クリスマス。ほとんどの学校はもう冬休みだけれど、私の高校は文化祭前日。午前中だけ学校に集まり文化祭準備を終え、私は駅前へやってきた。ここで待っているって、日向くんが言っていたけど……。スマホ片手にきょろきょろと辺りを見渡すと、ふと見慣れた制服の紺色が目に入った。いつもより固く見える表情の、整った横顔。
「くるみ先輩」
駅前のベンチに座っていた日向くんが、こちらを見て立ち上がった。
「寒いのに付き合ってくれて、ありがとうございます」
ふるふると首を横に振る。
待たせたのは私の方だ。日向くんは学校から一緒に行こうと言ってくれたけれど、クラスの方の準備がもう少しかかりそうだったし、それに学校からふたりで出ていったら確実に噂になるから先に行かせたんだけど……やっぱり学校で待っていてもらったほうが良かったかも。
「もうお昼ですし、ご飯食べましょうか。先輩は何か食べたいものありますか?」
『日向くんは?』
「僕は先輩に合わせますよ。なんでも好きです」
『それじゃあ遠慮なく。パスタと、甘いもの食べたい』
「はい、わかりました」
なぜだか微笑ましげに笑って、日向くんは私に手を差し伸べた。
「今日だけ、僕の恋人になってくれますか」
どこか不安げに告げた彼の、意外と大きくしなやかな手を見つめる。「今日だけ」なんて寂しいこと言わないで。本当はそう言いたいけど、彼がこんなにも怯えているのにはきっとそれなりの理由があって。だからきっと今の私が「大丈夫」なんて言ったところで彼の不安は消えない。
それなら――。
「……」
私は黙って彼の手を取った。
「ありがとうございます」
きゅっと縋るように、けれど振りほどこうと思えばいつでもできるくらいの力で手を繋がれる。私は――絶対に離れないと示すかのように、強く手を握った。
彼がどうしても不安がるなら、私が言葉だけじゃなくて、事実として「大丈夫」だと示せばいい。たとえどんなに過酷な「過去」を目の当たりにしたとしても、それでも貴方が好きだと示せばいい。
つまり――題して「押して押して押しまくる作戦」!
かつて、大親友の葵は言った。
「奥手は損なのだよくるみちゃん」
と。
昨日、尊敬する鈴花先輩は言った。
「恋愛はぐいぐいいったもん勝ちなんだから」
と。
私はふたりを信じることにした。
私の作戦で、日向くんの不安をまるまる全部吹っ飛ばす!
何も知らない日向くんの手の温度を感じながら、私は心の中でこっそり気合いを入れた。
作戦その一。
敬語禁止。
「……くるみ先輩?」
おいしいパスタを堪能し、食後のデザートとしてケーキを食べている最中、私は突然フォークを置いた。
向かい合わせで座った日向くんが訝しげに声をかけてくる。私は深呼吸し、覚悟を決めた。
『日向くん』
「はい」
心なしか日向くんも居住まいを正す。
『今日の私たちは、恋人同士なんだよね?』
「先輩がそう思ってくれるなら」
『なら、このままじゃだめだよ』
「え?」
私は手の中でスマホに文字を打ち、キッと日向くんを見つめてスマホを差し出した。
『敬語は禁止!』
「えっ、いやでも……」
『これは君の彼女命令です』
か、彼女……。自分で言っておきながら気恥ずかしい。それにしてもここの暖房、やけに効いてるなー。……わかってます。私が赤面してるだけです。
日向くんはほんの少しの間呆然としたように固まっていたけれど、ふいにふふっと表情を崩した。
「うん。ありがとうくるみちゃん」
目を細めてふんわりと私に微笑みかける彼。
「……」
わああああ!
これは、あまりにも刺激が強い!
なんだか可愛さが倍増した気がするし、それに加えて不意打ちの「ちゃん」付け……!
自分で命令しておきながら早くも舞い上がりそうな自分を叱咤し、私は「それで良いのだ」みたいな感じに深く頷いた。実際そんな余裕はない。
くるみちゃん……くるみちゃんって……。
その時不意に、頭の中に声が響いた。
『うん!ありがとくるみちゃん』
まだ幼く、声変わり前の少年の声。
今、日向くんが言った言葉と、ほとんど同じ台詞。聞いた覚えなんてないはずなのに、どこか、懐かしい……。
「くるみちゃん?」
はっと顔を上げる。
「どうかした?」
なんでもない、と首を横に振った。いけない、折角のデートなのにぼうっとするなんて。
「それならよかった。ゆっくり食べて。食べ終わったら、連れていきたいところがあるんだ」
そんな言葉を聞きながら、私はケーキを口に運ぶ。私の忘れている「過去」。もしかしたら、さっきふと浮かんできた声は、私の忘れている「過去」に関係するものなのだろうか。
作戦その二。
街で手を繋ぐ。
ここでのポイントは、「街で」ということ。神社にふたりで行ったあの日に手を繋いだけれど、あれは誰にも見られないように夜の闇に紛れてこっそりとだった。さっきの駅前でも、お店に着くまでの僅かな時間だけ。駅だから人々もあまり周りの人を気にしていなかった。でも今は真っ昼間。そして人通りの多い、ついでに言うとゆったりデートしているカップルの多いクリスマスの街。そんな街で手を繋ぐということはつまり、私たちは恋人同士ですよ、と言っているようなもの……の、はず。同級生とかに会ってしまったら果てしなく気まずいけれど、それはそれ。
今はとにかく、押して押して押しまくらないと!
「……まだ少し早いから、街の方に寄ってもいい?」
私の考えを見通したかのように、日向くんが言った。私は内心ガッツポーズしながらも、しおらしく頷く。しばらく歩くと、おしゃれなお店が立ち並ぶ街へと辿り着く。
ちょっと待って。と日向くんの袖を引いた。
「ん?」
立ち止まった彼の手を握ろうとして視線を落としてから、少し躊躇う。クリスマス一色の街、行き交う人々は皆幸せそうで、やっぱりカップルの姿が目立つ。手を繋ぐのはほんの少し、勇気がいった。
「くるみちゃん」
温かい手が、触れる。
「手、冷たくなっちゃったね。これであったまるといいけど」
僕、昔から人より体温が高めだから、と笑う。
繋いでくれた。向こうから。
うん、と頷く私の唇は、抑えきれない幸せで弧を描く。
「どこかお店、入ろっか」
その言葉にきょろきょろとあたりを見渡す。どこもかしこもおしゃれで、クリスマスの浮足立った雰囲気が漂う。暫くゆっくりと歩きながら眺めていると。
ふと、とあるショーウインドウが目に入った。
雑貨屋さんだろうか。小物と一緒に、クリスマスツリーの写真が入れられた写真立てが並んでいる。
「あのお店、入ってみようか」
私が声をかける前に気がついたらしい日向くんが、私の手をそっと引いた。
入口のドアはあたたかみのある木製。開けるとカランと可愛らしい鈴の音がした。
「いらっしゃい」
ところせましと並んだ棚の向こう、恐らくレジがあるらしき場所から声がした。
日向くんと手を繋いだままで、どきどきしながら棚に並ぶものを見る。ハンカチ、箸置き、マグカップ……かわいらしい日常雑貨が並ぶ。猫やうさぎが描かれたもの、花が刺繍されたものなど、どれもほかでは見ないこだわりを感じた。
「くるみちゃん、これ」
ふいに日向くんが何かを指す。
そちらに顔を向けると、照明を反射するなめらかな白。
それは、写真立てだった。
磨かれたような白いフレームには、何かの花が彫られている。白い小さな花が、たくさん。
花には詳しくないけれど、写真立てに見本として入れられた花の写真を見て気がつく。
カスミソウだ。
確か……昔、小さな花束に……。
『わあ、きれい!』
『でしょう?お庭で咲いたんだ。くるみちゃんにあげる』
『いいの?ありがとう!ねえ、これなんてお花?』
『カスミソウっていうの。お母さんに教えてもらったんだ』
誇らしげに言う、小さなあの子は。
「くるみちゃん」
私を呼ぶ声が、頭の中で――記憶の中で笑う、少年の声と重なる。
ああ、そうか。やっぱり、そうなんだね。
「クリスマスプレゼント、受け取ってくれる?」
小ぶりな袋の中には、カスミソウの写真立てが入っている。花言葉は――幸福。
私はそっと伸ばした手で、それを受け取った。
ありがとう、と唇だけで紡いで、私は微笑んだ。


