールなのだろうとさえ思ったことだ。
山南さんの死を目の前にしたとき、土方さんの胸を泣きながら叩いた。
どうしてこんなルールを作ったのか、助ける方法はなかったのかという意味を込めて何回も叩いたが、土方さんは抵抗することなく、私の拳をただただ受け入れていた。
『澪さんは本当に愛されていますね』
山南さんが護衛についてくれていた時に、掛けてくれた言葉。
その言葉が最後になるなんて予想もしていなかった。
芹沢さんの時と同様に、私は大切な人に何のお礼も言えないまま、別れが来てしまった。
この先、何度もこういうことがあるだろう。
その度に泣くだろうし、誰かの死を見てしまう度に心がすり減っていくかもしれない。
けれど、優しくて不器用でかっこいい彼らの生き様をちゃんとこの目に焼き付けると心に決めたのだ。
