長い冬を越えて、日向に芽吹く



「くるみちゃ……あ、先輩?これ、どうぞ」

ふいに日向くんが小さな紙袋を差し出した。手のひらに収まるサイズのそれは、受け取ってもほとんど重みがない。

これは?と彼を見あげる。

「お守りです」

いつの間に買ったんだ。私ぼうっとしすぎ。さっきまで夕日が見え始めた頃だったのに、もう薄暗くなり始めているし、どれだけぼうっとしていたんだ。恋は盲目ってこういう事?なんだかずれている気がしないでもない。まあいいか。

『ありがとう。お金』

「いいです。僕が連れてきたんですから。それに、それがないと「コンテスト用の写真」を撮れません」

え?
お守りとコンテスト用の写真になんの繋がりが?
確かに「写真を撮るのにちょうどいい場所がある」って言われてここまで来たんだけど。てっきりこの雰囲気のいい神社の写真を撮るのかと思っていた。

「時間も丁度いいですね。こっちです」

日向くんは私の手を引いて、神社の裏の方へ連れて行く。木々が植わっているだけで裏には何もなく、にゃあ、とどこからか出てきた猫が私たちを見て逃げていった。
立ち止まった日向くんに、私は尋ねる。

『ここって来ていいの?』

「はい、大丈夫です。僕も昔からよく来てますから」

日向くんがそういうなら。
あたりはすっかり暗くなり、空を見上げると黒い絵の具で覆ったような闇が広がっている。それなりに都会だから、星は見えない。

「先輩、さっきの袋、開けてみて」

言われてまだ片手に持っていた袋を開ける。紐に指を引っ掛けて袋の中からお守りを取り出すと。

ゆらゆら、と紐の先で揺れるのは、ガラス玉のような透き通った球体。完全な球体ではなくて、ダイヤモンドのように複数の平面が繋がって球体を形作っている。
綺麗……。

『綺麗だね』

「はい。でももっと綺麗になりますよ」

意味深な言葉に首をかしげる。

「それを掲げるように……こうやって持ってください」

日向くんはお守りを持つ私の手に触れて、少しだけあげる。暗闇のなかで、ガラスが真っ黒になってしまったみたいだ。

「そのまま……」

次の瞬間。当たりに光が散らばった。青、黄色、緑、赤……小さな光が、まるで星のように地面に瞬く。

すごい。

「光の反射で、こうなるらしいです。スマホのライトを当ててるだけなのに、不思議ですよね」

スマホを掲げてガラスを照らしている日向くんが、ちょっと嬉しそうに言った。私がスマホを取り出すと、察してお守りをもう片方の手で持っていてくれる。

『うん、綺麗。星みたい』

すると日向くんは、少し目を見開いてからふふっと笑った。

「すごい。同じこと思ってました。この街じゃ星はほとんど見えないけど、こうすればいつだって星が見られるって」

暗闇に溶ける地面は夜空みたいで、そこに散らばる小さな光は夜空に浮かぶ星々。

『でも、この光は普通の星よりちょっと贅沢だね。こんなに色鮮やかだから』

星に手を伸ばすように、私は散らばる光のひとかけらを手に掬う。私の手の中で、虹色がきらきらと瞬いた。

「くるみ先輩」

ん?
彼を見上げて、首を傾げる。

「その星は何色ですか」

え?

『赤、青、黄色、緑、とか。虹みたいだね』

「……そうですか」

どこか寂しげな口調に、光をみていた視線を上げる。彼は、悲しみを湛えたような瞳で、ゆっくりと口角をあげた。
その表情を目にした瞬間、辺りが真っ暗になる。日向くんがライトを消したのだ。
私のスマホの文字入力画面だけが、淡い光を周囲に放つ。ぱち、ぱち、と文字の切れ端で、縦棒が点滅する。

日向くん、と口が動く。案の定、声が出ることはなかった。

「くるみ先輩。ずっと、貴女に隠していたことがあります」

日向くんの顔は、私のスマホの画面の淡い光だけではほとんど見えない。微かに震えた、それでも決意のこもった芯のある声。

「本当はずっと秘密にしておくつもりでした。でもこのままじゃいけない、向き合わなきゃ幸せになれないって、くるみ先輩が教えてくれた。だから、言おうって決めました」

深く、息を吸って吐く音。
ゆっくりと、言葉を紡ぐ。

「僕は……色が、わからないんです」

言って、気が抜けたように座り込む日向くんに、慌てて私も隣に並ぶ。
色が、わからない。その意味をちゃんと受け取れないままに、私は疲れたように項垂れてしまった日向くんの背中をそっと擦った。暗闇が私たちを隠すように包み込む。時間が流れていくうちに、私の頭の中は次第に整理されていく。
私だって驚いた。とても冷静ではいられないくらい、なんで秘密にしていたのかと、問い詰めたい気持ちもある。言ってくれたら、もっと日向くんを助けられたかもしれない。助けてもらうばかりじゃなくて、こんな私でももしかしたら力になれたかもしれない。彼の違和感について、あんなに悩むこともなかったかもしれない。
でもそれ以上に、言えない気持ちが痛いほど分かった。迷惑をかける。心配させる。自分が「普通じゃない」「おかしい」って、告白するようなものだ。
いくら皆を信じていても、もしかしたら裏切られるかもしれない、仲間外れにされるかもしれない。嫌な考えが胸を過ぎると、途端にそればかりが膨らんでいく。
その苦しみを、私は知っている。

「昔、とあることがきっかけで赤やオレンジ色が苦手になって、見るだけで怖くなってしまって。そのうち、だんだん色褪せるみたいに、色が見えなくなっていきました。今はもう、ほとんどすべての色がわかりません。見えているはずなのに、認識できないんです。……って言っても、よくわかりませんよね」

自嘲するように笑う声が、微かに耳朶を打つ。

「急にこんなこと言ってすみません。でも先輩にだけは、話しておこうと思って」

体ごとこちらに向き直って、日向くんは少し首を傾けた。

「あのね、先輩」

ふにゃりと目を細めて、彼は柔らかく笑った。

「僕はずっと、貴女に恋をしています」

は、と呼吸が止まる。
風が覗くことも、星が見つめることもない真っ暗闇の中。お互いの存在しか確信することのできない、ふたりだけの世界。

「昨日、デートって言ったのは、ちゃんとそういう意味なんですよ」

さっき考えていたことを見透かされたように言われて、冷えるはずの夜に体温がぐわんと高まる。

「でもきっと、僕は貴女の側にいないほうがいい。そのほうが、きっと貴女は幸せになれる」

仮面のような笑みを浮かべたままで、彼はゆっくりと続けた。

「だから、最後に諦めるための時間を、僕にください。クリスマスの日、貴女のその一日を、僕にください。そうしたらきっと、僕はこの気持ちを捨ててみせるから」

待って。そんなこと、勝手に決めないで。
私も、私だって、貴方のことが――。

「クリスマスに、僕は貴女が過去と向き合うお手伝いをします。貴女はきっと、全てを乗り越えられる。その後……僕は貴女の側には、いられない。今の貴女がどれほど、僕を求めてくれたとしても」

どういうこと……?
今の私と、「過去」を乗り越えた後の私はそんなにも違うものなの?そもそも、乗り越えるべき「過去」ってなに?今の私の気持ちは、流星みたいに燃え尽きて、消えてしまうものなの?

「……もうすっかり暗くなってしまいましたね。帰りましょうか。家まで送っていきます」

すっと立ち上がった彼は、私へ手を差し伸べる。私はなにも言えないまま、その手を取った。その手は、先ほどとは全く違う温度を持っている気がした。

「……くるみ、先輩?」

彼の肩口に、そっと額を押し当てる。
腕を回した彼の体は、思っていたよりも頼もしく、でもどこか弱々しく思えた。
貴方はきっと、私が知らない……否、忘れてしまった「過去」を知っていて、私よりも私を知っている。その「過去」が今の私をすっかり変えてしまうほどのものだと貴方が思うのなら、そうなのかもしれない。どんな事実を知っても私は私、絶対に変わったりしない。そう言えたらどんなに良かっただろう。でも、実際私は変わってしまった。私が忘れている「過去」が原因で、声をなくした。再び「過去」を取り戻せた時、それでも私は変わらないと、無責任に断言することはできない。
それでも。「今」私が貴方に恋しているという事実は、確かにここにある。

その全てが伝わるように、私は強く強く、彼を抱きしめた。
沈黙のあと、こわごわと抱きしめ返す腕は優しく、少し怯えた風でもあった。

「……ありがとう」

きっと私の気持ちを汲んで返してくれたその声は、やっぱり少しだけ、震えていた。